2018年【大阪】国立国際美術館 周辺ランチ・グルメおすすめ9選!:腹が減ってはアートは見れぬ
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1969年7月20日。人類が初めて月面に降り立った日。
この日アポロ11号は、月面の「静かの海」に着陸しました。
この月面に実は「ミュージアム」があるのをご存知ですか?
アポロ11号が有人の月面着陸を成功させたわずか4ヵ月後、アポロ12号が月面調査で発射されています。
その際、アンディ・ウォーホル、ロバート・ラウシェンバーグを含む6名のアーティストを巻き込んだ秘密のプロジェクトが進められていました。
それは、彼らのドローイングを月面に残してくること。
6人それぞれの作品は、1.9×1.3cmというとても小さなセラミックウェハー1枚の上にまとめて描き出され、アポロ12号の脚部分にひっそりと隠されました。
このセラミックウェハーの名前こそ「ムーンミュージアム」。
グラフィティと著作権。
今年に入ってからロサンゼルスを中心に活動するアーティスト REVOK(レヴォク)が、自身のグラフィティ作品に対する「著作権侵害」で、大手アパレルブランドH&Mを訴えました。
H&Mがキャンペーン用に撮影した写真にREVOKの作品が写っていたことを発端に始まったこの訴訟でフォーカスされたのは、グラフィティをアートとするか、それとも違法な落書きとするか。
町工場を音楽レーベル化するプロジェクトINDUSTRIALJP。日本のテクノロジーを下支えする町工場の中でメカニカルに動き続ける工作機械が響かせる音と映像を、気鋭のトラックメーカーがテクノミュージックへと一変させるプロジェクトです。YouTubeのビデオシリーズを視聴すると、日頃のストレスを忘れさせてくれる「インスタント無我」な境地が体験できますよ。
「デモクラート美術家協会」は、1951年に画家の瑛九を中心として結成された美術グループです。既成の美術団体や画壇の権威主義を拒否し、一切の公募展に出品しないことを申し合わせ、自由と独立の精神による制作を目指して、当初10名の美術家たちが創立会員として参加しました。同会の特徴は、東京、大阪、宮崎と拠点が分散しており、参加者も画家のほか、デザイナー、写真家、評論家、舞踏家と幅広い領域に跨っていたことです。1957年に解散するまで、グループ展の開催や機関誌の発行といった同会の活動を創作の出発点として、後に内外で活躍する多くの美術家たちを輩出しました。
泉茂(1922-1995)は、同会の創立会員であり、関西における活動の中心的存在でした。1953年よりエッチング、1955年よりリトグラフの研究と制作にほぼ独学で取り組み、若い美術家たちに版画制作の機会を与える役割も果たしました。
ニューヨークといえば、アートラバーの聖地の一つ。
メトロポリタン美術館 、グッゲンハイム美術館、MoMA ニューヨーク近代美術館…と世界に名だたる美術館やギャラリーがひしめいております。
そんなニューヨークに、とってもうらやましいプログラム、カルチャーパス(Culture Pass)が導入されたとのこと。
ニューヨークのパブリックライブラリーが発行する図書カードを持っていると、市内33箇所の美術館等文化施設に、無料で入館することができるのだそうです。プログラムは複数の財団より資金面のサポートを受け運営されています。
その33箇所には、なんとメトロポリタン、グッゲンハイム、MoMAも含まれています。図書カードの取得方法や、カルチャーパスを利用しての美術鑑賞にはルールがありますが、とはいえ…いいなあ。
旅行でふらっと利用という使い方は難しそうですが、興味のある方は、一度公式サイトをご覧ください!
「PICK OUT ARTS」今日は17本!!
アナスタシア。
ロシアのロマノフ朝最後の皇帝ニコライ二世の皇女として誕生しながら、ロシア革命で帝国が崩壊した後の1918年、家族や家族に付き従ってきた人々ともども銃殺されるという悲劇的な最期を迎えました。
しかしその後、アナスタシアを名乗る人物が多数出現。
「実は生き延びていたのではないか」と長く人々の想像をかきたててきました。
「アナスタシア」を名乗る女性を描いた、イングリッド・バーグマンの映画『追想』、そのリメイク版で、メグ・ライアンが声優を担当したアニメ『アナスタシア』でその名を知ったという方もいらっしゃるのではないでしょうか。
『ドグラ・マグラ』でも知られる夢野久作の短編小説『死後の恋』にも「アナスタシア」が登場しますが、こちらはエロ、グロ、ナンセンス、とびきり強烈です。
エリツィン大統領時代、既にみつかっていた複数の遺骨がDNA鑑定され、その内の一つはアナスタシア皇女との結果が出たそうです。
とはいえ政権内部による鑑定は信用できない等、遺骨を巡る論争は続いており、調査も続行。
今回新たに遺骨鑑定が実施され、改めてニコライ二世一家の遺骨と判断されました。
ついに2018年のワールドカップがフィナーレを迎えました。
連休中のため、友達や家族と集まって深夜に観戦した方も多いのではないでしょうか。
私は声援を遠くに聞きながら…そのまま夢の世界へ行ってしまっておりました。残念!
ところで皆さん、カッパバッジをご存知でしょうか。
江戸城築城500年記念として行われた「第一回大東京祭」の記念バッジ「大東京祭記念徽章」がはじまりで、昭和34(1959)年の「第四回大東京祭」からその名の通り、カッパのモチーフが採用されたとのこと。
カッパのキャラクターを担当したのは、初代が漫画家清水崑さん、そして二代目が同じく漫画家の小島功さん。お二人とも黄桜のマスコット「カッパ」のキャラクターを手がけており、馴染みやすくてキュートなカッパのデザインはお手のもの。
猪熊弦一郎(1902−1993)は70年に及ぶ画業のなかでも、主に1970年代前半に発表した「Landscape」と題した抽象画と、「顔」をシンプルに描いた晩年の作品がよく知られています。いずれも自身が考える、より良い作品を絶えず求め続けた猪熊が、その時の自分だけに描ける絵画としてつかんだものでした。「Landscape」は、1955年の渡米をきっかけに具象画を脱した猪熊が、ニューヨークを拠点としていた約20年の間に得たテーマである「都市」から生まれた独自の抽象画として描いたもの、「顔」は、85歳で最愛の妻、文子を亡くした後に描き始め、画業の最後に具象も抽象も区別のない境地に至るきっかけとなった作品です。
本展ではこの二つの作品群を中心に、20代から折りに触れて描いた「風景」と「顔」の作品を出品します。晩年に「もう私の頭の中には抽象も具象もそんな言葉はありえない。」※ と言葉を残した猪熊。いつも変わらず大切にしていた「絵として美しい」ものを描くために余分なものをどんどん省きつつ、何ものにもとらわれずに描くようになっていった道程を、猪熊を代表する二つのモチーフを通してお楽しみください。
※『猪熊弦一郎の世界展』(株式会社三越、1990年)
今日7月15日は《夜警》で知られるレンブラントが誕生した日。そしてナイコーの語呂合わせで「内航船の日」となった日でもあります。ARTLOGUEでもこの日に関するコラムを今日公開させていただきました。
お恥ずかしながらコラムを書いて下さった谷川夏樹さんに伺うまで「内航船」という言葉を聞いたことがありませんでした。