篠田 守男個展「Tension and Compression」

ARTLOGUE 編集部2018/11/05(月) - 10:46 に投稿

この度、テヅカヤマギャラリーでは日本を代表する彫刻家、篠田守男の個展「Tension and Compression」を開催します。

篠田守男は1950年代後半から発表している女性や建造物のようにも見える抽象的なオブジェクトを複数のワイヤーで中空に吊るした金属彫刻で知られる日本を代表する彫刻家です。1966年に開催された第33回ヴェネチア・ビエンナーレでは日本館代表にも選出されており、87歳になった現在も精力的に国内外で活躍しています。

初個展から現在までの約60年間、テンション(張力)とコンプレッション(圧縮)を一貫したテーマに数多くの作品を発表しており、緊張感と浮遊感が一体となった独自の彫刻表現は日本だけでなく海外でも高い評価を得ています。

1972年に発行された書籍「快楽宣言」(南天子画廊刊)では、1960年代を過ごしたアメリカ時代について語るとともに、自身の作品について、次のように宣言しています。

積極的な快楽の取得か徹底的な禁欲のなかでのみ、ぼくの制作は成り立つのである。

「快楽」と「禁欲」という一見相反する要素は、篠田の作品テーマである「テンション&コンプレッション」にも通じる部分があると言えます。

タムラサトル個展「Point of Contact #7」

ARTLOGUE 編集部2018/11/04(日) - 23:11 に投稿

この度、テヅカヤマギャラリーではタムラサトルの個展「Point of Contact #7」を開催します。

シンボリックな文字や記号を形作りながら、チェーンが一定の速度で回転し続ける「Machine」シリーズ。ウレタン製の大小様々なワニの模型が高速回転する「スピンクロコダイル」。開放的で大げさなスイッチによって白熱灯が明滅を繰り返す「接点/ Point of Contact」シリーズなど、一貫して有用性・機能性を排した機械をモチーフとしたキネティック・アートを発表してきたタムラサトル。

今展では、昨年にドイツで開催された「International Light Art Award 2017」で大賞を受賞したタムラの代表作ともいえる「接点/ Point of Contact」シリーズより、大型作品の展示を予定しています。
 

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ミヒャエル・ゾーヴァ新作絵画展

ARTLOGUE 編集部2018/11/04(日) - 22:44 に投稿

この度メグミオギタギャラリーでは、3年ぶり第2回目となる、ミヒャエル・ゾーヴァの個展を開催します。
ミヒャエル・ゾーヴァは1945年にベルリンに生まれ、1992年、ヴィルヘルム・ブッシュ美術館でのグループ展「二つの世紀」での成功を機に画家としての本格的なキャリアをスタートさせました。

1995年に現代を的確に風刺した画家に与えられるオルフ・グルブランソン賞を受賞、1998年にはフランクフルトのオペラ座で『魔笛』の舞台美術を担当し、続く2001年にジャン・ピエール・ジュネ監督の映画『アメリ』で劇中に使われる絵とランプを制作したことで、世界中からの人気を誇ります。日本でも原画展や講演会、また絵本の挿絵などを通して多くのファンを持ちます。

ゾーヴァは一旦完成したように見える絵や、過去に発表された原画であっても手直しをし続けていく制作方法から、挿絵など出版時そのままの原画であっても同じ作品が既に存在しないケースが多いことで知られ、コマーシャルギャラリーで原画が販売される事は殆どありません。
また美術館などに展示する時のために身近なコレクターにのみ作品を販売しています。そのため、今回は奇跡的に展示・販売の機会を得た、大変貴重な展覧会であると言えます。

吉田稔郎:作品 1953 - 1963

ARTLOGUE 編集部2018/11/04(日) - 21:13 に投稿

この度ファーガス・マカフリー東京は、吉田稔郎(1928–1997)の個展を開催いたします。
戦後日本美術を代表する前衛グループのひとつ、具体美術協会の初期会員であった吉田ですが、本展覧会では具体美術協会の活動が特に活発だった時期にあたる1953年から1963年の間に制作された作品をご紹介いたします。
ファーガス・マカフリーの東京スペースで吉田稔郎の作品を展示するはじめての機会であり、12月22日までご覧いただけます。

 

〈吉田稔郎〉
1928年、神戸生まれ。吉田稔郎は、具体美術協会の創設者である吉原治良の父が経営していた油問屋(のちの吉原製油、現在のJ-オイルミルズ)で秘書兼デザイナーとして勤務しながら、吉原の西洋絵画に感化されるようになりました。その才能は具体美術協会設立前の1953年からすでに吉原の目にとまり、設立後もグループのなかで吉田は重要な役割を担うようになります。絵画とパフォーマンスが交差する領域での創造性を追求するよう吉原に助言を受け、白髪一雄、元永定正、田中敦子、嶋本昭三や村上三郎などの具体作家とともに実に表現豊かで独創性に富んだ作品を生み出します。