浅葉克己

人類史上初の原爆投下の日に、平和について考えてみませんか。「ヒロシマ・アピールズ展」

ARTLOGUE 編集部2018/08/06(月) - 17:24 に投稿
「ヒロシマ・アピールズ展」は、日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)とヒロシマ平和創造基金、広島国際文化財団が「原爆の記憶を絶やすことなく、平和を希求する想いを広く伝える」ためにポスターを制作、頒布した「ヒロシマ・アピールズ」の作品を一望する展覧会です。 「ヒロシマ・アピールズ」は毎年一人のグラフィックデザイナーが中立な立場から「ヒロシマの心」を国内外にアピールするポスターをデザインしています。 1983年、第1回目は当時JAGDA会長でもあった亀倉雄策氏(1915年~1997年)による《燃え落ちる蝶》でした。

奥能登国際芸術祭2017

ARTLOGUE 編集部2017/10/01(日) - 23:22 に投稿

芸術祭開催によせて

総合ディレクター 北川フラム

 

奥能登・珠洲は、能登半島の先端に位置し、周囲を日本海に囲まれた農山漁村です。黒潮(暖流)、親潮(寒流)がぶつかり、大陸からの季節風が海の水蒸気を含んで雨を降らし、外浦(北側)と内浦(南側)を有する独特の地勢も重なって、東西の植生が共存する豊かな植物・生物相につながっています。遣唐使、渤海使、北前船など、かつて日本海を舞台とした海上交易が盛んだったころ、さまざまな船が立ち寄り栄えましたが、海運から陸運に交通体系が変わったことで半島の先端という立地が弱点となり、過疎化が進行してきました。1954年に市制が施行した当時38,000人の人口は、現在では15,000人となっています。

珠洲は今までの価値観では日本列島のさいはての土地です。しかし日本各地の生活文化が集積し、そのあらわれである祭りはキリコ、曳山やヨバレの風習として今も残る日本文化の源流が湧き出ずる場所でもあります。それは今の時代、逆に希望のありかとしての特異点になるものです。