A-Lab Exhibition Vol.16「飯川雄大個展 デコレータークラブ 配置・調整・周遊」<br>アーティスト・トーク(全3回)

ARTLOGUE 編集部2018/12/07(金) - 18:37 に投稿

本展覧会期中に、キュレーターやアートプロジェクトのディレクター、建築家など第一線で活躍されているゲストの方々を迎え、飯川雄大とのトークイベントを行います。全3回を通して参加することで、本展覧会がより深く、より面白く感じられるこちらのイベントに是非足をお運びください。お越しいただいた方に、「飯川雄大オリジナル缶バッチ」をプレゼントします!

澤田知子展「影法師」

ARTLOGUE 編集部2018/12/05(水) - 20:47 に投稿

MEMにて澤田知子個展「影法師」を開催します。

影法師

前作FACIAL SIGNATUREから取り組んでいる「どうやって人は人を判断するのか」という疑問は未だ解決しないままですが、ずっと作りたかった作品、でもどうやったら形にできるのか分からなかった映像作品が、実は「どうやって人は人を判断するのか」ということを考えることに繋がると気がつきました。作るにあたって少々秘密を組み込みましたが、最終的に写真の基本でもある光と影の表現として完成しました。

澤田知子

 

omnis「EVOLVING -イメージの解体リアリティヘの挑戦-」

ARTLOGUE 編集部2018/12/05(水) - 15:05 に投稿

「EVOLVING」という主題は、現代美術家金子透が1992年にアートディレクトした展覧会の名称です。展開して深く掘り下げるという現代美術の基本的姿勢を実践する意味での命名であり、これは現在の金子の姿勢でもあります。

本展について金子は次のように語ります。

2000年からの個展ESPACEシリーズで、私は一人の偉大な芸術家との出会いを機に、深く掘り下げる姿勢を更に強めました。私はこの意志を受け継いだアーティスト達と「omnis」というグループを立ち上げ、かつての意味を込めるため、我々の展覧会を「EVOLVING」としました。「イメージの解リ体アリティヘの挑戦」、ここでのイメージとは観念化されたイメージのことで、言葉の外の表現こそが美術に貢献できると信じるが故の副題です。リアリティとは鑑賞者の相対的な感じ方による結果です。いずれも観念的に理解して見るということではなく、美味しい、暖かい、などを感じることと同様に、作者の精神の浄化の結果としての作品に同調し、新しい体験をして頂ければ幸いです。

2017年に続く2回目となる本展覧会では、新作を含むドローイング・ペインティング約30点を展示します。是非ご覧ください。
 

アナザー・ストーリー /人の数だけ、物語がある。

ARTLOGUE 編集部2018/12/05(水) - 14:33 に投稿

マリー・ローランサンの《扇を持つ若い女》(1913年)、パブロ・ピカソの《首飾りをつけたジャクリーヌの肖像》(1959年)、アンディ・ウォーホルの《マリリン・モンロー(マリリン)》(1967年)。いずれも、30歳前後の女性の顔をクローズアップしています。人生の激動期を迎えていた画家ローランサン自身の30歳の顔、14年後にピカソの最期を看取ることになるジャクリーヌ・ロック32歳の顔、そしてアメリカ中の憧憬を集めながら1962年に36歳という若さで亡くなった女優マリリン・モンロー27歳の顔です。異なる時空を生きた同年代の女性たちをめぐる物語が、優れた芸術家たちの手によってそれぞれ鮮やかに立ち上がっています。

本展覧会では、高崎市美術館のコレクションから「もうひとつの物語」を秘めた作品たちを選び、「人生の中の顔」「物語る絵画たち」「戦争と美術」などをキーワードとして読み解いていきます。

企画展「モダンデザインが結ぶ暮らしの夢」

ARTLOGUE 編集部2018/12/05(水) - 13:12 に投稿

1928年初の国立デザイン指導機関として仙台に工芸指導所が設立されると、1933年に来日中のブルーノ・タウト(1880-1938)が顧問に招かれ、剣持勇(1912-71)らの指導にあたります。同年アントニン・レーモンド(1888-1976)と高崎の実業家、井上房一郎(1898-1993)が、井上の手がける軽井沢の家具工芸店「ミラテス」で出会います。翌年井上はタウトを高崎に迎え、銀座にも出店した「ミラテス」でタウトデザインの工芸品を販売します。同時代、世界、そして日本各地で、モダンデザインに託してよりよい暮らしを夢みた人々の交流がありました。工芸デザインが装飾から機能へ移りゆく時代の中、装飾が美であったように、機能もまた新たな美でした。そして世界的な建築家やデザイナーが、日本建築や意匠に機能性を見出したまなざしと、椅子や電気照明に代表されるモダンデザインを風土になじませようとする日本の工芸関係者のまなざしとは、ひとしく同時代同歩調のものでした。やがてその夢は、機能の枠にはおさまりきらない趣味性を帯び始めます。モダンデザインという同じ苗床から芽吹いた夢は、その後ひとりひとりの中でどのように育ったのか。そして戦争によってひとたび潰えたかに見えたその夢は、どのように受け継がれたのか…。