連載「表現の不自由時代」では、アーティストの活動や軌跡、「表現の自由」が侵された事例などをインタビュー形式でお伝えします。
本連載を通じて、「表現の自由」について考え、議論するきっかけが生まれ、より健全かつ自由な表現活動が出来る社会になることを期待しています。
掲載予定アーティスト
会田誠、岡本光博、鷹野隆大、Chim↑Pom 卯城竜太、藤井光、ろくでなし子、他
〈表現の不自由時代 バックナンバー〉
第一回 ルイ・ヴィトンや日清食品からの圧力のみならず、殺害予告、通報にも屈せず表現をつづけるアーティスト 岡本光博
第二回 なぜ女性器だけタブーなのか? 権力による規制に、アートの力で笑いながら疑問を投げかける ろくでなし子
第三回 エロや政治的表現で度々抗議を受けている会田誠。美術業界は自由?
第四回 広島上空でピカッ、岡本太郎作品に原発事故付け足したチンポム 卯城竜太。人間の存在自体が自由なもの
◯解放したいのはペニスじゃない。アートで「性」に対する意識の壁を揉みほぐし、拡張していく鷹野隆大(たかのりゅうだい)
鈴木:鷹野さんのこれまでの作家活動、コンセプトなどを教えてください。
鷹野隆大(以下 鷹野):あれやこれやとエッチなことを考えているうちに、恋愛をふくめた性のありようが、映画もテレビも小説も雑誌も、友人知人隣近所の人々も、案外なんだかワンパターンだと気付くようになり、そして気付いてみると、自分自身もそうした価値観にどっぷり漬かっていたことが見えてきて、それならば、ということで、こうしたことの一つ一つを剥がしながら、性に対する意識の壁を揉みほぐし、拡張してゆくという試みをしています。
[gallery 7114]
◯布で覆われた《おれとwith KJ#2(2007)》
鈴木:「これからの写真」展の《おれとwith KJ#2(2007)》などが匿名の市民による通報により本来の展示が出来ませんでしたが、何があったのか教えてください。
鷹野:事が起きたのは2014年8月です。まずは通報を受けてやってきた愛知県警の警察署員が、愛知県美術館で開催中の「これからの写真」展の僕の展示室を写真撮影して帰りました。それから3日後に県警の担当官から突如電話が入り、”陰茎”が写った写真は法律に抵触するから撤去しろと命じられました。それを受けた美術館との協議では、さりげなく別の作品に差し替えるという意見も出ました。しかし何事もなかったかのようにするのは良くないと僕は思いました。
展示にあたっては、弁護士と相談のうえで来場者に対する配慮を十分に整えていました(「裸なんか見たくない」という人が不意に見ることがないように入口は完全に閉じていた)。しかもメープルソープの写真集に対する最高裁判決が出ています(男性器の写った写真が多少あったとしても、本全体で考えたときに猥褻物と言えるかどうかで判断するべし)。
本という社会に開かれた媒体で問題ないのなら、入場料を徴収する展覧会では問題になり得ないだろうと僕は考えていました。実際、展示作品は性器を強調したものではありませんでしたし、”陰茎”が写った作品もメープルソープの判例に基づき、全体の一部に押さえていました。オープニングの日に会った人は、入り口の厳重さに驚いて、その理由を尋ねてきました。そこで、ペニスが写った作品を指差すと、「あ、言われてみれば」と初めて気付いたようでした。
ところが警察はこうした経緯を一切認めず、撤去を命じたのです。これが本当に法に触れるかどうかは裁判所が決めることです。本来なら裁判所で白黒つけるべきなのでしょうが、僕はペニスの解放運動をしているわけではありません。何年にもわたる法廷闘争をする気力は持てませんでした。
◯「これは違法?」警察の見解を来場者に問う
そこで僕のとった対処法は、「これを違法とする警察の見解を来場者に問う」いう内容に展示を変更することでした。おちんちんがダメだというなら、隠すまでです。手札程度の小さな作品にはトレーシング・ペーパーを貼りました。等身大より大きな作品には布をかけることにしましたが、その際、胸のあたりまで覆って二人で仲良く布団にくるまっているイメージにしました。
何かを隠すということは、そこに隠さなければならない何かがあるということを意味します。当然、人々の意識はそこに集まります。問題とされた作品は、僕ともう一人が肩を組んで、裸で記念写真を撮るというものでした。僕はこうしたおバカな行為がもたらす能天気さを見る人に楽しんでほしかったのですが、陰部を隠すことで妙なエロティックさを帯びてしまい、すっかり別のものになってしまいました。ある意味で、「公の姿」はただの裸よりいやらしいということが明らかになったと思っています。
