連載「ARTS ECONOMICS(アーツエコノミクス)」はARTLOGUEが提唱する文化芸術を中心とした新しい経済圏である ARTS ECONOMICS の担い手や、支援者などの活動を紹介する企画です。
アーティストや文化芸術従事者のみならず、ビジネスパーソン、政治家など幅広く紹介し、様々に展開されている ARTS ECONOMICS 活動を点ではなく面として見せることでムーブメントを創出します。
ARTS ECONOMICS バックナンバー
第一回 アートは ”人間のあたりまえの営み” マネックス 松本大が語るアートの価値とは…
第二回 リーディング美術館の提言をしたのは私だ。参議院議員 二之湯武史の描くビジョンとは
第三回 生粋のアートラバー議員 上田光夫の進める街づくり、国づくりとは
第四回 チームラボ 猪子寿之。アートは生存戦略。人間は遺伝子レベルで最も遠い花を愛でたことで滅ばなかった。
第五回 スマイルズ遠山正道。アートはビジネスではないが、ビジネスはアートに似ている。「誰もが生産の連続の中に生きている」の意味するもの。
第六回 ストライプインターナショナル石川康晴。岡山のパトロンが描く「瀬戸内アートリージョン」とは。アートと地域とビジネスの関係性
真っ暗で誰も近寄る人がいなくて困っている土地?
造船所跡地、アーティストの活躍の場へ
鈴木:芝川社長とアートの出会いを教えていただけますか。
芝川:そんなに昔の話ではないです。以前はアートに全く興味がありませんでした。
1988年に名村造船所へ貸していた4万2千平米の土地が返還されることになりました。
当時はまだ不動産バブルの頂点を迎える前で、土地は貸したら借りた人のものという時代で、返ってきてラッキーという感覚でした。
通常、返還する前には原状回復ということで元の状態に戻して返してもらわないといけないのですが、そのためには数億単位のお金がかかります。
そこまで強いるわけにはいかないので、現状のままで良いということで返してもらいました。
しかし、旧運輸省の工業港区という規制と旧建設省の工業専用地域という2つの網が掛かっていて、新しい活用を考えてもなかなか身動きができない状態でした。
色々考えているときにライブスペース STUDIO PARTITA(スタジオ パルティッタ)というものを思いつきました。用途がゲネプロスタジオの場合、劇場や教育施設のような具体的な規制がないのでそれをやってみようと思いました。
寺田倉庫の東芝EMIのレコード会社のスタジオや、山下達郎の芝浦の冷蔵倉庫内に有るスタジオを見に行ったりして、とにかく音響のしっかりしたものを作ったのですが、実際には利用するアーティストが非常に少なかったんです。
例えば桑名正博は音楽に対してシビアな人間で、「大阪にはバックバンドがいない。俺がやろうと思うとベーシストやドラマーを全部東京から呼び寄せないといけない」と言うわけです。
B’zの稲葉さんや松田聖子などの有名人も来ていますし、色々なサインもありますが、短期間の利用はあったものの本来の業務であるスタジオとしてはあまり使用されず、造船所の敷地自体はしばらく暗黒の時代を迎えていました。
そんな時に、とあるパーティで小原啓渡(こはらけいと)*さんと会いました。彼に、真っ暗で誰も近寄る人がいなくて困っている土地があるという話をしたら、当時あかりのイベントをやっていたので暗いというキーワードに惹かれて勝手に見に来て。ここは面白いからなんとか僕を説得しようと、彼は実行委員会のメンバーを集めて「『NAMURA ART MEETING』をしたい」と言いに来ました。
小原さんに会ったのが正月明けの1月か2月ぐらいで、第1回の「NAMURA ART MEETING」は9月でしたので、一気に話がまとまりました。
記者会見を開いたときには記者が10人以上は来ていたと思います。それは僕らにとっては初めての経験で、色々とインタビュー受けました。
当時大阪では近鉄小劇場や大阪ガスがやっていた扇町ミュージアムスクエアが閉館になっていました。せっかくアーティストたちが活躍できる場所があって、これからというときに建物所有者側の事情で閉まっていくのは非常にまずいということで、「NAMURA ART MEETING」の実行委員会から長期間使わせて欲しいという要望がありました。
先ほど言ったように色々な規制があって、ここ(名村造船所跡地)は簡単に建物を建てたりできないので承諾しました。
不動産の契約では、普通借地の期間が通常30年でしたので、その期間は使っていいと言ったことが脚光を浴びることになり、記者も興味を持ったようです。
