1世紀以上前に海底から引き揚げられた「アンティキテラ島の機械」は、古代ギリシアの技術力に対する現代人の認識を根底から覆す遺物でした。この機械に触発され、これまで多くの研究者やアーティストが、復元模型やアート作品を制作してきました。本稿では、そうした作品をいくつか紹介します。
アンティキテラ島の機械とは?
アンティキテラ島と聞いて、その場所をぱっと思い浮かべられる日本人は、ほとんどいないかと思います。これは、ギリシャ南部をかたちづくるペロポネソス半島最南端から、南へ100キロメートルほど沖合に位置する小さな島です。この島からさらに南へ100キロメートルほどのところにクレタ島があります。言い換えれば、アンティキテラ島は、ペロポネソス半島南端とクレタ島の中間地点にあることになります。上空から見た島の形状は菱形で、面積は約20平方キロメートル。東京都多摩市とほぼ同じ広さがありますが、人口は数十人ほどで、たまにフェリーが立ち寄る程度の僻遠の孤島です。大半のギリシャ人ですら、この島の場所を知りません。しかし、ある遺物の発見によって、一部の人たちによく知られるようになりました。
1900年秋のことです。北アフリカのチュニジア沖合で(スポンジの素材となる)海綿を採取し、故郷のシミ島へ戻ろうとしていた2隻のちっぽけな帆船がいました。帆船は途中で暴風にあおられ、やむなくアンティキテラ島に停泊して、天気が鎮まるのを待つことにしました。
3日後、悪天候から解放された帆船の乗組員は、せっかくだからここで採れるだけの海綿を採ってから故郷に帰ることにします。そこで、島の断崖から20メートルほど離れた海面で錨を下ろし、ダイバーが潜りました。
60メートル下の海底でダイバーが発見したのは、全く予想だにしないものでした。そこには、大小数々の青銅の彫像が横たわっていたのです。明らかに古代ギリシア時代に造られた彫像で、およそ2000年前にここで難破した船の置き土産であるのは間違いありません。彫像を運搬していた木造の船体は、とうの昔に朽ち果ててその姿をとどめていませんでしたが、青銅は海水の腐食に強く、20世紀まで生きながらえていたのです。
国威発揚のため古代の遺産を発掘することに力を入れていたギリシャ政府の援助のもと、大掛かりな回収作業がなされ、遺物はアテネ国立考古学博物館に運ばれました。その中でも最も勇壮で印象的なのが、「アンティキテラの青年」と呼ばれている青銅の像(右図、出典:Wikipedia)です。
ですが、それをはるかに上回る衝撃を学界にもたらしたのが、のちに「アンティキテラ島の機械」と呼ばれることになる遺物でした。
この機械は、一番長い部分で15センチメートルほど。おそらく辞書くらいのサイズであったものが、くだけて大小の破片となったようです。破片の一部は回収され、残余は海底の泥にうずもれているか、博物館の敷地に放置され腐食されるがままとなって、永遠に失われています。一番大きい部分は、現在アテネ国立考古学博物館で展示されています。
機械で一番特徴的なのは、車輪を思わせる円状の部品で、周囲には200もの(拡大鏡でやっと見えるくらいの)微小な刻みがあります。内側には4本の「スポーク」を連想されるものがはまっています。これが歯車なのは明らかですが、仔細に調べるとその内側や背面にも多くの歯車が重なっていることが判明しました。機械には古代ギリシア文字がびっしりと書き込まれていましたが、ほとんど判読不可能な状態でした。
最初に機械を調べた国立考古学博物館の館長は、精巧な時計かと思ったそうです。しかし、この精巧さに比肩しうる時計が発明されたのは、この機械が製作されてから優に10世紀以上もあとの話です。この機械は、現代人がそれまで古代ギリシア人に抱いていた「高邁な哲学理論を展開したが、機械文明は初歩的」といった観念をあっさり覆すインパクトを有していました。「驚くな」という方が無理な話です。かくして機械は多くの研究者を魅了し、悩ませ続けることになるのです。
機械の解明史
機械の解明の歴史は、国立考古学博物館の敷地内に箱に入ったまま放置されていたのを、館長によって「再発見」された時点にはじまり、21世紀の現代にまで及びます。強いて期間を分けるなら、第二次世界大戦前までと戦後に分かれます。
