京・大阪に近く、酒どころとして経済的にも文化的にも水準の高い町であった江戸時代の伊丹では、俳壇も栄え、文人墨客の往来もさかんでした。そうした中で蓄積された文化遺産に、岡田柿衞翁による新たな系統的収集を加えて成立したのが柿衞文庫です。 「柿衞」という名は、江戸時代に伊丹の美酒にひかれて訪れた文人たちが愛でた「柿」の木を「衞る」というところからつけられたものです。 文政12年(1829年)の10月のことです。漢詩人・学者として有名であった頼山陽が、同じく学者の篠崎小竹、画家の田能村竹田や高橋草坪らと箕面の紅葉狩をかねて伊丹へ来遊しました。当時、伊丹銘酒として知られた「剣菱」の醸造元坂上桐陰家で酒宴が開かれ、その席にみごとな柿−へたの周囲