「NAMURA ART MEETING」時のインタビューで、「経済の三要素はヒトとモノとカネですが、これからは加えてブランドと情報の二要素が必要だろう」と発言しました。
造船所跡地も「NAMURA ART MEETING」を年に1回やっていくだけでは情報の発信量としても少ないしブランドも確立出来ないということで、コンスタントにあそこで何かをするために、そこを「クリエイティブセンター大阪」と名付けて小原さんが運営に関わることになったのが名村造船所跡地のスタートです。
*登録有形文化財である近代建築をリノベートした劇場「アートコンプレックス1928」を設立、プロデュースしたノンバーバル・パフォーマンス『ギア』は、2018年4月にはロングラン7年目に突入し観客動員数20万人を突破した。アートの拠点づくり、アート支援の活動を行っている。「アートコンプレックス」統括プロデューサー。
ラバー・ダックが入口となったアートの世界
アートとの関わりはラバー・ダックからだと思います。2009年に大阪で「水都大阪2009」というイベントが行われたのですが、その前の段階の2006年に、設立時準備委員会メンバーのヨーロッパ視察に、僕と小原さんも一緒に参加しました。
フランスのストラスブールやル・アーブルからナントに行きました。
ル・アーブルで見たロワイヤル・ド・リュクス(Royal de Luxe)の「スルタンの象と少女」は感動しました。
メインは巨大な操り人形と、半分油圧で動くようなロボット的な象で、それが町中を練り歩いてストーリーを演じるというものでした。
ロケットで地球に落ちてきて最後は天に上がっていくという、西洋版かぐや姫といった感じのストーリーで、最後はル・アーブル海岸でロケットに人形が入り、象が鼻を動かして別れのシーンというときに何万人という人が涙していました。
鼻の動きなんて限られたバリエーションしかないのに人に感動を与えるのはすごいなと思いました。
僕はそういった人に感動を与えることができる能力はありませんが、そういう人達を支えることはできるなと感じました。
その旅行がアートに関わることになった1つの大きなきっかけですね。
次の視察地ナントでは、2007年から2年ごとに3回行われた「ロワール・エスチュアリー・プロジェクト(Loire Estuary Project)」のパンフレットを頂きました。
「ロワール・エスチュアリー・プロジェクト」はナントからサンナゼールまで、ロワール川沿いの約64キロに渡って作品が展示されるアートプロジェクトです。
そのパンフレット中に河口のサン=ナゼールの潜水艦基地跡に「あひる」を浮かべるというプロジェクトが紹介されていました。
そしていよいよ2009年が近づいてきたときに当時の橋下徹大阪府知事のちゃぶ台返し発言が有り、最初の概算予算規模の30億が9億まで減ったことで、当初構想していた水に係わるアート作品の展開が出来なくなりました。
その時に、ふとナントのパンフレットで見たあの「あひる」のことを思い出したんです。
調べるとロッテルダムにいるアーティスト フロレンタイン・ホフマン(Florentijn Hofman, 1977年4月16日~ )の作品だということがわかりました。それで2009年2月にホフマンさんに会いに行き、バタバタと8月の展示に向けた準備を始めたのです。
ホフマンの作品《ラバー・ダック》は、もともとお風呂に浮かべるバスダックを大きくしたもので、平和の使者としてアヒルが世界中を回るというコンセプトでした。
ただ、《ラバー・ダック》を見ても誰もアート作品とは思わないかもしれない。子供が見て「でかい」とか「かわいい」と言った気持ちがアート作品の力で生み出されたものだと成長して思い出して欲しいと言う気持ちがありました。
そこでラバー・ダックのミニチュアにタグをつけて、そのタグの中にホフマンの想いを英語と、日本語でつけて売りました。
ミニチュア ラバー・ダックを最初は1,500個ほど作ったと思います。それがあっという間に完売して、転売屋がヤフオクで1,000円のものを8,000円くらいで売っていました。
すごいなと思いましたね。そんなに人気があるならアートも、そこそこのビジネスになるなというのもわかりました。
アートフェア東京の会場でカップルの会話を聞いていると「自動車ショーへ行っても車ってどれも変わり映えしないけど、アートフェアに行くと立体もあれば平面もあるし、色んなものがあってバラエティに富んでいるからこっちのほうが楽しい」と言っていました。