第二次世界大戦前までは、機械の用途がなんであったのかの追究は、ほとんど憶測の域を出ないものでした。わずかに読み取られた機械表面に記された単語から、アストロラーベ(星々の位置を測定・予測する道具)か天体運行儀ではないかと推測されましたが、それにしては歯車の数が多すぎて、複雑すぎます。分からないことが多すぎたため、大半の研究者は、もっと実りある別のことに関心を向け、そして世界大戦と続くギリシャ内戦という混乱もあって、機械の用途解明の試みはいったん途切れます。
戦後期における機械の探求に先鞭をつけたのは、物理学者にして科学史家のデレク・デ・ソーラ・プライスでした。1958年、彼はイギリスからアテネに渡り、アテネ国立考古学博物館の地下室で、毎日この機械と向き合いました。碑文研究家の力を借りて刻まれた文字のいくつかを解読し「琴座は夕方に上る」とか「ヒュデス星団が朝に沈む」といった断片的な情報を得ました。しかし、歯車の仕組みは皆目見当もつかず、天体の観測にかかわるなんらかの用途をもった機械であるという以上の手がかりは得られませんでした。とはいえ、アテネから帰っても彼の探求心は衰えることなく、20年近くにわたり研究を続け、ついに「ギリシア人からの歯車」という70頁の論文として結実します。しかし、論文の内容は難解を極めている上に論理の飛躍があり、賛同者はほとんど現れませんでした。
例外的にプライスの論文に心酔しつつ、その問題点を乗り越えようとしたのが、ロンドンの科学博物館の学芸員助手であったマイケル・ライトと、シドニー大学の天体物理学者であったアラン・ブロムリーです。2人は時には一致協力し、時には相互不信に陥りながら調査を継続しました。21世紀に入ると、この機械に憑りつかれたX-テク社の社長ロジャー・ハドランドらのチームが、「ブレードランナー」と名づけた、大掛かりなハイテク機器の力を借りて機械の構造を調べます。ブレードランナーは、機械の破片をターンテーブルに載せ、少しずつ回転させながら撮影し、そのデータをコンピュータ上で3次元に変換するというものです。この装置のおかげで機械の構造が徹底的に明るみにされ、やがて機械の用途が判明しました。機械は表と裏で別々の機能を持ち、表面は12宮の中で移り変わる太陽、月、惑星の位置と月の満ち欠けを、針によって示すものでした。裏面には文字盤があり、太陽歴・太陰暦の組み合わせで、年月と食の時期を示しました。今もなお、まだまだ未知の部分が残されていますが、機械の仕組みと用途の全貌があらわになったのは、海底から引き上げられてから実に106年後のことでした。
アートしての機械の復元模型
上述したプライス、ライト、ブロムリーにくわえ、多くの研究者が機械の復元模型を製作してきました。ほとんどは、研究から判明したわずかな事実をもとに、イマジネーションとクリエイティビティを発揮させて創作した模型であり、「復元」と呼ぶには無理があります。ですが、彼らは機械に関する理解を深める目的で、現物とはかけ離れていると承知で、模型をいくつも作り出しました。
筆者(鈴木)は、上述した研究者たちの作った機械復元模型を見て、「これはまさしくアートだ」と感じた1人です。現物を精確に模したものであれば、それは単なる再現模型であり、アート性の点ではちょっと厳しいものがあるでしょう。しかし、多分に製作者の創造性が盛り込まれたものなら、たくまざる芸術品とみなして差し支えないと考えます。
百聞は一見に如かず、いくつかの復元模型を以下に列挙してみましょう。
● デレク・デ・ソーラ・プライス(Derek J. de Solla Price, 1922-1983 )の復元模型
プライスは、長年にわたり機械の探求に打ち込んだ、先駆者的な存在です。彼の製作した復元模型の写真は1葉しか残されていませんが、透明なプラスチックを機械の筐体に見立てたつくりは、後代の幾人かの研究者に受け継がれています。
● マイケル・ライト(Michael T. Wright)の復元模型
ライトは、プライスの研究に敬意を示しつつ、機械の構造の真の姿に迫ろうとした、ある種の中興の祖とも呼べる人物です。空想的に過ぎたプライスの模型に比べ、彼の復元模型は、ずっとリアルさを増しています。
