海と山が横たわる都市・神戸が舞台の芸術祭「港都KOBE芸術祭」
海と山が横たわる都市・神戸が舞台の芸術祭「港都KOBE芸術祭」。秋めいて来ました。旅行気分で散策してみましょう。
神戸開港150年を記念して、市内各地でアートイベントが開催されています。船で徒歩で自転車で、散策してみました。
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海と山が横たわる都市・神戸が舞台の芸術祭「港都KOBE芸術祭」。秋めいて来ました。旅行気分で散策してみましょう。
神戸開港150年を記念して、市内各地でアートイベントが開催されています。船で徒歩で自転車で、散策してみました。
非在の庭 総集編
1981年8月8日-2017年12月24日
36年間、皆様には大変お世話になり、誠に有難うございました。 心より御礼申し上げます。 本展を持ちまして、アートスペース虹は閉廊させていただきます。 以後は同所におきまして、事後の整理に当たらせていただきます。 皆様のご健勝を心よりお祈り申し上げます。
アートスペース虹 熊谷寿美子
藤本は幼少期より⾃宅で⽗親が使わなくなったカメラ、映写機、オープンリールのレコーダーなど50-60 年代に最先端であった機器をおもちゃ代わりにして過ごしました。遊びの延⻑でテープの⾳を切り繋いだり、ラジオのノイズを録⾳していた経験は、後年当時としては珍しく全室スピーカーの設備が備えられた⼤阪芸術⼤学の電⼦⾳楽のコースへ進むきっかけでもありました。電⼦⾳楽もアナログからデジタルへの移⾏期を迎える頃「スピーカーから発する⾳が全て等質に聞こえる」経験をした藤本はやがてスタジオを出ます。そして再び⾃宅で藤本が⾒つけたものはおもちゃのオルゴールでした。⼤きな⾳を作ることから⼩さな⽣の⾳を聞くことへの転換における新鮮な驚きと共に、⾳とは共鳴する空間そのものである、という気づきはその後の制作に⼤きく影響を与えます。また幼少の頃よりそうとは知らずに印象付けられていたマルセル・デュシャンの世界に⾜を踏み⼊れ、さらにジョン・ケージを⾒直し検証するに⾄ったのもこの時期のことです。
1970 年代のコンセプチュアルでストイックな表現に対する反動から、80 年代の日本では絵画や彫刻の復権が唱えられ、好調な経済状況を背景として、色彩豊かで伸び伸びとした筆遣いの「ニュー・ペインティング」などが広まりました。
しかし、90 年以降の美術は、むしろ「おたく」など80 年代のサブカルチャーに影響を受けた表現が主流となります。そのため、それ以降、80 年代の美術は参照されることが少なくなってしまいました。近年、「具体」や「もの派」など1970 年代までの戦後日本美術に関する研究が国内外で急速に進んでいます。今こそ、70 年代と90 年代のはざまにある80 年代の日本美術について深く見つめる時期に来ていると言えます。約30 年を経た今日から振り返ると、80 年代は、今日の美術において重要なインスタレーションという形式、作品制作への参加や社会との関係への意識、オルタナティブ・スペース、 メディア・アート、「美術」という制度を相対化する視点、日常性や軽やかさを大切にする感性などが新たに生まれた、充実した時代であったことがわかります。本展では今日の視点から80 年代の日本の美術を見詰め直し、「起点」となる作品を紹介します。