六甲ガーデンテラス ほか
日本でも有数の眺望スポット「六甲ガーデンテラス」では、明石海峡から大阪平野、関西国際空港まで広がる大パノラマの眺望、夜には1000万ドルの夜景の眺望をご覧になれます。エリア内には眺望スポットがいろいろ。見る角度や時間によって異なる表情が楽しめます。
日本でも有数の眺望スポット「六甲ガーデンテラス」では、明石海峡から大阪平野、関西国際空港まで広がる大パノラマの眺望、夜には1000万ドルの夜景の眺望をご覧になれます。エリア内には眺望スポットがいろいろ。見る角度や時間によって異なる表情が楽しめます。
タグチ・アートコレクションは、実業家の田口弘氏が収集した国内有数の現代美術コレクションです。400 点を超えるコレクションは、出身地もさまざまで、グローバルに活躍する作家たちの作品からなり、いまの美術の動向を一望することができます。本展では、コレクションの中から、2000 年代に制作された作品を中心に、現代の美術作品を紹介します。
現代の美術の特徴のひとつに、作品の中に「美術とは何か」という自己言及性を抱えていることが挙げられます。アンディ・ウォーホルのように広告やアニメーションのイメージを取り込んだり、あるいは、過去の巨匠の作品を引用したりしながら、「私の考える美術」を提示しています。
また、ものをつくるという行為は、作家の体そのものから発する内的なものだという考え方もあります。民族やジェンダーを主題にした作品や、映像作品にみられる物語性を取り入れた作品は「私はなぜ私であるのか」を見る人に問いかけてきます。
16、17 世紀のヨーロッパにおいて最も影響力を持った画家一族のひとつだったブリューゲル一族。その祖であるピーテル・ブリューゲル1 世は、雄大な風景や農村の四季の営み、あるいは民衆の生活やことわざの世界など身近な主題を分かりやすく描き人気を得ました。ピーテル1世の優れた点は、現実世界を冷静に見つめ、自然や人間の日常生活をありのままに描き、その本質を活き活きと表現したことにあります。この画家としての眼差しは、彼の二人の息子、更にその子孫たちへと受け継がれ、一族の伝統を築き上げました。
本展は、ブリューゲル一族4世代150年の系譜を辿りながら、風景画、風俗画、寓意画、花の静物画など、一族や同時代の画家たちが描き出した作品を紹介し、16、17世紀フランドル絵画の魅力に光をあてます。また、展示作品は通常見ることができない個人所蔵の絵画など約100点により構成され、そのほとんどが日本初公開となります。(※フランドルとは、現在のベルギーにあたります。)
数年アートの制作、クリエーションの現場に関わらせてもらった実感として、女性の多い職場であると思います。
短い期間の自分の経験を振り返ると、朝日新聞の記事「育児・介護「仕事と両立難しい」5割 演劇・バレエ制作スタッフを調査」は身につまされました。
「日本芸能実演家団体協議会(芸団協)」がまとめた報告書によると、劇団やバレエ団の公演に携わる制作スタッフの内、5割の方が、育児や介護の必要性が生じた場合に仕事を続けられないと答えたのだそうです。 この報告書はもともと文化庁の委託で労働環境改善目的で行われた調査によるものとのこと。1132人に調査票が送られ、女性が7割を占める282人から回答がありました。 同団体が2016年度、公共劇場スタッフ向けに行った調査では、6割の方が同じ答えを出しています。
人生を進めていく中で、育児も介護も起こり得るもの。それだけでなく自身が体調を崩してしまうことも十分あり得ます。いずれも生きていればあるだろうという環境、状況の変化ですが、それに応じて仕事の方をコントロールすることが難しく、やめざるを得ないのはとても残念です。
このたび東京都写真美術館は、「内藤正敏 異界出現」展を開催します。本展は異色の写真家・内藤正敏の50 年を超える軌跡をたどりご紹介します。作家は 1960 年代の初期作品において、化学反応で生まれる現象を接写して生命の起源や宇宙の生成の姿を捉えました。その後、山形県・湯殿山麓での即身仏との出会いをきっかけに、1960 年代後半から 80 年代にかけて、主に東北地方で民間信仰の現場に取材した〈婆バクハツ!〉〈遠野物語〉など刺激的な写真シリーズを次々と発表しました。「モノの本質を幻視できる呪具」である写真と、見えない世界を視るための「もう一つのカメラ」である民俗学を手段として、現世の向こう側に幻のように浮かび上がる「異界」を発見する人、内藤正敏。そのヴィジョンは、今日の私たちに大きな戦慄と深い洞察を与えてくれるはずです。本展は主な写真シリーズを通して、その 50 年を超える足跡をたどるとともに、その表現世界に通底する独自の世界観、生命観を捉えていきます。
#MeToo 運動や元写真モデルによるアラーキー告発を見て感じるのは、作品と人権という2つのバリューの天秤の高さの今日的な変化です。MeToo運動は、TwitterやInstagramを通して拡大していったように、映画会社、プロデューサー、ディレクターが大きな影響をおよぼしていたマスメディアに代わって、SNSという個人発信の手段が可能にした運動でした。
「わたしたちは道具ではない」という映画作品や写真アートのキャストやモデルたちの主張は、それまでの創作側の作品至上主義、そしてアンタッチャブルな神聖と見なされてきた芸術作品に対する、「犯される側」からの「犯すべからざる領域」への反乱であるようにも見えます。
アラーキー告発に関する記事の中に、島崎藤村(1872〜1943)の小説『新生』に登場するモデルに触れたものがありました。日本の純文学の歴史を振り返ると、藤村に限らず、登場人物のモデルとなった実在の人物(多くは女性)への人格権を侵害した事案が数多く発見できます。
大正生まれのシスコ、澄子、ゑい。時を超えて描いた少女のときめき――
本展に出展する3人は、大正初期に生まれ、激動の時代を生きています。彼女たちは、不思議なことに皆、歳を重ねてから過去を追憶し、堰を切ったように大量の絵を描いています。川で遊んだ日、親戚がたくさん集まった日、妖精を見つけた日、戦時中のある日。それから妻となり、母となり、やがておばあさんとなって過ごした日々。在りし日の瞬間瞬間に宿るときめきを絵にしたためていきました。今そこにある暮らしや、過去からの出来事の一つ一つを肯定していく姿は、彼女たちによって描かれた絵のごとく美しく、歳を重ねてなお少女のようにきらきらと輝いているように見えます。3人の少女の眼を通して見つめられた大事な瞬間を伝える絵は、私たちに毎日がかけがえのないものであることを伝えてくれるでしょう。
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