● タチアナ・J・ヴァン=ヴァーク(Tatjana J. van Vark)の復元模型
2006年に機械の構造がおおむね分かり、研究者らはかなりの自信をもって復元模型を製作できるようになりました。それでも構造には解釈の余地が多々あり、作り手によってバリエーションが分かれます。
近年製作されたいくつかの模型のある中で、オランダのエンジニア、ヴァン=ヴァークの作品を選んだのは、その硬質感のある美しさからです。
● マッシモ・ヴィチェンティーニ(Massimo Mogi Vicentini)の復元模型
工学者として、イタリアの学校や研究所などの公的機関に勤務するヴィチェンティーニの復元模型は、透明なアクリル板を使用したプライスの模型に復古したものとなっています。ですが、もちろん最新の発見に基づいた機械の構造をしっかりと反映しており、精緻さの点で大きく前進しています。そのミステリアスな優美さが評価され、これまでミラノ・プラネタリウム、ミラノ科学博物館、ペルガモン博物館(ベルリン)で展示されました(下図は、ペルガモン博物館で展示された時の写真)。
派生して生まれたアートワーク
アンティキテラ島の機械は、アートの世界に生きる人たちにも大きなインスピレーションを与え、いくつかのアートワークが創作されました。その一端を紹介しましょう。
● アンティキテラ
ヘヴィメタルバンドのギタリストとして知られるアンダース・ビョーラー(Anders Björler, スウェーデン)のソロデビューアルバム「Antikythera」(アンティキテラ)のカバーイラストは、機械をモチーフにし、大胆に抽象化したものです。機械のことを学んだあとでは、この抽象画の見方も変わってくるはずです。
● アンティキテラ・サンムーン・ウォッチ
スイスの高級腕時計メーカーであるウブロ社は、2013年に「アンティキテラ・サンムーン」(Antikythera SunMoon)という名のモデルを発売しました。もちろんこれは、古代ギリシアの叡智へのオマージュとして製作されたものですが、ご覧のとおりアート性をも重視しています。サンムーンには、太陽暦と太陰暦のカレンダーが組み込まれ、太陽と月の位置情報を表示する機能が備わっています。
● ガブリエル・バスルト(Gabriel Basurto) 《ザ・メカニズム》
テキサス州在住のイラストレーター、ガブリエル・バスルトの制作したインスタレーション《ザ・メカニズム》(The Mechanism)は、アンティキテラ島の機械をモチーフにした芸術作品の中で最も大きなものでしょう。この作品は、横幅が3メートル、高さは最も長い部分で1.5メートルを超えます。そのためアトリエから、展示先のエルパソ美術館へ運ぶのにいったん分解して、現地で組み上げる手間がかかりました。
バスルトは、テキサス大学でイラストと広告デザインの学位をとっておりますが、歴史学、天文学、量子物理学も学んでおり、本作品には彼の多岐にわたる知識がいかんなく発揮されています。
● ジェリー・ローズ(Jerry Rhodes ) 《アンティキテラ》
コロラド州在住の陶芸家ジェリー・ローズの 《アンティキテラ》(Antikythera)は、ろくろを回して制作した陶器に、緻密な手作業で歯車などを取り付け、黄金色の釉薬でひび様模様をつけたものです。高さ約50センチメートルの陶器の周囲には4つの「窓」があり、そこから歯車が詰まっているのが見えます。
ローズは、大学で電気工学を修め、長い期間にわたり空軍に所属していたこともあり、メカニカルなものへの愛着が強い一方で、古代文化の遺物への憧憬も持っています。そうした嗜好を融合した作品を幾つか制作しており、 《アンティキテラ》はその1つです。
いかがでしたか?
時には、古代の遺物が現代に生きるクリエイターの創作意欲をゆさぶり、多様な作品を生むこともあるのです。創作のヒントを喚起するのに、ときには歴史博物館を訪れるのもよいかもしれませんね。
参考資料・協力
◯ 「アンティキテラ 古代ギリシアのコンピュータ」(ジョー・マーチャント著、木村博江訳、文藝春秋社)