企画展 漆軒と印象 明治生まれの堂本兄弟・うるしと日本画の競演

ARTLOGUE 編集部2018/12/11(火) - 13:26 に投稿
堂本漆軒(どうもとしっけん 1889-1964)は、日本画家の堂本印象(1891-1975)の兄で大正末期~昭和時代にかけて活躍した漆芸家です。 本展では、漆芸の分野で洗練された美を追求した漆軒と、新しい日本画を創造し画壇を牽引してきた印象のそれぞれの芸術活動を展観するとともに、印象が図案を手がけた共作の漆器も紹介し、兄弟による美の世界を見つめ直そうとするものです。 また、漆軒の代表作に、豪華客船あるぜんちな丸(1939年竣工)の一等食堂のために制作した蒔絵の飾扉があります。 第二次世界大戦の戦禍を免れ奇跡的にのこったこの扉は、戦前の客船を伝える貴重な遺品です。この機会にどうぞお楽しみください。

創立100周年記念 国画創作協会の全貌展

ARTLOGUE 編集部2018/12/11(火) - 13:26 に投稿
「生ルルモノハ藝術ナリ」で始まる宣言文を高らかにうたい上げ、京都の若き日本画家たちが国画創作協会を創立したのは大正7(1918)年のことでした。 当時30歳前後だった彼らは既存の日本画の価値観にとらわれることなく、個性と創作の自由を尊重し、生命感あふれる芸術の創造を目指しました。 このたびの記念展では、土田麦僊、小野竹喬、村上華岳、野長瀬晩花、榊原紫峰、そして第1回国展後に会員となった入江波光を含めた主要6作家の作品をはじめ、国展に入選したことで注目され、画家としての歩みをはじめた岡本神草、酒井三良らの初期代表作など、約70点が一堂に会します。 昭和3(1928)年の解散まで、わずか10年の活動期間にもかかわらず、日本の絵画史上大きな役割を果たした国画創作協会の全貌をご紹介する展覧会です。 新しい日本の絵画を生み出そうとした100年前の若者たちの挑戦をご覧ください。

洋画から新日本画へ 山口蓬春の飽くなき挑戦

ARTLOGUE 編集部2018/12/11(火) - 13:26 に投稿
日本画家・山口蓬春(1893-1971)の画業を顧(かえり)みるとき、ひときわ特徴的なのは、本格的に油彩画を学んだ後に日本画家になったということでしょう。 少年の頃より水彩画に熱中し、白馬会絵画研究所で油彩画を学んでいた蓬春は、東京美術学校(現・東京藝術大学)西洋画科に入学、在学中にその才能を開花させます。 しかし、自身の日本画への可能性を見出した蓬春は、改めて日本画科へ転科、首席で卒業したときには30歳になっていました。 その後、日本画家としての頂点を極めた蓬春でしたが、「はじめ日本画をやっているときは、油絵の技法というものがどうもじゃまになりましたね。それに当時は印象派がはいってきたときですがね、観察方法から画題の選び方までずいぶんなやみました。」(『サンケイ新聞夕刊』昭和40年〔1965〕12月14日)と語るように、その道のりは平坦ではありませんでした。 しかし、自らの芸術に真摯に向き合い、あらゆる美の知識を貪欲に吸収しながら、たゆみない努力を続け、ついに蓬春は、自らの目指すものとしてこれまでにない「新日本画」の創造に到達します。 そして晩年に至り、「油絵と日本画はそもそも絵の具がちがう。その絵の具を使って日本画は装飾性を発達させてきたし洋画は写実を追究してきた。(中略)日本画の顔料が持つ特殊性これを生かさないと。」(『富山新聞夕刊』昭和40年(1965)6月14日)と語る言葉には、油彩画と日本画という二つの世界を知り、その狭間で苦悩したからこそ得られた本質への深い理解があり、そのことが「新日本画」創造への原動力となったともいえるでしょう。 蓬春は、若かりし頃に描いた油彩画を戦時中も手放すことなく生涯大切に所持していました。 そこには蓬春のどんな想いが託され、それらの油彩画は私たちに何を伝えてくれるのか―。 蓬春芸術の出発点ともいえる油彩画と戦前戦後を通じた日本画を一堂に会し、通観することで「新日本画」に込められた蓬春の世界観とその魅力を探ります。

アキバタマビ21 第73回展覧会「Radical Observers」

ARTLOGUE 編集部2018/12/11(火) - 13:26 に投稿
【出品作家】 Bitna JANG / Long JIN / 盛田渓太 / 菅実花 / Vincent RUIJTERS / 平澤勇輝 【イベント】 ●オープニングレセプション  12月8日(土)17:00~20:00 ●アーティストトーク 12月23日(日)14:00~16:00 ゲスト:岩﨑秀雄(早稲田大学理工学術院・教授) 1月12日(土)14:00~16:00