© UNAC TOKYO, 撮影:伊藤時男
これはいったい何でしょうか(下)。
そう、「愛」です。
サイズは横幅で約2m弱。なんと大きな愛!
こんな愛を持った人がいたらどうだろう? と擬人化して考えてみたり。
何かあったら急いで駆けつけてくれそう? 頼れそう? 信頼できそう? でもちょっと頑固そう? 融通が利かなそう? 無口で口下手な雰囲気?。すいにょうはキューピッドの矢、またはロケットにも見えてきます。薄墨の墨跡が書の表情をさらに豊かにしています。書の楽しみ方も見かたも色々です。
こちらはなんだか乱暴な落書きみたいな文字の羅列。混沌としたうねりの中に巻き込まれていくようなエネルギーが感じられます。
書かれている文字はこちら。
利潤拡大凶器暴走 経済成長全土開発
自然破壊生態混乱 大気汚染海上汚染
牛豚薬漬
魚類亦然野菜無季 農薬化肥鶏卵製造
食物悉皆無味無香 砂糖氾濫皆求甘味
人間亦甘鈍感堕弱
この作品が制作された1970年代の出来事を拾ってみると、大阪で国内初の万国博覧会開催(1970)を皮切りに、よど号ハイジャック事件(1970)、あさま山荘事件(1972)、オイルショック(1973)、ロッキード事件(1976)などの事件が起きた時期で、高度経済成長にも陰りが見えはじめてその弊害もようやく露わになり、それまでの認識や思想、社会全体の価値観などの大きな変革(パラダイムシフト)が求められている時期でもありました。
無造作にぐしゃぐしゃと消された文字の荒涼とした雰囲気、筆致と相まって殺伐とした空気が書面から立ち上がり、思わず身震いするほどです。じっと眺めていると、この時代に生きた人たちが抱えていた思いが画面から溢れ出してきそうです。
絵としてみれば天狗の横顔のようにも見える書。何か叫んでいるのでしょうか。天狗がぱっと飛び立った瞬間の躍動感、浮遊感が紙面に浮かびあがります。
また、飛沫によって筆跡が線となって連なり書の運筆の様子が伺え、余白にリズムを生み出し文字に軽やかさも与えています。少し傾いたように見える文字は夕暮れの後の地平線近くの月を想像させます。この作品は有一が力を注いだ「一字書」のひとつです。有一は生の和紙や墨の様々な研究をし、独特の筆跡や擦れ、墨の表情を生み出しています。
日常の文字がアートに、書は世界に類を見ない芸術
「日常使っている文字を書くことで、誰でも芸術家になれる。書は世界に類を見ない芸術である」と、書家の井上有一(1916-1985)は語っていたそうです。有一は、日本古来の伝統的な書にとどまらず、紙と墨からなる芸術作品へと昇華させ創造的な活動を展開した一人です。大正生まれの有一が、新しい概念の書を生み出した経緯というのはどんなものだったのでしょうか。
井上有一の「書」の生まれた経緯とプロフィール
有一は小学校の教員をしていた時に、1945年の東京大空襲で九死に一生を得る体験をしますが、目の前で約千人が亡くなった悲惨な光景が有一に暗い影を落とします。
そして、終戦。新しい時代の幕開けの中で、人類が戦争をしたことによりダダイズム、シュルリアリズム、原始美術、抽象表現主義、アンフォルメルなど、近代的合理主義に対する否定の美術が欧米を中心に起こっていました。
書の世界においても「前衛書道」という抽象的表現が生まれました。
戦前から師事していた上田桑鳩が手がけた『書の美』、森田子龍による書芸術総合雑誌『墨美』などで活発な出版活動も見られるようになります。有一は、その頃出会った美術家・長谷川三郎やイサム・ノグチらから、有形無形の影響を受けました。また、書の国際化、現代化を目指し、海外の展覧会にも積極的に出品していくようになります。
