コラム

アートとしての「アンティキテラ島の機械」

鈴木拓也2016/11/12(土) - 12:57 に投稿

1世紀以上前に海底から引き揚げられた「アンティキテラ島の機械」は、古代ギリシアの技術力に対する現代人の認識を根底から覆す遺物でした。この機械に触発され、これまで多くの研究者やアーティストが、復元模型やアート作品を制作してきました。本稿では、そうした作品をいくつか紹介します。

 

アンティキテラ島の機械とは?

アンティキテラ島と聞いて、その場所をぱっと思い浮かべられる日本人は、ほとんどいないかと思います。これは、ギリシャ南部をかたちづくるペロポネソス半島最南端から、南へ100キロメートルほど沖合に位置する小さな島です。この島からさらに南へ100キロメートルほどのところにクレタ島があります。言い換えれば、アンティキテラ島は、ペロポネソス半島南端とクレタ島の中間地点にあることになります。上空から見た島の形状は菱形で、面積は約20平方キロメートル。東京都多摩市とほぼ同じ広さがありますが、人口は数十人ほどで、たまにフェリーが立ち寄る程度の僻遠の孤島です。大半のギリシャ人ですら、この島の場所を知りません。しかし、ある遺物の発見によって、一部の人たちによく知られるようになりました。

連載 『子どもと一緒にアートなお出かけ』 第二話 「赤ちゃんと美術鑑賞は誰のため?」

Seina Morisako2016/11/05(土) - 07:37 に投稿

アートブロガーのSeina Morisakoです。第一話を読んでくださったみなさん、赤ちゃんと一緒にアートなお出かけって実はそんなに難しくないということが分かって頂けましたか?そうです。美術館にチケットを買って静かに全部見なくてもアートなお出かけは可能なんです。どうでしょう?もうお出かけ頂きましたか?

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米国のハロウィン・アートをピックアップ

鈴木拓也2016/11/01(火) - 09:57 に投稿

毎年、この時期になると米国各地で、ハロウィン・アートの展示会や即売会が催されます。出される作品の大半は、地元アマチュアの手による素朴で民芸品的なものですが、中には素晴らしいアートと呼ぶにふさわしいもあります。

今回の記事では、そういった米国発のハロウィン・アートを選りすぐって紹介いたします。

 

昭和歌謡を愛する謎の屋台女 菅沼朋香との一問一答

松宮 宏2016/11/01(火) - 08:46 に投稿

アートとは何か? 作者が「これはアートです」と言えばアート。それが定義と言えば定義。デザインは目的があって解決がある。構造も文脈も必要。

アートは自由自在です。
とはいえ皆さん、自由自在はいいですが作品を観て「いったいこれは何か?」と思うこと多くないですか? わからない。意味不明。
じゃあ作った人に訊いてみよう。とはいえ、意味不明な作品を作った人に訊けば意味不明な解説が返ってきて、アタマは余計に混乱するかも。
でも訊いてみなきゃらはじまらない。ということで訊いてみました。
今回は菅沼朋香との一問一答。
六甲ミーツ・アートで「スタンドまぼろし」を開店中です。
語ってみれば深イイ話。

 

松宮(以後M)「久しぶりね。名古屋芸大で会った時からこんな作品作ってたっけ?」

菅沼(以後S)「はい、やってました」

M「名古屋のあとは新宿ゴールデン街でお勤めしてたよね」

S「渚ようこさんのお店です。バイトですけど」

連載 『子どもと一緒にアートなお出かけ』 第一話 「初めてのお出かけに美術館はいかが?」

Seina Morisako2016/10/27(木) - 02:02 に投稿

アートブロガーのSeina Morisakoです。
前回、「アートは育児を救う」を沢山の方に読んでいただけたことうれしく思います。ありがとうございました。
共感していただいた方も多く、「どうしたら子どもがアート好きになるか知りたい!」とか、私たち親子が「幼少期にどのようなアート鑑賞をしてきたかをぜひ知りたい!」というリクエストを多数いただきました。

そこで、もうずいぶん前になりますが私たち親子のアートなお出かけを、この連載で少しづつ振り返っていきたいと思います。

 

アート小説 『ラピスラズリの音色』 第1話「悩める若き三代目とフルーツサンドウィッチ」

高松恵里佳2016/10/17(月) - 16:05 に投稿

ステンドグラスの窓は少し開いていて、淹れたてのふわりと立ち上がった珈琲の香りがかすかに漂っていた。
スターバックスやファストファッションにばかり慣れ親しんできた葵は店に入る勇気が持てず、人気のない路地を行ったり来たりしていた。
神田神保町、古書店が立ち並ぶ大通りを奥に入った路地に、純喫茶ラピスラズリはある。黒い屋根に壁一面に這う蔦、昔ながらの波ガラスのステンドグラスと重厚感のある店構えは、確かに誰にでも入りやすい店とはいえなかった。
路地を何往復かした後、葵は心を決めた。
やれることはすべてやらなくちゃ。美味しい珈琲を飲みにきたっていう軽い感じでいけばいいのよ。
葵は蔦に囲まれた深い青紫色のドアを勢いよく開けた。
ドアチャイムの澄みわたるような高音が響き、カウンターに座っていた女性がゆっくりと振り向いた。
ベロア素材の青のワンピース、上品な黒のハイヒールが店の褐色の木のカウンターや椅子と一体化するようにマッチしていて、エプロンをしていなくてもすぐに店の人間だと葵にもわかった。何より、女性の端正な美しい顔立ちで、噂の美人店主だとすぐにわかった。
「いらっしゃいませ」
くつろいだ様子で珈琲カップを手にする女性の姿を見て、葵は思わず店に入ろうとする足を止めた。