そして県警の担当官がそうまでして排除したかった最大の理由は、”陰茎”が写っているかどうかより、二人の男が全裸で仲良く肩を組んでいる姿が彼の琴線に触れたからだと僕は考えています。
◯他者への寛容さを失った社会で排除される「自由」
自分が捕らわれている枠組みの「外」を示してくれる現代美術
[gallery 7115]
鈴木:「表現の自由」とアートの関係や、思いやお考えがあれば教えてください。
鷹野:「表現の自由」や「言論の自由」は民主主義に不可欠のものだとよく言われます。しかし他者への寛容さを失った社会ではこうした自由は排除されます。気に食わない意見を聞き、話し合い、落とし所を探す忍耐力が持てないからです。
これは民主主義にとって危機的状況だと思われますが、不思議なことに、外からみれば明らかな独裁政権も民主主義をうたいます。それは必ずしも民主主義を隠れ蓑にしようという下心からではなく、彼らは彼らなりに、自分は民主的であると信じているフシがあります。
というのも、もし国民の思いが一つだったなら、その思いを実現する政府は完全に民主的ということになるからです。逆に言うなら、国民の思いを一つにまとめさえすれば、独裁政府は民主主義と一体化できるのです。
実際、どこの政府も大なり小なり”思いを一つに”運動をしています。オリンピックに多額の税金を投入するのはその典型でしょう。矛盾しているように聞こえる「独裁体制と民主主義の共存」は、論理的にはあり得ない話ではないのです。
さて、独裁政権が重視する政策の一つに情報の統制があります。国内外の情報を遮断することで得られる最大の効果は、生きる場がここにしかないと国民に思わせることです。「外部」をなくしたとき、人はいま手にしているポジションに執着するものです。たとえそれが小さなものでも、老いた親や幼子を抱えていたら尚さら、「ないよりマシ」と考えるのは当然です。
そうした社会では、自分のポジションを揺るがす人や考えに苛立ち、警戒するのは避けようのない流れで、他者を許容する余裕など生まれようがありません。当然、表現の自由など余計なもの以外の何物でもないでしょう。
このように逃げ場のない状況に国民を追い込んでしまえば、 あとは国民が自ら進んで政府の意向に沿った考えを抱くようになり、国民の操作はより容易になります。
1990年代に冷戦構造が崩壊したとき、「自由と民主主義の勝利」と言われたりしました。しかし実際には社会主義的な体制が崩壊し、資本主義的な体制が残ったにすぎません。
社会主義国は今では邪悪なものの代表のように言われていますが、その最終目標は、金から自由な社会をつくることであり、人種、民族、男女間の差別を解消し、誰もが平等な民主社会の実現だったはずです。
ただ、そのやり方がまずかった。金に縛られずに生きることを政府が強要したのです。ゆえに、金が大好きな人たちは非常に苦しみ、反発しました。一方の政府はこのような自由の素晴らしさを理解しない未熟な輩を再教育するために新たな規則を作り、、、、とやっているうちに、どんどん本筋から逸れていってしまいました。そもそも自由を強要する段階でダメダメですが、とはいえ、理知の力で共産ユートピアを実現しようと試みたのが社会主義陣営だったわけです。
一方の資本主義ですが、これは極論すれば「金がすべて」という制度です。ここで言う「自由」とは金の流れの自由です。弱者を思いやる必要がないどころか、そうした保護処置こそが金の自由を邪魔する悪であると、現代資本主義の教祖・ミルトン・フリードマンは考えていました。
好きな人が好きなだけ好きなように経済活動できることが絶対の条件で、それが結果として民主制に繋がるということかもしれませんが、民主主義と資本主義は本質的に別物だと僕は思います。実際、フリードマンが理想としていた自由市場経済を最初に導入したのは独裁政権下のチリだったという報告があります。その結果は、権力に近い人々がより豊かになり、庶民はより苦しい生活を強いられました。
このように社会主義が理知の先行した頭でっかちの禁欲的システムだとすれば、資本主義は強者による欲望のシステムと言えるでしょう。どちらにも長所と短所があります。一方が絶対的に正しいわけではありません。振り返ってみると、冷戦時代というのは、互いの欠点を補いながら、民主主義のあり方を模索していた時代だったように思えます。
