まねる・まなぶ‐「なりきる」表現‐
とあるダンサーの手記を読んでいた時、気になる箇所にぶつかりました。
それは、自分が苦労して創り上げた作品が、ツアー中の日本でコピーされたことについて書いているくだり。真似された側としての当惑(不快感?)が見え隠れしていました。模倣、盗作…昔も今もある話ではあります。ではなぜ気になってしまったのか。それは真似した側がむしろ堂々と、ここまで真似できたよ!と誇らし気だったからです。
真似された側はドリス・ハンフリー。アメリカのモダンダンスの振付家でもあります。真似した側は・・・。実は、誰が真似をしたのか、ハンフリーは手記に具体名を挙げていないのですが、当時の資料から「河合ダンス」というグループの可能性ではないかな?と思っています。
今回は、再現性の高さにクオリティーを感じる「河合ダンス」とハンフリーとの間にある温度差について考えてみたいと思います。スタンスの違いから、アートや表現することに対するまなざしが透けてみえてくるような気がします。
ドリス・ハンフリーと『スケルツォ・ワルツ』
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