大地の芸術祭
「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」は、過疎高齢化の進む日本有数の豪雪地・越後妻有(新潟県十日町市、津南町)を舞台に、2000年から3年に1度開催されている世界最大級の国際芸術祭です。農業を通して大地とかかわってきた「里山」の暮らしが今も豊かに残っている地域で、「人間は自然に内包される」を基本理念としたアートを道しるべに里山を巡る新しい旅は、アートによる地域づくりの先進事例として、国内外から注目を集めています。
大地の芸術祭の里
3年に1度の世界最大級の国際芸術祭「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」の舞台となる、越後妻有地域(新潟県十日町市・津南町)を「大地の芸術祭の里」と呼んでいます。ここでは、1年を通して、地域に内在するさまざまな価値をアートを媒介として掘り起こし、その魅力を高め、世界に発信し、地域再生の道筋を築くことを目指しています。その成果発表の場となるのが、「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」です。
中之条ビエンナーレ
中之条ビエンナーレは2007年の開催より、海外作家も含めた多くの参加作家と地域住民との交流を続けてきました。伝統行事への参加や食文化での交流など、地域に積極的に関わってきた作家も多く、家族のような繋がりが続いているという話をよく耳にします。何よりも地域がそれを受け入れ、楽しんでいるということを大変嬉しく思います。中之条町に移住した作家の中には外国人作家も含まれ、山村に暮らす人々にとって異文化に触れる機会が少しずつ増えています。また、そういった交流は、自身の地域特有の文化など他者からの目線でないと気づき得ないことを私達に教えてくれます。このように、芸術文化国際交流は、自身の文化を知るための重要な役割となっています。
東京画廊+BTAP
東京画廊+BTAPは1950年に銀座にオープンし、2010年で開廊60周年を迎えました。 1956年の鳥海青児展、57年の萬鐡五郎展、加山又造展など、当初中心的に扱ったのは近代日本の具象絵画でした。1958年、美術評論家・瀧口修造の勧めにより、斎藤義重展を開催。以降、日本最初の現代美術画廊として、ルチオ・フォンタナ、イヴ・クライン、ジャクソン・ポロック、フンデルトワッサーなど、欧米の現代美術作家をいち早く日本に紹介。さらに高松次郎、白髪一雄、岡本太郎など、日本の現代アートをその後牽引してゆくことになる作家を取り上げてきました。また、1970年代には金煥基、李禹煥などの韓国人作家を招いて韓国現代美術の展覧会を企画し、1980年代には、
三鷹の森ジブリ美術館
吉祥寺通り沿いに三鷹の森を歩いていると、やさしい風合いの建物が出現。そばには「三鷹の森ジブリ美術館」の看板が立っています。看板の前に到着すると、おっきなトトロが受付でお出迎え。穴を覗けば、マックロクロスケもいます。実は、ここは、ニセの受付。トトロが本当の受付の場所を教えてくれます。トトロのニセの受付を通り過ぎれば、井の頭公園の森の木々に埋もれた地上2階、地下1階建ての建物が見えてきます。この、ちょっと変わった建物こそが「三鷹の森ジブリ美術館」です。正面の白い建物が本当の入口。扉をあければそこはもう不思議の世界です。窓やランプには、ジブリのキャラクターやすてきなお花、かわいい動物の絵が描かれた色とりどりのステンドグラスがはめ込まれてい
三菱地所アルティアム
三菱地所アルティアムは、1989年4月から三菱地所の文化支援事業の一環として、現代の様々な芸術表現を、既成の評価、ジャンルにとらわれることなく紹介・発信しているギャラリーです。より多くの人々と表現の場を共有し、新たな関係性、可能性を生み出す場となることを願っています。
山形美術館
山形美術館は、当時の山形新聞・山形放送社長服部敬雄が中心となって財団法人を設立し 、1964年8月に開館しました。山形における美術館建設は、終戦直後の山形県美術家協会発足以来の念願であり、用地や組織について検討を重ねた結果、民間主導で県と市が全面的に協力する財団法人による運営となりました。「公立美術館より一段と幅広い県民の美術館」という理念のもと、開館を迎えることができたのです。1968年には別館を開設。その後開館20周年記念事業として新館建設着工、地域性と近代様式をマッチさせた多層民家風の3階建て新館が1985年8月10日オープンしました。翌年10月には別館を改修。延べ床面積6,400平方メートル、8つの展示室(2,100平方メー