ある女の子は、小さなドールハウスみたいなものが12,000円くらいで売っていて、それを欲しがっているんです。これを買うとなると、彼女の収入からすれば、他の、例えば夏の新しい服を諦めるということになるのかもしれません。
それだけこの12,000円のアートに力があるということにまた感心し、面白いなとなっていきましたね。
鈴木:ラバー・ダックをきっかけとして徐々にアートに入り込んでいったということでしょうか。
芝川:一方で自社の不動産関係で「NAMURA ART MEETING」などをやることによって、いわゆる狭義なアートではなく広義なアートといいますか、クリエイティブ方面の関係者の方との交際が生まれました。
鈴木:それまではそういった関係はほぼなかったのですか。
芝川:全くありませんでした。ただ未だにいい年をして好奇心が強いです。新しいことが非常に好きで、なんでもすぐ首を突っ込みたがるので。
鈴木:現在、おおさか創造千島財団や千島土地さんのアートの支援活動はどういったことをなさってるんですか。
芝川:千島土地では、アートへの支援金を広告宣伝費で処理することが難しいので、千島財団を通じて助成金という形で活動を支援しています。色んなことをやり出すと助けて欲しいという話が来るのですが、僕の親しい人だけが助けられるというのも不公平ですし、僕の知識の範囲は限られているので、財団に助成申請して貰い、助成選考委員会のメンバーが選考して助成先を決めています。
その他にも、営利企業としてはやりにくい活動なども、財団を通じて行うようになりました。
鈴木:資産管理のためというわけではないのですね。
芝川:財団には資産を持たせていないので、違いますね。
例えば「MASK(MEGA ART STORAGE KITAKAGAYA)」。アーティストは大きな作品を作る場所や保管する場所に困っていますが大金を払ってまでは預けられない。
千島土地が保管場所を貸すならお金をもらわざるを得ませんが、財団だったら無料でできるということで「MASK ( MEGA ART STORAGE KITAKAGAYA)」は財団が運営管理をしています。
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■ヤノベケンジ《ジャイアント・トらやん》《ラッキードラゴン》ファイヤーパフォーマンス
鈴木:財団には、寄付という形で千島土地さんがお金を出しているのでしょうか。
芝川:毎年の運営費の大部分は、千島土地株式会社及び関連会社から寄付をしています。
アートで不動産を活用する「北加賀屋クリエイティブ・ビレッジ(KCV)構想」
鈴木:「KCV(北加賀屋クリエイティブ・ビレッジ)構想」の話をお聞きかせねがえますか。
芝川:KCV構想は、ある旅館が廃業し、建物付きで土地が返還されたことをきっかけに始まりました。クリエイティブセンター大阪を運営しているリッジクリエイティブがその建物を借り受け、アーティスト向けの宿泊施設「AIR 大阪」の運営をスタートしました。
これをきっかけとして、「北加賀屋クリエイティブ・ビレッジ(KCV)構想」のもと、アートで不動産を活用する試みが始まりました。
その頃、土地を返してもらう時に建物付きで返還してもらうことが増えていましたが、誰も住まないで残していたら気が付けば腐っていて、建物を空き家で置いておくと大変なことになるので、誰かを住ませることが大事ということと、AIR大阪などの活動が上手につながったということです。
アーティストは高い家賃は払えません。うちとしても建物を引き取ると、固定資産税と都市計画税+火災保険料が支出になります。
普通の不動産として賃貸するために建物を改装すると結構費用が嵩み、その費用を短期間で回収できるぐらいの家賃は取れませんが、改装せずそのまま貸すのであれば、地代に建物に係わる税金分ぐらいを乗せても、家賃としては非常に安いのでアーティストは喜びます。
だったらアーティストに安く貸してアーティストは自分でスキルを持っているので躯体に影響を及ぼさない限りは自分たちで改築も許可し、原状回復義務を免除するほうがいいですよね。
ある意味WIN-WINの関係です。我々は従来の土地賃貸同様の収入があるし、アーティストも安い家賃で住めるし、自分たちが改築しても好き放題してそのまま出て行ってもいいですよというのが、北加賀屋クリエイティブ・ビレッジ構想の根幹です。
今40軒ぐらいあって、アトリエで使っている人もいれば住んでいる人もいます。
