クリスチャン・ボルタンスキー

クリスチャン・ボルタンスキー − Lifetime

ARTLOGUE 編集部2018/12/22(土) - 02:32 に投稿
クリスチャン・ボルタンスキー(1944年-)は、現代のフランスを代表するアーティストのひとりです。 1960年代後半より短編フィルムを発表し始めたボルタンスキーは、1970年代に入り、写真を積極的に用いるようになりました。 人が歩んできた歴史や文化人類学への関心を土台とし、写真やドキュメントとビスケット缶などの日用品を組み合わせることで、自己あるいは他者の記憶に関連する作品を多数制作し、注目を集めます。 1980年代に入り、明かりを用いたインスタレーションを手掛けるようになったボルタンスキーは、子どもの肖像写真と電球を祭壇のように組み合わせて展示した「モニュメント」シリーズ(1985年-)で宗教的なテーマに取り組みます。 それを発展させた《シャス高校の祭壇》(1987年)は、1931年にウィーンの高校に在籍したユダヤ人の学生たちの顔写真を祭壇状に並べ、その写真を電球で照らすというものでした。 肖像写真を集めて展示する手法は、大量の死者の存在、具体的にはナチス・ドイツによるユダヤ人の大虐殺とその犠牲者のイメージを想起させるものとして解釈され、大きな議論を呼びました。 第二次世界大戦期のユダヤ人の大虐殺は、ユダヤ系の父を持つボルタンスキー自身の問題とも結びつきます。 パリのグラン・パレの広大なスペースを生かし、大量の衣服を集積させた《ペルソンヌ》(2010年)など、その後もさまざまな手法によって、歴史や記憶、そして死や不在をテーマとした作品を発表します。 1970年代からドクメンタ(ドイツ・カッセル)やヴェネチア・ビエンナーレなどの現代美術国際展に招待され、活躍の場を世界各地に広げたボルタンスキーは、日本でも、越後妻有アートトリエンナーレや瀬戸内国際芸術祭などで積極的に展示活動を行い、2016年には東京都庭園美術館で個展が開催されました。 国立国際美術館、国立新美術館、そして長崎県美術館の3館が共同で企画する本展は、ボルタンスキーの初期作品から最新作までを紹介する、国内初めての大規模な回顧展です。1970年代から近年までのボルタンスキーの様々な試みを振り返ると同時に、ボルタンスキー自身が「展覧会をひとつの作品として見せる」と語るように、作家自身が会場に合わせたインスタレーションを手掛けるという構想のもとに企画されました。 半世紀を超える作家活動を経て、いまなお、積極的に創造を続けるボルタンスキーの広大なる芸術世界を紹介いたします。

残骸の山から見るアート:アートをおしきせ 20180913

ARTLOGUE 編集部2018/09/13(木) - 15:28 に投稿

森村泰昌さんのご自宅へ向かう途中にあったインスタレーションのような看板の残骸。

鶴橋近辺には飛ばされそうなお店の看板なども多そうだし、おそらく、先の台風で破壊されたものでしょう。

この看板の残骸の山を見て「アートっぽい」と思う人は少なからずいると思う。「美しい」ではないけど。

さて、この残骸を見た後、災害に関わる作品を出すことについての岡﨑乾二郎氏のツイートまとめを再読。

岡﨑氏の一連のツイートについての評価はさておき、なぜ、ゴミの山を「アートっぽい」と思うのか、岡﨑氏のツイートにこの様な記載があります。

「クリスチャン・ボルタンスキー アニミタス-さざめく亡霊たち」 東京都庭園美術館 : フォト & ビデオレポート

ARTLOGUE 編集部2016/10/11(火) - 18:18 に投稿

フランス現代美術界の巨匠クリスチャン・ボ ルタンスキーの展覧会が東京都庭園美術館で開催中です。

ボルタンスキーは、映像作品やパフォーマンス性の高い作品を 制作していた初期から現在まで一貫して、歴史の中で濾過される記憶の蘇生、匿名の個人/集団の生(存在) と死(消滅)を表現してきました。

会場の東京都庭園美術館は、旧朝香宮邸(1933年竣工、国の重要文化財)であり、アール・デコ様式の邸宅を改築した美術館です。 中に入ると一見、邸宅の調度品以外は何もないように思いますが、歩いていると、どこからともなく誰かの声が聞こえてきます。 これは、ボルタンスキーが旧朝香宮邸に往来していた人たちや、そこでの会話を想像し、しかし、実際に起きたことではなく、時空間を超越した匿名の存在としての「亡霊たち」に語らせた言葉です。
他にも、かつて書庫だった部屋では豊島でサンプリングされた「心臓音のアーカイブ」(2010年)より提供された、「誰か」の心臓音に合わせて電球が明滅する《心臓音》(2005年)や、大量の古着を黄金のエマージェンシー・ブランケットで覆った巨大な山のような《帰郷》(2016年)なども展示されています。