にもかかわらず、資本主義陣営が「自由と民主主義の勝利」という言い方で冷戦終結を讃えたのには、巧妙なすり替えがあったと思います。この体勢だけが正しく民主的であるかのように思わせることです。
冷戦終結当時、僕自身も含め多くの人が、対立から解放されて他者を許容する自由な社会が実現するものと期待していました。ところがそうした流れは長く続かず、2000年代に入ると貧富の差が急速に拡大し、寛容さへの共感は少しずつ失われて行きました。それが単なる印象なのか本当にそうなのか、なかなか判然としませんでしたが、最近思うのは、現在は資本主義の独裁体制ではないかということです。
冷戦後、世界中から資本主義以外の体制がなくなってしまいました。外部をなくした我々は、生きる場がここにしかないと思うようになり、「金がすべて」という価値観の枠内で考えることが、いつの間にか当たり前になっているような気がします。それゆえ、景気や雇用、経済成長といった金に関する不安を煽られると、ころっと騙されてしまう。自由や人権、政治倫理といった理念は、「金がなくては始まらない」という声にすっかりかき消されている印象です。
怖いのは、自分が自発的にそう考えているつもりでいることが、実際は、そう考えるよう巧みに仕向けられている可能性があることです。比較する対象がない状態はバランスを崩しやすく、容易に操作されてしまう恐れがあります。
冷戦時代が良かったというつもりはないし、当時より良くなっているところはたくさんあるものの、あの時代には金の問題とは別の価値判断がありました。社会の多様性を実現することに対しては希望を持ってイメージしていたように思います。いまは正しさを盾にした排除の感情がどんどん強まっているように見えます。
ソ連の崩壊からすでに30年近くが過ぎました。若い世代は資本主義に「外部」が存在することすら想像できなくなっています。現代美術に役割があるとしたら、その一つは、この世界の「外部」を示すことではないでしょうか。それは資本主義の問題に限りません。表現者一人一人が、それぞれに興味のある方面で穴を開けて行けばいいのだと思います。
「表現の自由」という言葉はそれ自体を対象としてしまうと、盲点のように見えなくなってしまう言葉です。しかし、いま自分が捕らえられている枠組み(たとえば資本主義の枠、「生産性」の枠、愛と性の枠)の外へ踏み出す自由と考えれば、イメージしやすくなるのではないかと思います。
(了)
鷹野 隆大(タカノ リュウダイ)
写真家。1963年福井県生まれ。
1994年からセクシュアリティをテーマに作家活動を開始。女か男か、ホモかヘテロかといった二項対立の狭間にある曖昧なものを可視化することを試みた作品集『IN MY ROOM』(2005)で木村伊兵衛写真賞を受賞。その後は同テーマをポルノグラフィカルな形式を通して探求したシリーズ『男の乗り方』、無防備なセクシュアリティの表出が警察沙汰を招いた『おれと』など、性欲という“下半身の問題”をアイデンティティや社会規範との関わりのなかで捉える作品を発表している。
他に、“市場価値のない”身体イメージを集めたシリーズ『ヨコたわるラフ』、極めて身近でありながら顧みられることのない日本特有の都市空間を写した『カスババ』など、視覚表象における価値のヒエラルキーを問う作品シリーズがある。
2011年の東日本大震災以降は影をテーマに種々の作品に取り組んでいる。
■参考文献
「褥としての鷹野隆大《おれとwith KJ#2(2007)》」愛知県美術館 中村史子
https://www-art.aac.pref.aichi.jp/collection/pdf/2014/apmoabulletin2014p54-63.pdf
〈編集後記〉
他に展示が拒否された、抗議を受けたなどの事例についてもお尋ねしたところ、「いくつか思い当たるものがありますが、今回書き記すには及ばないと思うので、パスします」とのご回答でした。
鷹野さんが作品で取り組んでいる「性」を含め、日本では単純な答えに導くことが出来ないややこしい問題に対しては「布」をかけて覆い隠す風潮が強いように思います。もめずに穏便に。近年「忖度」(そんたく)という言葉が流行語になりましたが、それがあたかも象徴するように、正解なのか何なのかよく分からない同調圧力が表現の自由にも切り込んできていると感じます。でもその同調圧力の中で一体何を、そして誰を推し量り、配慮するのか。
自身で考える、議論するという過程を欠いて「臭いものに蓋をする」ということが蔓延してしまわないよう、「現代美術」には風穴を空けて、「外」の世界の空気を感じさせ続けて欲しいです。