ワタリウム美術館

梅沢和木 × TAKU OBATA<br>超えてゆく風景

ARTLOGUE 編集部2018/11/02(金) - 18:42 に投稿

梅沢和木とTAKU OBATAは二人とも2000年以降に活動を始めた同世代のアーテイストです。

梅沢和木の作品は、パソコンの中から素材となる画像を探し、それらをコラージュによって一つの平面に凝縮させ、それを印刷し、上からアクリル絵の具などで加筆して作られます。つまり画像と現実を行き来しながら作り出す「絵画」なのです。本展は、会期スタート後の梅沢和木の新作も展示に加えてゆきます。

TAKU OBATAは、デフォルメされているがギリギリ身体の構造を保った人間の動きと、コンピューターがフリーズした水平垂直だけのバグのようにもみえる激しくデフォルメされた衣服、この二つの関係を追求し不思議な空間を作りだす。さらにOBATAは、それをあえて木彫というクラッシックな手法で彫り上げます。

つまり二人の作品は、現実空間とデーターの中の世界を自由に行き来できる私たちの時代精神が作り出したもの。今回の展覧会では、重力や伝統から解放された二人の作品から、「超えてゆく風景」をのぞいて見たい。

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開催概要

「コンタクト・ゴンゾ フィジカトピア展」ワタリウム美術館 フォトレポート

ARTLOGUE 編集部2017/03/23(木) - 23:01 に投稿

前殴り、走る、
ぶつかり、転び、
ひざ破裂、驚き、
立ち上がりながら息を吸い、
背中に何か分からないが衝撃を受け、
また転び、歯が割れたりする。
だいたい3 秒位の出来事にこれらが全て収まる。
そこに色や形や光、もしくは思考や 時間の全てがある。
作品にメッセージや解答が無いことは予め伝えておきたい。
強いて言えば怠惰な身体が瞬間的に危機を迎え「リアクト」するということか。
「フィジカトピア」とは物理的な事実のみが理性や言語、
社会正義に対して優位を誇る瞬間的な空間である。
我々が高く手をかざせばフィジカトピアが立ち現れる。
殴られてるのに笑える。 Punching,
サイトより

声を大にして言いたい。「アートは育児を救う」。

Seina Morisako2016/08/02(火) - 14:09 に投稿
東京都現代美術館で開催された「おとなもこどもも考える ここはだれの場所?」。この展覧会は、家族と美術館の関係性を改めて問い直す画期的なものでした。 撮影:筆者 アートブロガーのSeina Morisakoです。私は現在、家族と一緒にシンガポールで暮らしています。シンガポールに転居したのは2年前の夏。それまでは東京で暮らしていました。 「子連れアート鑑賞日記」という子供と一緒に、子供向けでないアートも見に行くというコンセプトのブログを9年続けています。こちらは現在も継続中で、訪問場所を日本、シンガポール以外にも広げています。 私は10歳男子の育児中です。ブログ開始は約9年前。親子鑑賞歴は約9年目に突入しました。私のような変わり者の母親がなんとか育児を楽しめているのは「アートがあるから」と言っても過言ではありません。 私は声を大にして叫びたい。「アートは日本人の育児を救う」と。
画像を削除しました。

理由なき反抗 展 I LOVE ART 14

ARTLOGUE 編集部2018/05/30(水) - 17:58 に投稿
アンディ・ウォーホル 理由なき反抗(ジェームズ・ディーン) 1985 年 シルクスクリーン 9 色、9スクリーン 96.5 x 96.5 cm

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̶ どうしてこんな広告の作品(「ADS(1985)」の10点セット)をつくったんですか?
わからない。新しいことをやろうと思ってね。自分が好きなものをとりあげた。
̶ この日本のポスターは?
ああ、ジェイムズ・ディーンのポスターね。これ『理由なき反抗』のやつでしょう?
アンディ・ウォーホル

マイク・ケリー展 デイ・イズ・ダーン 〜自由のための見世物小屋〜

ARTLOGUE 編集部2018/02/02(金) - 23:44 に投稿

マイク・ケリー(1954-2012)は、アメリカの大衆文化を通じて、社会の奥深くに潜むさまざまな問題点をあぶり出しそれらをアートのフィールドに持ち込んだ、現代アートの最も重要なアーティストの一人である。 1世代前にポップ・アートの旗手として華やかに登場したアンディ・ウォーホルが表のスターだとすると、マイク・ケリーは裏の帝王だろう。 階級やジェンダーなどのマイノリティに対する差別、トラウマや暴力、性などを題材に痛烈な皮肉やユーモアを交え作品として発表しつづけた。

ワタリウム美術館では今回の展覧会を皮切りに、マイク・ケリーのさまざまな作品を複数回の展覧会としてまとめ紹介していく計画である。 まず「Day is Done」(2004-2005)という高校時代の「課外活動」の様子を写したモノクロ写真の再生の中で映像やインスタレーション、写真作品へと広がっていった大作を展示する。 ヴァンパイア、田舎者、ハロウィンの祭り、不機嫌な悪魔などを登場させ、ダンスや音楽、シナリオテキストなどすべてをマイク・ケリー自身がディレクトしている。