特殊展示 百萬遍知恩寺の名品

ARTLOGUE 編集部2018/08/02(木) - 21:42 に投稿
京都市左京区にある知恩寺は浄土宗宗祖・法然上人開基の七大本山のーつです。第二世・源智上人が「知恩寺」と名づけました。 浄土宗ゆかりの名品を数多く所蔵し、「蝦萎鉄拐図(がまてっかいず)」をはじめ中国美術の優品もあります。 当館では、近年、知恩寺のご協力のもと所蔵文化財の悉皆(しっかい)調査を実施してきました。この学術

PEACE MAKER 鐵 原画展 ―京都幕末新撰組異聞―

ARTLOGUE 編集部2018/08/02(木) - 21:42 に投稿
今年は明治維新から150年の年です。史実では明らかになっていない歴史の闇をフィクションで補填することで、新たな解釈が激動する時代を生き抜く新撰組の生き様を表現し、読者に感動を与える作品「PEACE MAKER 鐵」。今回は、この作品のなかで、京都に実際に起こった様々な幕末の事件を中心にマンガ原画約100点を展示します。また、その他にも今年公開の劇場アニメの資料(約 30 点)や、作者黒乃奈々絵氏が紹介する京都の新撰組ゆかりの地図も展示します。

ニャンコ先生とふりかえる 夏目友人帳 記憶 (おもいで)展 原作マンガ 15 周年×アニメ化 10 周年記念

ARTLOGUE 編集部2018/08/02(木) - 21:42 に投稿
大きく展示を4章(第1章「夏目友人帳・アニメ化への道のり」、第2章「人とあやかしと自然」、第3章「制作者・お勧めのエピソード」、第4章「劇場版夏目友人帳~うつせみに結ぶ~」)に分けて「夏目友人帳」を振り返ります。

仏教美術の名宝 平成30年泉屋博古館秋季特別展

ARTLOGUE 編集部2018/08/02(木) - 21:42 に投稿
仏教美術はインドに始まりシルクロードを通って朝鮮、日本に伝わり、各地で大輪の花を咲かせました。真撃な信仰心に裏付けされた仏像や仏画の数々は、信仰を持たない人々にも感動を与える普遍的な芸術作品として、今日に伝わっています。本展は、時代、地域によって様々に変化する多様な仏教美術世界、そしてアジア全域に広まった仏教美術の精華をお楽しみいただく展覧会です。時代、地域によって様々に変化する多様な仏教美術世界を東山の秋景色とともに心ゆくまでお楽しみください。

開館40周年 秋期特別展「光悦考」

ARTLOGUE 編集部2018/08/02(木) - 21:42 に投稿
本阿弥光悦は元和元年(1615)京都・鷹峯の地を拝領、その地で茶の湯、書、陶芸など、数寄風流の世界を逍遙します。本展は、永きにわたって光悦の芸術、作陶を考え続けてきた十五代樂吉左衞門の監修により、光悦茶碗を中心に、常慶や道入などの関連作品も含めて展示致します。

特別な旅、特別な朝 ——高台寺「掌美術館」の早朝鑑賞ツアー [テーマ]幕末明治と高台寺(要予約:1日14名限定)

ARTLOGUE 編集部2018/08/02(木) - 21:42 に投稿
その土地ならではのエピソードを訪ねて、人力車に乗ってガイド付き朝の散策をしませんか。 圓徳院北庭(国名勝指定)の特別鑑賞や、高台寺だからこそできる鑑賞の視点を高台寺「掌美術館」で紹介します。 【時 間】 AM 7:30 ~ AM 9:00 鑑賞ツアー終了 【受付場所】 圓徳院正門(人力車が目印) 【当日スケジュール】

竹宮惠子のスペシャルマンガ教室 京都国際マンガミュージアム・夏休み特別ワークショップ

ARTLOGUE 編集部2018/08/02(木) - 21:42 に投稿
この度、京都国際マンガミュージアムでは、マンガ家・竹宮惠子氏による10代の少年少女に向けたマンガ教室を夏休みに特別開講しますので、受講者を募集します。竹宮氏は京都精華大学マンガ学部で教鞭を執る一方、現在は国際マンガ研究センターのセンター長も兼任し、後進育成に務めています。本気でマンガを描きたい人の御応募をお待ちしていま

サム・フランシスの色彩 -夏のアサヒビール大山崎山荘美術館コレクション

ARTLOGUE 編集部2018/08/02(木) - 21:42 に投稿
色彩は、古今東西の作家にとって着想の源でありつづけ、作家たちは、色彩の探求によって多種多様な表現の地平を切り拓いてきました。私たちは、色彩からその象徴性を連想し、意味を感じることもあれば、配色や形が生むリズムを楽しむこともできます。色彩の組みあわせは、寒暖や軽重、興奮と鎮静、前進と後退など、さまざまな感情を呼び起こしま

ハリス理化学館同志社ギャラリー第15回企画展「新島襄(にいじまじょう)のかお」

ARTLOGUE 編集部2018/08/02(木) - 21:41 に投稿
同志社では、創立者である新島襄を描(えが)いた肖像画を15枚所蔵しています。新島は、在世中に何度も写真館で「肖像写真」を撮っていますが、自らをモデルとした「肖像画」を描かせることはありませんでした。1890(明治23)年に彼が亡くなったあと、肖像画が描かれ始めます。教え子たちの求めによる作品や、作者が自発的に描いた作品