渡辺 豪 個展「ディスロケーション」
渡辺 豪 M5A5 (※cropped scene) 2017 ビデオインスタレーション (マルチチャンネル) 48min
© Go Watanabe, Courtesy of URANO
国立民族学博物館(みんぱく)は、世界最大級の博物館機能と、大学院教育の機能を備えた、文化人類学・民族学の研究所として、世界で唯一の存在です。今年で、開館40周年を迎えることになりました。
人類の文明は、今、数百年来の大きな転換点を迎えているように思います。これまでの、中心とされてきた側が周縁と規定されてきた側を一方的にまなざし、支配するという力関係が変質し、従来、 それぞれ中心、周縁とされてきた人間集団の間に、創造的なものも破壊的なものも含めて、双方向的な接触と交流・交錯が至る所で起こるようになってきています。それだけに、異なる文化を尊重しつつ、言語や文化の違いを超えてともに生きる世界の構築をめざす文化人類学の知が、これまでになく求められているように思われます。
「美術館の活動」と聞いて、多くの人々が思い浮かべるのは、企画展ではないでしょうか。それは、あるテーマに沿って、いろいろな所から借りてきた作品を見せる展覧会です。もちろん企画展は重要ですが、例えばルーブル美術館にある「モナ・リザ」のことを思えば、所蔵作品が美術館の性格を表し、美術館活動の基本にあることに思い至ることができるでしょう。
美術館の基本的な使命は、美術作品を体系的に収集、保存し、来館者に公開し、教育普及活動を行っていくことにあります。こうした美術館活動は、学芸員(キュレーター)と呼ばれる職員たちの地道な仕事によって支えられています。当館にも、館長を含め、学芸員が7人います。それぞれ専門としてきた分野も異なり、興味や研究の対象も少しずつ異なっています。
東日本大震災、そして原発災害から丸7年。
「復興」という旗印のもと、被害にあった多くの場所は震災直後の様子が想像できないほど整備が進んでいます。そして、私たち自身も「『これまでの暮らし』を改めるべきではないか?」という想いとは裏腹に、危機感が少しずつ薄れていく感覚もないでしょうか?
タイトルである「ビオクラシー」は、震災後、福島に移住し活動を続けてきた、本展の企画伴走者である平井有太が2016年に刊行した著書「ビオクラシー 福島に、すでにある」からとられています。平井による造語である「ビオクラシー」は、漢字で表すと「生命主義」を意味します。
平井はこのビオクラシーを命より経済を重視し、ひいては戦争にもつながる資本主義や、民が主となり多数決で決めている現状の民主主義を超えるものとして訴えます。
また、人々との関わりや会話、インタビューなどを「ソーシャルスケープ」と名付け、社会活動におけるひとつの実践手段として位置付けました。著書ではその手法を用い、政治家やアーティスト、酒屋の蔵元、農家などを「活性家」として取り上げました。
猿楽(さるがく)とは、古くは「さるごう、さるがう」とも読まれ、能と狂言で構成される現在の能楽(※1)のかつての呼び名です。猿楽の起源は、通説では大陸伝来の散楽(さんがく)に由来し、日本古来の芸能と融合しながら芸術的完成度の高い歌舞劇へと進化して、今に至ったとされています。
平安後期に書かれた藤原明衡(あきひら)(989-1066)の著作『新猿楽記』には、奇術、曲芸、歌や舞、人形劇、滑稽な物まね芸を伴う寸劇など、多種多様の演目が紹介され、当時の人気ぶりが伝えられています。やがて田楽(でんがく)、傀儡(くぐつ)、猿楽などそれぞれが職業化していき、有力な猿楽師は大社寺に所属して座を形成し、祭礼や法会の儀式の一部や余興を担っていくようになりました。
「人は死んだらどこへ行くのか?」とは、いずれ死にゆく私たちが抱かずにはいられない謎に満ちた疑問です。「死」を自らの重要なテーマと位置づけ、様々な死のイメージを作品に投影してきた横尾忠則が、グラフィックデザイナー時代から現在にいたるまで一貫して関心を持ち続けたのも「死後の世界」のあり方でした。
フィレンツェのヴェッキオ宮殿を飾っていたレオナルド・ダ・ヴィンチによる未完の大壁画「アンギアーリの戦い」。《タヴォラ・ドーリア(ドーリア家の板絵)》は、この壁画の中心部分を描いた16世紀前半の油彩画です。本展では、日本初公開の《タヴォラ・ドーリア》を中心に、壁画の模写や派生作品、またレオナルドの多岐にわたる活動を紹介し、失われた壁画の謎に迫ります。さらにミケランジェロがダ・ヴィンチと同じ場所に構想した壁画の下絵の模写《カッシナの戦い》(日本初公開)を加え、ルネサンス二大巨匠による競演の実現を目指します。後世に絶大な影響を与えた天才の大壁画構想。美術史上に刻まれた一大スペクタクルをご体感ください。