例えば以前家具工場だった「コーポ北加賀屋」には、最初はNPOremo*とdot architects(ドットアーキテクツ)**が入居し、大きい物件ですが当初は3万円ぐらいの家賃でした。
芝川:2社ではとても使い切れないので、全体を9ブロックにして彼らが気に入った人たちを入れて階段式家賃という形で始めました。徐々に家賃を上げていき、今は30万円ぐらいになったんじゃないかな。
鈴木:北加賀屋地域の、アートを活用したジェントリフィケーションを目指しているのですか。
芝川:そうですね、戦後間もない1950年頃の北加賀屋の航空写真を見ると空地だらけ。ほとんどは沼と葦の野原だったと聞いています。当時の大阪の人口は200万人くらいで、あと30年ぐらいするとほぼそのぐらいに大阪の人口が減るので、この地域が沼と葦の野原が広がる元の姿に戻っても何ら不思議ではない。
土地も建物も今ほど必要なくなるから、とりあえず差別化することは必要だと思っています。
だから差別化をしていこうという意味でジェントリフィケーションみたいになっているとは言えるかもしれません。
*NPO法人記録と表現とメディアのための組織。2002年より活動開始。大阪を拠点に、ビデオアートの紹介やワークショップ、トークなどを実施している。
**建築設計事務所。大阪・北加賀屋を拠点に、建築設計だけに留まらない活動を展開。多数のアートプロジェクトにも関わり、第15回ヴェネチアビエンナーレ国際建築展で審査員特別賞を受賞した日本館の展示にも出品、高い評価を受けた。
「メセナ大賞」受賞で加速
活動が地域に育むもの
芝川:経営者というのは自信満々で経営をしているのではなくて、果たして自分の向かっている方向が正しいのかというのは分からないのですが、企業メセナ協議会のメセナアワード 2011にて「メセナ大賞」を受賞したことが加速のきっかけにはなっています。
鈴木:こういった物件は増やしているのでしょうか。
芝川:もちろん不動産事業従来の活用の仕方もしていますよ。必ずしも全てがアートに特化しているわけではなく、ケースバイケースです。
鈴木:クリエイティブ・ビレッジ構想および名村造船所の活動を開始されてから、北加賀屋の人口が増えたとか、地価が上がったなど具体的に何か効果は表れているのでしょうか。
芝川:人口は増えてないですが、地下鉄の乗降客は間違いなく増えています。
例えば「すみのえアート・ビート」の時期やコスプレのイベントをやるときも当然増えています。北加賀屋クリエイティブ・ビレッジ構想でここへ移住してきた人もいます。
2007年経済産業省認定の近代化産業遺産に、大阪では綿業会館と名村造船所大阪工場跡地が選ばれたんです。
これを行政としては生かさない手はないと地元住之江区が「近代化産業遺産(名村造船所大阪工場跡地)を未来に活かす地域活性化実行委員会」という名前の長い組織を立ち上げました。
それまで当社は不動産事業の特性から利益相反となる借地人と疎遠な関係でしたが、こういう組織ができて行政が大きな要になったことにより、我々と一般に住んでいる方々・借地人・借家人たちがこの組織のもとに集まることによって、この地域を一緒になんとかしていかなければならないという意識も生まれました。
近代化産業遺産に選ばれたのは従来の疎遠な関係が、解消の方向に向かっていく1つのポイントになっていると思います。
もう1つ、今はもうなくなりましたが、北加賀屋に移住したアーティスト達が運営していた「ク・ビレ邸」というカフェ・バーがありました。
名村造船所跡地でコスプレイベントが頻繁に開かれているんですが、そうすると地下鉄が到着する概ね10分間隔で、北加賀屋駅から無言の集団がキャリーケースを引いて、造船所跡地へ行くわけです。それは従来ここに住んでいる人たちにとっては異様な景色なんですよね。
一体何が起きているのかというのを、我々ではなく、ク・ビレ邸のスタッフが平易な言葉で、我々の意図していることを地元の人に伝えてくれていたので、地元の方々にも我々の考えが広がっていく役に立ちました。
この両方で地元とも非常にいい関係になってきているのではないかと思います。
ノンコレクションポリシー!?根底には応援したいという思い
鈴木:芝川社長のコレクションについてお聞きかせねがえますか。
芝川:コレクションポリシーがないのでいつも怒られています。
例えば、京都造形芸術大学の卒展へ向かっている時に、名和晃平が、清川あさみと結婚した話を聞いたのですが、卒展に1字違いの女の子、清岡あさみさんという作家の作品があったので買いました。購入のきっかけはそんな感じです。