前衛表現に突き進んだ結果、「文字を書くか、書かないか」という問題に突き当り、一時期、文字を持たない抽象表現書を制作していきますが、苦難の末、有一はあらためて文字回帰を決心。文字を捨てることによって、文字を書くことの素晴らしさにあらためて気付き、絵画の領域に踏み込んだ創造的な諸作品に取り組んでいったのです。
美術館における水墨画や書の紙文化の展示方法について
今まで欧米を中心とした美術史の文脈の中では、実はアジア特有の作品を展示する空間や展示方法はあまり顧みてこられませんでした。東アジアには水墨画や書、巻物、屏風の作品などが多くあり、ほとんどは絹や和紙といった繊細なものに描かれています。西洋の油絵と違って、水墨画や書の展示方法はアジアのなかですら実はまだ確立されていません。
海外に渡った東アジアの作品は西洋式にならって展示されることが多く見られ、屏風絵や蒔絵物がパネルなどに一面に貼られているなど、それはそれでまた違った魅力があるのは事実ですが、本来の鑑賞方法や使用方法がまったく違いびっくりさせられることがあります。その点においても、紙の文化の代表ともいえる「書」の展示が、日本人の手によってフランスで開催される意味は非常に大きいといえるでしょう。
150年前にこっそり伝わっていた日本の手漉き和紙、製造工程は現代もほとんど変わらず?!
18世紀のヨーロッパでは紙の原料は木綿のボロ布や木材でした。おりしも、1867年のパリ万国博覧会、1873年ウィーン万国博覧会で日本の手漉きの和紙が紹介されたことが品質改善の契機となったそうです。出品された日本の手漉き和紙が筆記用として非常に高品質で薄く白くなめらかだったことに驚愕し、その製法が熱心に研究されました。当時の画家がこぞって日本の紙を使ったことも良く知られています。書の展覧会では様々な地域や手法の手漉き和紙が数多く使用されており厚さ、原料、透かしや模様が織り込んであるもの、和紙と墨との相性でぼかしや掠れ、墨の乗り具合も異なり、和紙によって様々な書の表情が楽しめるのが面白さの一つです。
2種類の手漉き和紙に8種類の墨、3段階の濃淡で記している。同じ和紙でも墨によって色の出具合やにじみ、筆致などが異なる。筆者資料。
今や絵の保存修復などに日本の和紙が使われていたりするほど世界中で日本の和紙の良さは認知されつつありますが、実は、伝統的な手漉きによる和紙の制作は地域や紙の種類によってそれぞれ特色はあるものの、基本的な工程は江戸時代からほとんど変わっていないのだとか。150年前の万国博覧会に出品した和紙と現在も製造方法が同じとは!これは世界に誇れる日本文化として絶対に知ってもらいたいですよね。
現代美術として昇華した「書」の中になお、「道」は宿る
茶道・柔道・剣道・合気道・弓道、日本には道と名の付くものがたくさんあります。有一が古来の書の概念を打破しアートに昇華させたことは、すなわち「道」から外れたことを意味するのでしょうか。有一が自分自身と真摯に向き合い辿ったのはやはり「道」そのものであったし、書というものを媒体にして人生や自然の悟りを得るためのプロセス(道)であったことに間違いはありません。
日本人からすると一見、地味そうな「書」の展覧会なのですが、実は海外の人たちに絶対にお伝えしたい日本文化の魅力が満載の展覧会なのです。かなり注目度が高い要チェック展覧会の一つです。
※パリで開催の井上有一展の詳細は下記に記載があります。
「井上有一 1916-1985 -書の開放-」展
参考
NUKAGA GALLERY 「ART FAIR TOKYO 2017 作品紹介 | 井上有一」
http://www.nukaga.co.jp/aft2017_yu-ichi.html 、2018年7月9日
小澤紀夫 「近代科学を切開する - ヨーロッパの紙の歴史169897」
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=169897 、2018年7月9日