さいたまトリエンナーレ

向井山朋子・演出「HOME」 さいたまトリエンナーレ2016 フォトレポート

ARTLOGUE 編集部2016/10/18(火) - 15:08 に投稿

ピアニストかつ美術家としてジャンルを縦横にこえて活躍する向井山朋子さんの作品『Home』。会場となる岩槻の古い家屋に一歩入ると、向井山さんが手がけるインスタレーションと、かつてそこで営まれていた暮らしの痕跡とが相まって、異空間が広がります。映像、写真、美術の中に実際佇む、世界的ダンサー湯浅永麻の存在の生々しさに思わずどきり。

「Home」。この言葉からあなたは何を連想しますか?安心できて守ってくれる場所?時には喜びや悲しみ、憎しみや秘密を隠す場所、自由を奪って閉じ込める場所ですらあるかもしれません。普遍的でありながら、時代時代で少しずつ意味、イメージを変えていく「Home」をテーマとするこの作品は、家、家庭、家族・・・それらの様々姿をみる人に問いかけます。

他人の暮らしを覗いているような、背徳感すら覚えさせる空間の中で、圧倒的な存在感を放つ湯浅さんのパフォーマンスは圧巻の一言。インスタレーションもお勧めですが、パフォーマンスも是非ご覧ください。

 

向井山朋子・演出「HOME」 さいたまトリエンナーレ2016

 

パフォーマンス

「装う」を見つめ直す ―アーティスト西尾美也の可能性

北原一輝2016/10/15(土) - 00:02 に投稿

皆さんは朝、家を出るときなぜその服を着ているのでしょうか。

街でスーツを着ている方を見たらあなたはその人は何をしている人だと思いますか?セーラー服を着ている女性を見かけたらどんな人だと思いますか?
私たちは、女性なのか男性なのか、学生なのかサラリーマンなのか、様々なことを服で判断しているのではないでしょうか。
鷲田清一の著書『ひとはなぜ服を着るのか』の中でも、「性差が服装の差異を決めるというよりも、服装の差異が性差をかき立てる」と、記されています。
個人的な体験ですが、スカートを履いて街を歩くと、嘲笑されることもあります。男性とスカートの組み合わせは、一般社会では異質なものとして映るようです。
このように、服が1つの判断基準となっているからこそ、毎朝、自分の社会的役割に応じて無意識に何も疑うこと無く、服を選んでいるのかもしれません。
 

ここでご紹介する西尾美也さんは、そんな、装うことに対し考えるきっかけを与えてくれるアーティストです。

西尾さんは衣服をメディア(道具・媒介するもの)として捉え、衣服を用いた作品を通じて、我々の生活における最も身近な文化、「装う」という行為に対し揺さぶりをかける作品を数多く発表しています。