洋画から新日本画へ 山口蓬春の飽くなき挑戦

ARTLOGUE 編集部2018/12/11(火) - 13:26 に投稿
日本画家・山口蓬春(1893-1971)の画業を顧(かえり)みるとき、ひときわ特徴的なのは、本格的に油彩画を学んだ後に日本画家になったということでしょう。 少年の頃より水彩画に熱中し、白馬会絵画研究所で油彩画を学んでいた蓬春は、東京美術学校(現・東京藝術大学)西洋画科に入学、在学中にその才能を開花させます。 しかし、自身の日本画への可能性を見出した蓬春は、改めて日本画科へ転科、首席で卒業したときには30歳になっていました。 その後、日本画家としての頂点を極めた蓬春でしたが、「はじめ日本画をやっているときは、油絵の技法というものがどうもじゃまになりましたね。それに当時は印象派がはいってきたときですがね、観察方法から画題の選び方までずいぶんなやみました。」(『サンケイ新聞夕刊』昭和40年〔1965〕12月14日)と語るように、その道のりは平坦ではありませんでした。 しかし、自らの芸術に真摯に向き合い、あらゆる美の知識を貪欲に吸収しながら、たゆみない努力を続け、ついに蓬春は、自らの目指すものとしてこれまでにない「新日本画」の創造に到達します。 そして晩年に至り、「油絵と日本画はそもそも絵の具がちがう。その絵の具を使って日本画は装飾性を発達させてきたし洋画は写実を追究してきた。(中略)日本画の顔料が持つ特殊性これを生かさないと。」(『富山新聞夕刊』昭和40年(1965)6月14日)と語る言葉には、油彩画と日本画という二つの世界を知り、その狭間で苦悩したからこそ得られた本質への深い理解があり、そのことが「新日本画」創造への原動力となったともいえるでしょう。 蓬春は、若かりし頃に描いた油彩画を戦時中も手放すことなく生涯大切に所持していました。 そこには蓬春のどんな想いが託され、それらの油彩画は私たちに何を伝えてくれるのか―。 蓬春芸術の出発点ともいえる油彩画と戦前戦後を通じた日本画を一堂に会し、通観することで「新日本画」に込められた蓬春の世界観とその魅力を探ります。

アキバタマビ21 第73回展覧会「Radical Observers」

ARTLOGUE 編集部2018/12/11(火) - 13:26 に投稿
【出品作家】 Bitna JANG / Long JIN / 盛田渓太 / 菅実花 / Vincent RUIJTERS / 平澤勇輝 【イベント】 ●オープニングレセプション  12月8日(土)17:00~20:00 ●アーティストトーク 12月23日(日)14:00~16:00 ゲスト:岩﨑秀雄(早稲田大学理工学術院・教授) 1月12日(土)14:00~16:00

神戸ゆかりの芸術家たち 素描コレクション展2 特集:小松益喜の中国・ロシア風景

ARTLOGUE 編集部2018/12/11(火) - 13:22 に投稿
阪神・淡路大震災(1995)で被災した小松益喜(1904~2002)のアトリエから救出された作品群は、神戸市へ寄贈され、のちに当館コレクションとなりました。 2016年、その中から神戸市の姉妹都市であるラトヴィア共和国リガ市のスケッチ(1975)を特集展示しました。 今回は現在の中国、台湾、ロシアの風景を紹介します(初公開多数)。 1936年、小松は大連(旧・満州国)を訪れました。 1938年3月には小磯良平・中村鉄と台湾へ写生旅行に赴いています。 台湾は日清戦争後に割譲され、日本が統治していました。当時の画家たちにとって、陽光に満ちたエキゾティックな風景を描くことができる内地旅行だったのです。 第二次世界大戦後は、まだ旅行に制限があった旧ソ連(現・ロシアなど)に行っています。 1969年11~12月にモスクワ、レニングラード(現・サンクトペテルブルク)を訪れ、寒さを感じさせるスケッチを残しました。 各地の風光を捉えた素描は歴史的にも価値があり、おいそれとは再訪して描けないため、作家の宝物でした。 また、描かれて80年の間に世界は大きく変わり、国名は変化、そのことがリアルに伝わります。貴重な素描の作品群と1年ぶりの公開となるアカデミー・バー壁画、油彩画、あわせて約120点を展示します(会期中大幅に展示替をします)。 前期:12月18日~2月11日、後期:2月14日~4月7日