力を入れているのは森末由美子。あと香月美奈や大和美緒の作品も好きですね。そのへんがわりと気に入っていますがポリシーは特にありません。
鈴木:やはり関西にいらっしゃることもあって、関西の作家が多いなという印象を受けますが。
芝川:プラットフォームづくりが基本なので、関西の人を助けてあげたいという意識は強いです。別に有名な人を買いたいという気は全くありませんし、なんらかの助けになったらいいなというのはありますよね。
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鈴木:これだけコレクションをされていたら、体系化しましょうなど提案されませんか。
芝川:社員から提案されました。
社員:個人のコレクションは自由にしていただいてかまいませんが、会社として買う場合はもう少しなにかしらの方針があったほうがいいんじゃないですかと言われることは確かにありますね。ただギャラリーさんが営業で来るという感じではないです。
芝川:アート大阪でも、ご縁があってMORI YU GALLERYで藤原康博君の作品を買っています。僕の感性に合っているかな。
それから過去作を収蔵している後藤靖香の作品を会社で買おうと思っていますし、北加賀屋にアトリエを構えている女の子、堀川由梨佳さんの作品も買おうと思っています。
鈴木:会社で買う場合と個人で買う場合では何が違うのでしょうか。
芝川:別に何も決めていません。
価格でもないし、会社でご縁のある人はできるだけ会社で買って応援しようかなとは思っています。
今発注しているのは2つのアヒルの作品です。
鉄の錆のようなもので作品を覆う方と、金網で鳥などを作っている方に、アヒルのレプリカを渡して作ってもらっています。
だから目ざとい人に僕はアヒルか飛行機なら買ってくれると思われています。そんな感じであまりポリシーというか、もともとアートに興味はなかったので。
鈴木:個人と会社で購入の割合はどのくらいでしょうか。
芝川:数でいくと圧倒的に個人が多いと思います。
だけど本社ビル内に設置されている大きめの作品は殆ど会社で購入したものです。EVホールと地下通路にある 山本聖子さんの《frames of emptiness》は、2つ買うように頼まれたので、1つは個人で、1つは会社で買いました。
三宅砂織さんの《Voice of people,I here again.》シリーズは、芝川家の本家の写真をメインにして作品を作ってくれたので、会社で購入しました。
僕は、値上がり目的では買ってないです。有名になってくれたらいいなと思っているのは、例えば香月美奈さんとか、大和美緒さんとか、それから最近買っているものだったら能條雅由君、あと、NiiFineArts所属の笠井遙さんも有名になってくれたらいいなとは思っています。
ただ大庭大介さん位になると大きな作品だと200万円以上だというのでもう手が届かないですね。
鈴木:作品購入の目安は100万円以内ぐらいですか。
芝川:そうですね。1番高いものは350万円したけど。
鈴木:税制が変わって100万円以下は減価償却できるようになりましたが意識はしていますか。
芝川:税法で許される償却は取っていますが、だから購入価格に上限を設けているということはないです。
鈴木:今後コレクションを展示するような美術館構想などはありますか。
芝川:美術館構想ではないですが、2022年にうちが株式会社として110周年を迎えるんです。その記念に本社近くに資料館的なものを建てようかと考えてます。
その完成までにお雛様など芝川家ゆかりの品を少しずつ買い戻して保管しようとしています。
鈴木: アートは展示はされるのですか。
芝川:展示スペースにする気は今のところはあまりないのですが、友人にも相続人のいないコレクターは結構いるんでコレクションを預かってくれと言われています。
鈴木:事業になるのでしょうか。
芝川:箱を作ればきっと頼んでくるだろうなとは思います。ですが有償で預かるといってもお金を出せるようなものでもないでしょうし。永久寄託みたいにしてもらうのか、それはわかりません。
どれぐらいの大きさの施設を作るかとか、書籍類が増えると重たいので構造体をしっかりさせる必要があります。
鈴木:ありがとうございます。芝川社長のアートとの関わり方は支援が1番ですか。
芝川:プラットフォームづくりですね。特に不動産のほうは完全に不動産そのものがプラットフォームですので。
