2020年、アートローグでは、いくつかの美術展の3DVRを制作し、今度はそのオンライン美術鑑賞のプラットフォームを立ち上げた。2021年1月、十和田市現代美術館の3DVRによる常設展の公開を体験してみて、気づいたのは、筆者もすでに同じシステムの恩恵を受けていたことである。すなわち、コロナ禍は美術館に大きな影響を与え、筆者が監修した世界各地のジャパンハウスを巡回する「WINDOWOLOGY(窓学)」展も直撃を受け、ロンドン会場は一年以上の延期、そしてロサンゼルス会場は一度もオープンせず、観客を入れないまま会期を終えたが、ホームページでは3DVRによって展覧会を公開したからだ(https://www.japanhousela.com/exhibitions/windowology/)。
ジャパンハウスロサンゼルス会場「WINDOWOLOGY(窓学)」展 3DVR
筆者を含む関係者は渡米すらできず、オンラインの指示による設営を行い、会場を実際に見ていないのだが、かなり詳しく見ることができる。その結果、もしロサンゼルスでリアルに公開されていたら、期間限定でアメリカ人が訪問したはずだが、3DVRのおかげで、逆に日本からも簡単にアクセスでき、すでに終わった展示を現在も楽しめるという不思議な状況をもたらした。
記憶をたどると、こうしたヴァーチャルな美術館空間の初体験は、フランク・ゲーリーが設計したヴィトラのデザイン・ミュージアムのCD-ROMで、1990年代の後半ゆえにラフな映像だった。
次に思い出されるのは、2000年代の佐藤敏宏/田中浩也らの多次元フォトコラージュの試みである。これは映像ではなく、多くの写真を撮影し、それらをつなぐことによって、擬似的に三次元の空間体験を感じさせるシステムだった。ディヴィッド・ホックニーの写真コラージュをデジタル化したようなものだが、データが重くならないこと、またワークショップを行い、簡易な操作によって、みんなで制作できるといったメリットがある。
3DVRは、館内を移動しながら、多視点で空間を観察できることが特徴である。またそれぞれのポイントから、360°部屋を見まわすことが可能だ。これは建築をいかに表現するか、というメディアの歴史から考察すると興味深い。モダニズムの運動を推進した建築史家・批評家のジークフリート・ギーディオンの代表的な著作『空間・時間・建築』(1941年)は、壮大な建築の物語であり、ルネサンスから近代への変化をいくつかの切り口で分析している。本論との関係で注目すべきは、透視図法から多視点へ、という指摘だ。すなわち、ルネサンスの時代は、一点透視図法によって描かれるドローイングに対応した建築だったが、モダニズムの空間では静止した視点がうまく適合しない。
キュビスムの絵画と同様、「空間」に「時間」の要素が絡むからだ。したがって、ギーディオンは、ロック・フェラー・センターを事例に挙げ、一枚の写真では全容をつかむことはできないが、あちこち動きまわって撮影した写真を組み合わせることによって、ようやく空間が把握できると述べている。モダニズムにおけるガラスの透明性やスケルトンの構造によって、外部と内部が同時に見えるような空間も、写真向きだろう。
西澤立衛による十和田市現代美術館も、キメの写真一枚ではなかなか伝わりにくい空間をもつ。ファサードではなく、やはりガラスのチューブとそれぞれに個性があるホワイトキューブをぐるぐるまわりながら、体験すべき建築である。そうした意味では、十和田市現代美術館は、3DVRというメディアとの相性がよい空間ではないだろうか。今後、3DVRがもっと普及すると、それにふさわしい建築も増えるかもしれない。ちなみに、すでにCGは、建築のデザインに対し、様々なレベルで影響をあたえている。
ともあれ、3DVRは空間の全体性を記録するメディアである。展覧会は作品目録などのデータは作成されるが、意外に残されないのが、どのような展示だったか、という立体的な情報だ。過去の展覧会を調べると、わずかな会場写真さえ見つからないケースがある。作品は収蔵庫に保存されるだろうが、展示空間そのものは撤去されると、消えてしまう。当然だが、同じ場所に複数のものを存在させることはできないからだ。しかし、3DVRはオンラインで遠隔地から鑑賞できるという一時的な利用だけでなく、未来に向けて、展示空間のアーカイブを残すことにも貢献するだろう。特に現代美術は、ただ作品を設置して終わりではなく、空間や展示環境をまるごとつくるようなインスタレーションが重要になっている。こうしたタイプの作品にも、3DVRというメディアは効果を発揮すると思われる。
五十嵐太郎
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