小磯良平と吉原治良

ARTLOGUE 編集部2018/03/01(木) - 18:53 に投稿
田中千代学園芦屋校アトリエ開き・寄せ書きに描く吉原とそれを見つめる小磯
1952 年7 月 写真提供:学校法人田中千代学園

 

小磯良平(1903-1988)と吉原治良(1905-1972)は、ともに戦 前から戦中、そして戦後にわたって阪神間を主な拠点として活躍 した画家です。小磯は東京美術学校を卒業後渡欧し、アカデミッ クな西洋美術の正統な継承者をめざし、官展や新制作派協会にて 類いまれなデッサン力を駆使した珠玉の人物画を数多く制作・発 表し、日本を代表する具象絵画の巨匠として活躍してきました。 一方の吉原は、家業である製油会社を経営しつつ、ほぼ独学で絵 画の技法を習得し、戦前の海外の抽象絵画に影響を受けた前衛的 な作品を二科会の九室会で発表、戦後は日本の前衛美術を代表す る具体美術協会の主宰者として数多くの抽象絵画を手がけました。 このようにほぼ同時代を地理的にきわめて近い位置において制作 してきたにもかかわらず、彼らを同時に評価する機会はほとんど ありませんでした。  

「コレクション×キュレーター」 7人の学芸員が紹介するコレクションの魅力

ARTLOGUE 編集部2018/02/28(水) - 16:07 に投稿

「美術館の活動」と聞いて、多くの人々が思い浮かべるのは、企画展ではないでしょうか。それは、あるテーマに沿って、いろいろな所から借りてきた作品を見せる展覧会です。もちろん企画展は重要ですが、例えばルーブル美術館にある「モナ・リザ」のことを思えば、所蔵作品が美術館の性格を表し、美術館活動の基本にあることに思い至ることができるでしょう。

美術館の基本的な使命は、美術作品を体系的に収集、保存し、来館者に公開し、教育普及活動を行っていくことにあります。こうした美術館活動は、学芸員(キュレーター)と呼ばれる職員たちの地道な仕事によって支えられています。当館にも、館長を含め、学芸員が7人います。それぞれ専門としてきた分野も異なり、興味や研究の対象も少しずつ異なっています。

3.11 関連特別企画「ビオクラシー 〜“途方もない今”の少し先へ」

ARTLOGUE 編集部2018/02/28(水) - 03:19 に投稿

東日本大震災、そして原発災害から丸7年。
「復興」という旗印のもと、被害にあった多くの場所は震災直後の様子が想像できないほど整備が進んでいます。そして、私たち自身も「『これまでの暮らし』を改めるべきではないか?」という想いとは裏腹に、危機感が少しずつ薄れていく感覚もないでしょうか?

タイトルである「ビオクラシー」は、震災後、福島に移住し活動を続けてきた、本展の企画伴走者である平井有太が2016年に刊行した著書「ビオクラシー 福島に、すでにある」からとられています。平井による造語である「ビオクラシー」は、漢字で表すと「生命主義」を意味します。

平井はこのビオクラシーを命より経済を重視し、ひいては戦争にもつながる資本主義や、民が主となり多数決で決めている現状の民主主義を超えるものとして訴えます。

また、人々との関わりや会話、インタビューなどを「ソーシャルスケープ」と名付け、社会活動におけるひとつの実践手段として位置付けました。著書ではその手法を用い、政治家やアーティスト、酒屋の蔵元、農家などを「活性家」として取り上げました。

春季特別展 「猿楽と 面 ―大和・近江 および 白山の周辺から ―」

ARTLOGUE 編集部2018/02/27(火) - 21:17 に投稿
旧金剛宗家伝来 翁(白式尉) 〔重要文化財〕 室町時代 東京都・三井記念美術館蔵 展示:4/10~5/6

 

猿楽(さるがく)とは、古くは「さるごう、さるがう」とも読まれ、能と狂言で構成される現在の能楽(※1)のかつての呼び名です。猿楽の起源は、通説では大陸伝来の散楽(さんがく)に由来し、日本古来の芸能と融合しながら芸術的完成度の高い歌舞劇へと進化して、今に至ったとされています。

平安後期に書かれた藤原明衡(あきひら)(989-1066)の著作『新猿楽記』には、奇術、曲芸、歌や舞、人形劇、滑稽な物まね芸を伴う寸劇など、多種多様の演目が紹介され、当時の人気ぶりが伝えられています。やがて田楽(でんがく)、傀儡(くぐつ)、猿楽などそれぞれが職業化していき、有力な猿楽師は大社寺に所属して座を形成し、祭礼や法会の儀式の一部や余興を担っていくようになりました。

兵庫県政150周年記念事業 開館5周年記念展 横尾忠則の冥土旅行

ARTLOGUE 編集部2018/02/25(日) - 23:51 に投稿
 ポスター(デザイン:横尾忠則)

 

展覧会について

 

「人は死んだらどこへ行くのか?」とは、いずれ死にゆく私たちが抱かずにはいられない謎に満ちた疑問です。「死」を自らの重要なテーマと位置づけ、様々な死のイメージを作品に投影してきた横尾忠則が、グラフィックデザイナー時代から現在にいたるまで一貫して関心を持ち続けたのも「死後の世界」のあり方でした。