そこでどのようにするかは皆さん自由で、例えばdot architectsみたいにヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展で賞を獲るということになると、非常に僕はうれしいし、小原啓渡さんも、名村造船所跡地での活動がキャリアにとってスプリングボードになっていると思うので、見返りは別にこちらは求めていませんが、ここを起点に活躍してくれるのはありがたいと思います。
こちらを踏み台にしてもらって僕は構わないと思っていますので。
鈴木:今は自分から情報を探しにいくというよりは、向こうから来るといった感じでしょうか。
芝川:この間もパリの13区にすごい壁画の街があることを知り、それをわざわざ行って写真を撮ってきました。
北加賀屋でも地元の物件に描かれた壁画がすごいことになっているんです。SNSで発信されているので、日頃北加賀屋で見かけないインスタ好きな女子「カベジョ」が結構来て、地図を頼りにうろうろしていたりしますね。
Le 13e arrondissement de Paris regorge d’œuvres street-art ! INTI, Obey, David de la Mano, C215... Venez découvrir les fresques des plus grands artistes de la capitale lors de notre visite guidée : https://t.co/ucx5xheifh pic.twitter.com/9t84lssLm5
— Paris ZigZag (@ParisZigZag) 2018年11月12日
アートが会社の雰囲気を変えていく―
点在するクリエイティブ拠点をつないで、何かが生まれる場をつくりたい
鈴木:最後に、芝川社長のアートへの想いや考え、アートがビジネスや経済に及ぼす影響についてお聞かせください。
芝川:最近アートと経済を結びつける書物が増えてきていますし、世の中は成熟してきているので、アート的な意識を持って経営に臨んだほうがいいのかなと思っています。
オフィスでは社員の服装の一新を目論んでいます。服装が変わると相手の見る目が変わるので、目に見える成果が出ると思います。
鈴木:面白そうですね。イノベーターと言われている方の講演でも、おじさん達がみんな同じ服装しているんですよ。ビジネススクールで僕はTAをしていたのですが、土曜日なのに全員、白いシャツを着てスラックスを履いておじさんたちが並んでいるんです。イノベーションと程遠いなと感じました。
芝川:カジュアルといったらゴルフウェア以外持っていない人が多いんだよね。
鈴木:他に何かアートに対する熱い想いがあれば教えていただけますか。
芝川:地域創生・社会貢献事業部を作ってから、結構会社の雰囲気が変わっているとは思います。
実は僕は目立つことを行うのが嫌いだったのです。分家の出なので、分家がずうずうしく目立つことは嫉妬の連鎖の的になるので。ところが文化事業などをやり、古い歴史を発掘したりしたら、株主のみなさんが喜んでくださって。
地域創生の部署には他部署との兼任含め7人ぐらいいるのかな。僕が変に口を出すと思わぬ方向に行ってしまうのでできるだけ任せています。
昨年度は財団事務局が大阪府市に提案し「Osaka Creative Archipelago(オオサカ・クリエイティブ・アーキペラゴ)-大阪府内に点在する多彩なクリエイティブ拠点をつなぐ試み-」というプロジェクトをやりました。振り返ってみれば結構大変でしたけど非常に面白かったですね。
点在する人たちをアーキペラゴで結んでいましたが、終わったらみんなバラバラになってしまっているので、そういった人たちが一堂に会する場をうちで用意してあげようかと思っています。
どんな頻度でそこを利用するかはわからないのですが、月に1回、もしくはふた月に1回、行けば誰かがいるような形にしておいたら、興味を持っている人や色んな人が来てくれて、そこからまた何か生まれる、そういった場を作ってあげたいなと思っています。
鈴木:今後共、活動に期待しています。今日はありがとうございました。
(了)
芝川 能一(しばかわ よしかず)
昭和23年兵庫県生まれ。昭和42年甲南高校卒業。昭和47年慶応義塾大学経済学部卒業後、住友商事㈱入社。昭和55年千島土地㈱入社。平成17年代表取締役社長に就任、現在に至る。千島土地㈱は江戸時代から続く豪商 百足屋(芝川)又右衛門の資産を引き継ぐ不動産会社で、現在は土地・建物の賃貸に加え航空機リースも手掛けるほか、所有不動産周辺エリアのまちづくり活動にも積極的に取り組んでいる。