イメージコレクター・杉浦非水展

ARTLOGUE 編集部2018/12/11(火) - 13:33 に投稿
杉浦非水(1876-1965)は、日本のグラフィックデザインの創成期に重要な役割を果たした図案家の一人として知られています。当館では非水のご遺族から1997年に一括寄贈されたポスター、絵はがき、原画など700点以上にのぼる作品を所蔵しています。 本展では非水の代表作である三越のためのポスターをはじめ、数多く手がけた雑誌の表紙デザインや装丁の仕事、身近な動植物を描いたスケッチなどを展示し、19年ぶりに当館の非水コレクションを一堂にご紹介します。 さらに今回は、非水が手元に残した海外の雑誌やスクラップブック、非水が撮影した16mmフィルムの映像など、貴重な旧蔵資料も初公開します。非水が何に関心を持ち、何を集めていたのか、図案の創作にいたるまでのプロセスと「イメージの収集家」という側面に焦点をあて、非水の多彩な活動を改めて検証します。 【前期】2019年2月9日(土)~4月7日(日) 【後期】2019年4月10日(水)~5月26日(日) 【会場】東京国立近代美術館 本館2階 ギャラリー4

西洋ちょこっとアンティーク ― 1935年、小林一三の欧米旅行記から

ARTLOGUE 編集部2018/12/11(火) - 13:32 に投稿
1910年代、箕面有馬電気軌道(阪急宝塚線)を開業し、宝塚少女歌劇(宝塚歌劇)の公演を始めた小林一三。1920年代には宝塚ホテル・阪急百貨店を開き、洋風の生活スタイルを関西にも広めた。そして1930年代、東京宝塚劇場や各地の映画館を次々に開場し、最新の娯楽で人々を楽しませていた。 そんな「昭和モダン」の真っ只中、1935年、小林一三は初めて欧米へと外遊する。電車や歌劇など、大正時代、既に西洋の文化を自らの仕事の一部としていた一三であったが、実は自身では欧米の実状に触れた事が無かった。その1年間に及ぶアメリカからヨーロッパを巡る旅の途次、一三は各国の美術館・博物館を訪れ、また各地で様々な美術工芸品を買い入れている。陶磁やガラスの器、扇や手箱などの装飾品に至るまで、品目は多岐にわたる。ところがアール・デコなど同時代のモダンな製品よりも、むしろ歴史や伝統を感じさせるアンティークといえる品物に、一三は関心を持ったようだ。 本展では、日々の旅行記とともに、外遊記念として持ち帰った品々を展示し、当時、小林一三が抱いていた西洋文化に対する想いをたどる。

若き日の川喜田半泥子

ARTLOGUE 編集部2018/12/11(火) - 13:32 に投稿
川喜田半泥子は50代なかばを過ぎて本格的に陶芸を始めました。それまでの半泥子は社員、絵画、俳句、禅、海外旅行などで多くの人やものに触れ、人間力を養いました。 本展では、半泥子芸術の土台を築いた少年期から壮年期の文化活動とともに、若き日の半泥子に影響を与えた人や作品を紹介します。

芹沢銈介の収集 ー世界の仮面と衣装ー

ARTLOGUE 編集部2018/12/11(火) - 13:31 に投稿
型絵染の人間国宝として知られる芹沢銈介ですが、世界の工芸品の収集家としても広く知られています。 当館には芹沢の収集品4500点を収蔵していますが、この展覧会では、世界の仮面と衣装をご紹介いたします。 芹沢の収取の中でも仮面は260点に及び、日本をはじめ、アジア、アフリカ、南北アメリカなどのものが含まれています。 人間や神、精霊などを表現した仮面には、地域の文化が色濃く反映され、優れた造形感覚や印象的な表情を見ることができます。 また芹沢は、地域の伝統や暮らしから生み出される各国の衣装もこよなく愛し、伝統的な意匠、優れた素材、心のこもった手わざが感じられる世界中の品々を集めました。 この展覧会では、仮面と衣装、合わせて150点をたっぷりとご覧いただきます。 また、展示の前半部分には、のれんや屏風など、芹沢銈介の代表作60点を展示します。 【出品協力:東北福祉大学芹沢銈介美術工芸館】

イケムラレイコ 土と星 Our Planet

ARTLOGUE 編集部2018/12/11(火) - 13:31 に投稿
長くヨーロッパを拠点に活動し、国際的にも高い評価を得ているイケムラレイコの大規模な個展を開催します。イケムラは、絵画、彫刻、ドローイング、水彩、版画、写真、映像といったあらゆるメディアを駆使し、生成と変化の諸相を、潜在的な可能性までをも含めて表現しています。 少女や夢幻の像、幻想的なハイブリッドな生きものたち、人や動物と一体化した風景など、イケムラ独特の多義的なヴィジョンは、イメージからイメージへと、軽やかにそのあらわれを変えていきます。 そこには、生きている私たち、生まれいずるすべてのものたちの存在の多様性を、あるがままに受け入れようとするイケムラの強靭な思想が感じられます。 ときにユーモラスで、ときに慈愛にあふれ、ときに悲壮な、慎ましげで内省的な作品たちは、まさにこの点において、閉塞感を増している今日の社会情勢に対する鋭い批評でもあるでしょう。