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維新派 最後の公演「アマハラ」 フォトレポート & 会見全文掲載

ARTLOGUE 編集部2016/10/17(月) - 15:41 に投稿

主宰の松本雄吉さんが亡くなり、解散を表明している維新派の最後の公演「アマハラ」が、奈良の平城宮跡にて開催しています。

平城宮跡は20年以上前に、主宰の松本さんが友人から紹介されて以来、そこでの公演を望んでいましたが、これまで許可が下ませんでした。今回、東アジア文化都市に招へいされたことにより、とうとう実現されましたが、それが維新派の最後の公演となるというは運命的でもあります。

今回の「アマハラ」は、2010年に上演した「台湾の、灰色の牛が背のびをしたとき」の改訂版でもありますが、松本さんは「新作と見まがえるような再演をする」と言っていたように構成は大きく変わっています。

舞台は、「海なし県に船が来たら面白いんとちゃうか」と、草原に巨大な廃船が作られました。維新派最大級の大きさの舞台はそれ自体がアート作品と言えるほどの存在感があります。

内容は20世紀初頭、繁栄を求めてアジアの島々を目指して進出していったものの、第二次世界大戦によって全てが滅んでしまった日本人たちの記憶が、船・航海という時間の流れのメタファーのような舞台上で展開されます。
金色に輝く草原に向かう廃船の演出は圧巻で、まるで維新派のそれぞれが新しい大海原への旅立ちを表しているようにも思えます。

「装う」を見つめ直す ―アーティスト西尾美也の可能性

北原一輝2016/10/15(土) - 00:02 に投稿

皆さんは朝、家を出るときなぜその服を着ているのでしょうか。

街でスーツを着ている方を見たらあなたはその人は何をしている人だと思いますか?セーラー服を着ている女性を見かけたらどんな人だと思いますか?
私たちは、女性なのか男性なのか、学生なのかサラリーマンなのか、様々なことを服で判断しているのではないでしょうか。
鷲田清一の著書『ひとはなぜ服を着るのか』の中でも、「性差が服装の差異を決めるというよりも、服装の差異が性差をかき立てる」と、記されています。
個人的な体験ですが、スカートを履いて街を歩くと、嘲笑されることもあります。男性とスカートの組み合わせは、一般社会では異質なものとして映るようです。
このように、服が1つの判断基準となっているからこそ、毎朝、自分の社会的役割に応じて無意識に何も疑うこと無く、服を選んでいるのかもしれません。
 

ここでご紹介する西尾美也さんは、そんな、装うことに対し考えるきっかけを与えてくれるアーティストです。

西尾さんは衣服をメディア(道具・媒介するもの)として捉え、衣服を用いた作品を通じて、我々の生活における最も身近な文化、「装う」という行為に対し揺さぶりをかける作品を数多く発表しています。

「太陽の塔」 内部再生前最後の内覧会。 「生命の樹」からBGM「生命の賛歌」まで、全て見せますフォト & ビデオレポート

ARTLOGUE 編集部2016/10/07(金) - 16:20 に投稿

先日、ARTLOGUEでも「太陽の塔」改修前、最後の内覧会の募集ニュースをお届けしましたが、10月29日(土曜日)の一般向け内覧会に先立ち、メディアへの公開がありましたので、どこよりも詳細にお伝えします。

今回は500人の募集に対して、約8万人の応募があったようです。160倍の確率を射止めた方は楽しみにしていてください。 もし、ハズレてしまった方は、2018年3月のリニューアルオープンを楽しみにしましょう。

怖くてアートな写真たち : マースデン、ホフィン、ストッダード、マッキニー、ソベラッツ

鈴木拓也2016/10/01(土) - 00:17 に投稿

筆者が、アマチュア風景写真家として活動していた、少々前の話になります。

夜景の撮影に熱中していた一時期、肝試しを趣味にする人たちのことを知って、ふと「心霊スポットの夜景を撮るのも一興ではないか」と思いつきました。そこで、その手の書籍や雑誌を何冊も読んで、心霊スポットの場所をリストアップし、5年かけて200か所近く、そういった場所を回りました。深夜にブランコがひとりでに揺れるという東京の谷中霊園から、貴族の令嬢の霊が出るロンドン郊外の古びた館に至るまで、様々な場所に出かけては写真におさめたものです。

ハワイの忘れ去られたような墓地や、北海道の人里離れたホテルの廃墟といった「知る人ぞ知る場所」は、それ自体が幻想的な絵になります。これにくわえて、幽霊が写ってくれたら、前衛的なアートして一級品になるかも、とひそかに期待しました。

しかし心霊写真は1枚も撮れず、写真熱も冷めてしまい、それっきりになってしまいました。

さて…世の中は広いもので、自分に似た考えで写真を撮り続けるアーティストが何人もいます。さすがに心霊写真を狙う酔狂な人は稀ですが、「怖い写真」というコンセプトで、コンテンポラリーアートとして成立させることに成功した写真家もいます。

今回は、そういった写真家の中から、筆者がえりすぐった人を紹介します。