先日、ARTLOGUEでも「太陽の塔」改修前、最後の内覧会の募集ニュースをお届けしましたが、10月29日(土曜日)の一般向け内覧会に先立ち、メディアへの公開がありましたので、どこよりも詳細にお伝えします。
今回は500人の募集に対して、約8万人の応募があったようです。160倍の確率を射止めた方は楽しみにしていてください。 もし、ハズレてしまった方は、2018年3月のリニューアルオープンを楽しみにしましょう。
日本万国博覧会(大阪万博)
1970年3月14日から9月13日までの183日間、アジア初かつ日本で最初の国際博覧会が大阪で開催されました。来場者数は約6,422万人。
開催期間も違うので単純に比較は出来ないものの、来場者数が約107万人の瀬戸内国際芸術祭2013と比べると、約60倍もの人が訪れたことになります。
瀬戸内国際芸術祭が同じだけ集客しようとすれば180年かかると言えば、どれほど巨大なイベントだったか分かると思います。
「太陽の塔」は、1970年に大阪府吹田市で開催された日本万国博覧会(EXPO'70・大阪万博)の会場に制作された岡本太郎(1911年~1996年)設計の建造物です。
塔の高さは70m、基底部の直径20m、腕の長さ25mで、「お祭り広場」中央に丹下健三が設計した大屋根(長さ292メートル、幅108メートル、高さ約30メートル)を突き破る形で建てられました。
未来を象徴する「黄金の顔」、現在を象徴する正面の「太陽の顔」、過去を象徴する背面の「黒い太陽」という3つの顔を持っています。万博当時は「黄金の顔」の目から光を放っていたようです。実は、第四の顔も地下空間に展示されていたようなのですが、こちらは万博終了後に散逸してしまいました。
太陽の塔は万博終了後に取り壊される予定であったため建築基準法もクリアされていないですが、撤去反対の署名運動があり1975年1月23日に永久保存を決めました。
個人的には、太陽の塔の全面はどこか艶かしく女性性(母)を、背面は広い背中が男性性(父)を感じます。
「太陽の塔」の内部へイザ!
太陽の塔の内部へは、お祭り広場にある観客席下の売店やトイレなどがある所から入って行きます。
「生命の樹」とご対面
内部では当時と同じように「生命の賛歌」(作曲: 黛敏郎)が流れています。
このビデオを再生したまま記事を読んで頂くと臨場感がぐっと増します。
「生命の樹」に宿る生き物たち
「生命の樹」は高さ45m、生命を支えるエネルギーの象徴であり、未来に向かって伸びてゆく生命の力強さを表現しています。単細胞生物から人類が誕生するまでを、下から順に「原生類時代」、「三葉虫時代」、「魚類時代」、「両生類時代」、「爬虫類時代」、「哺乳類時代」にわけて、その年代ごとに代表的な生物の模型によって表していました。
当時、全部で292体の模型があり、一部は動いていたようです。現在は30体しか残っていません。他にも40体ありましたが、危険だったので取り外して倉庫で保管されています。
そもそも太陽の塔は、万博終了時に解体予定だったので、万博終了後に撤去が始まりその際に約220体が散逸したようです。
人類の進歩と調和
太陽の空間
太陽は人間生命の根源だ
惜しみなく光と熱をふりそそぐ
この神聖な核
われわれは猛烈な祭によって
太陽と交歓し
その燃えるエネルギーにこたえる
大阪万博の「人類の進歩と調和」というテーマに反対し、整然と銀色のトラスで構築された大屋根を突き破った太陽の塔は何を表しているのでしょうか。
私たちに何かを突きつけているようにも思えます。
1977年生まれの僕は万博には全く思い入れはないものの、小学校1年から自転車圏内に住んでいたこともあり、太陽の塔は当たり前にある身近な存在でした。
改修された太陽の塔はどのようなものになるかは分かりませんが、改修後は、大阪万博に思い入れがある人とも、これまでの太陽の塔だけに思い入れがある人ともまた違う、新しい太陽の塔との関わりが生まれるのでしょう。