奥能登国際芸術祭2017

ARTLOGUE 編集部2017/10/01(日) - 23:22 に投稿

芸術祭開催によせて

総合ディレクター 北川フラム

 

奥能登・珠洲は、能登半島の先端に位置し、周囲を日本海に囲まれた農山漁村です。黒潮(暖流)、親潮(寒流)がぶつかり、大陸からの季節風が海の水蒸気を含んで雨を降らし、外浦(北側)と内浦(南側)を有する独特の地勢も重なって、東西の植生が共存する豊かな植物・生物相につながっています。遣唐使、渤海使、北前船など、かつて日本海を舞台とした海上交易が盛んだったころ、さまざまな船が立ち寄り栄えましたが、海運から陸運に交通体系が変わったことで半島の先端という立地が弱点となり、過疎化が進行してきました。1954年に市制が施行した当時38,000人の人口は、現在では15,000人となっています。

珠洲は今までの価値観では日本列島のさいはての土地です。しかし日本各地の生活文化が集積し、そのあらわれである祭りはキリコ、曳山やヨバレの風習として今も残る日本文化の源流が湧き出ずる場所でもあります。それは今の時代、逆に希望のありかとしての特異点になるものです。

奥能登国際芸術祭は、その土地・生活・人々の魅力を再発見するアーチスト達が参加し、珠洲の人、地域外からのサポーターを含め大勢でつくりあげ、今までにない新しい芸術祭を目指しています。外浦から内浦にかけて展開されるアートは、奥能登の岬めぐりの新しい道しるべとなり、列島と大陸の関係を含めた環日本海のこれからのあり方を示唆してくれることでしょう。旅の道中に味わう海と山の食材をふんだんに使った伝統的な料理、海からの神の依り代ともいわれるキリコの乱舞、珠洲焼、揚げ浜式の塩田、能登瓦などは、まさに日本文化の基層へと私たちを誘います。

地球環境の悪化と資本主義の倫理性が問われ、日本列島の成立と未来を考えなくてはならない現在こそ、珠洲の持っている日本文化の原型、忘れられた日本が意味深いものになるでしょう。伝統的な文化と最先端の美術が響きあう芸術祭をつくりあげましょう。

珠洲市について

能登半島の最先端に位置し、三方を海に囲まれた珠洲市。北からの寒流と南からの暖流が交わる場所。荒々しい岩礁海岸の外海と、波穏やかな砂浜の内海という2つの海をもつ、美しい自然景観が自慢のまちです。黒瓦と板壁の家が軒を連ね、日本の原風景を感じさせる町並みが今も残っています。
豊かな里山里海の中で育まれた固有の文化も多く、「奥能登珠洲の秋祭りとヨバレ」に象徴される「祭り」と「食」の文化や農耕儀礼「あえのこと」などの地域文化が受け継がれています。揚げ浜式製塩や炭焼き、珠洲焼、珪藻土を使った七輪などの伝統産業も大切に受け継がれています。これらの伝統的な技術や農耕儀礼、豊かな「能登の里山里海」は、平成23年に世界農業遺産に認定されました。
珠洲市では春・夏・秋のシーズンごとに各集落において五穀豊穣を願い祝う「村祭り」が行われています。特に秋のシーズンは9月上旬から10月下旬の約50日間、連日市内のどこかの集落で秋祭りが行われています。秋祭りではお神輿の灯り役として「キリコ」を担ぎます。その数はなんと100基以上。「ヨバレ」とはキリコの担ぎ手に精を出してもらうために自宅において主人が酒と食事をふるまうもの。珠洲市では「ヨバレ」が現在でもほぼ全ての祭りで行われており、親戚や友人知人を御膳料理でもてなしています。珠洲市には、日本のおもてなし文化の原型が残っているのです。この「奥能登珠洲の秋祭りと『ヨバレ』」は第19回「ふるさとイベント大賞」総務大臣表彰を受賞しました。また、「灯り舞う半島 能登~熱狂のキリコ祭り~」が平成27年度日本遺産に認定されています。
美しい「里山里海」、豊かな「食」、そして何よりも素晴らしい「人」が暮らしている珠洲市。日本の祭りと食文化の源流が伝わるまちです。

 

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