村上隆らにも影響をあたえ、半刈りでハンガリーに行ったアーティスト。その男、榎忠。: 生き様 01

ARTLOGUE 編集部2018/07/23(月) - 09:00 に投稿
村上隆らにも影響をあたえ、半刈りでハンガリーに行ったアーティスト。その男、榎忠。: 生き様 01

生きづらい現代社会をサバイブする!!
連載「生き様」は、アーティストやクリエーター達の生き様からみえてくる、現在(いま)を生き抜くヒントを共有、発信していきます。

 

村上隆らにも影響をあたえ、半刈りでハンガリーに行ったアーティスト。その男、榎忠。

 

大阪万博のシンボルマークを体に焼き付け、ふんどし姿で東京・銀座での日本初の歩行者天国を練り歩くも、わずか10分足らずのうちに騒乱罪で逮捕される。全身の体毛の半分をすべて剃り落とし、当時、共産国だったハンガリー国へ行く。かと思えば女装しRose Chuと称して2日間限りのバーを営むパフォーマンスを行う。大砲型の作品で行う祝砲パフォーマンスは榎忠の代名詞にもなっている。村上隆やヤノベケンジらにも影響をあたえたアーティスト、榎忠に自身の生き様について語ってもらいました。

 

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ギャラリー島田 榎忠展 [MADE IN KOBE] にて

 

電車一両を丸ごと改造して作品に

 

 鈴木:榎忠さんがアートをやり始めたきっかけを教えてください。

 榎忠: きっかけと言うか、ぼくはアートか何かわからない時代から、絵が好きでやり始めたいう感じかな。

鈴木: 生まれはどちらですか

榎忠: 生まれは香川県、善通寺ってところやな。そこで挿絵画家になりたかったんやけど、神戸に出て来て結構いろんなことがあって結局絵の方には行けなかったんや。事故を起こしたりなんかしながら二十歳ぐらいからはこういう美術をやりだしたんやけどな。

最初は油絵を描いたりしとったんやけど、ぼくの絵では表現しきれなくなって、身体を使う表現をやりたいと思ってハプニングをやったりとか。

それから、金属とかそんなんで大きなものを作る時が一時あったかな。 だんだん美術の世界が変やなというか、よく分からない世界になってきたので、世間がどう思おうが自分でやりたいことをやってきて、それをいまも続けているだけで。

だから半刈りでハンガリーに行った時もそれが美術かどうかって言うんじゃなしに、自分のやりたいことを素直に実行しただけで、それがぼくの基本かな。

鈴木:電車一両を丸ごと改造して作品にされていましたよね。

榎忠:うん。ロブスターな。

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榎忠《スペースロブスターP-81》1981年 撮影:米田定蔵  ©Chu Enoki

 

鈴木:あれだけ巨大なものを作るきっかけは?

榎忠:あれは神戸ポートアイランド博覧会(1981年)のテーマ館のために作ったんや。 阪神間のいろんな企業が協力してくれて部品が集まってきたんや。ロブスターはぼくの中で一番大きい作品かな。

 

兵器や薬きょうを美術の中に持ち込むのは特別なことではない

 

 

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榎忠《薬莢》1991年 撮影:榎忠  ©Chu Enoki

鈴木: 薬きょうを集め始めたのはいつからですか。 

榎忠: 薬きょうなんかを集め始めたのは1990年頃 かな。ぼくの生まれ育った善通寺って言う田舎は軍隊があって、戦争時代から親も軍隊に入ったりして、子供のころから兵器や薬きょうなんかはよく見てるし触ったりなんかしてたかな。だから別に作品とか思わなくって、それらを美術の中に持ち込んで行くというのはぼくの中では特別なことではないわけ。

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ギャラリー島田 榎忠展 [MADE IN KOBE] にて展示されていた薬きょうには花が生けてあった。

 

全身の体毛の半分を剃り、ハンガリーへ

 

鈴木:《ハンガリー国へハンガリ(半刈り)で行く》はどこからアイデアが出てきたんですか。

榎忠:髪の毛って不思議やん。若い時やったら坊主にしても1年したら伸びてきてごっつ増えるやん。ヒゲでも剃ったらまた生えてくるし、生理現象は毎日あるやん。そういう素材をほっとくわけにはいかんやん。使わな。ただいうのか、費用もいらないし。そういう感じでやっているだけで。

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榎忠《ハンガリー国へハンガリ(半刈り)で行く》1977年  ©Chu Enoki

 

鈴木:半刈りにして、ハンガリーに行って、また逆側を伸ばして、全体で何年ぐらいかかったんですか?

榎忠:全体やったら5~6年かかっとるかな。髪を伸ばして、まず1年目半分剃るやん。それから1年経ったら次の年はいっぺん丸坊主にして、伸びてくるのを待って今度は反対側を剃るわけや。 やっぱり5、6年かかっとるんかな。 ぼくの作品はどれも結構時間がかかっとるんや。 

 

4ヶ月間かけて焼いた大阪万博のロゴ

 

万博の時でもそうやけど、日焼けするのに4ヶ月間かけて焼いとるんや。自然とか太陽のエネルギーを体に焼き付けるような感じかな。 

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榎忠《裸のハプニング》1970年 撮影:米田定蔵  ©Chu Enoki

 

だから美術の今までの考え方ではなしに、自然とか環境とか全部含めてやな。それをやっていたら社会が見えてくるし、社会の変なところが見えてくる。今の日本もだんだんおかしくなっていってるやん。だから、何もやらない人の方がぼくは不思議やなあと思うわけ。ぼくは美術で表現していくんやけど、あなたも自分なりの取材をして訴えていって欲しいなぁと思うわけ。 

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ギャラリー島田 榎忠展 [MADE IN KOBE] にて

鈴木:ハンガリーに行った時の反応はどうでしたか。 

榎忠: 日本と違って向こうの人は ものすごく感覚的と言うか、興味を持ったらすぐに反応して、積極的に「なんでこんなことやってんの?」とか声をかけてくるな。日本人はそういうところはないわな。恥ずかしいとか、聞いたら変な風に思われるんちゃうかとか思うみたいや。 

 外国人はそういうの平気やな。 もう本当にバーンってぶち当たってくるっていうか。作品でもそうやと思うよ。自分が思ったことをスパンッと飛んでいってやるというのか。 

 

自分の生活は自分で守る

 

榎忠:アートって誰かがやっているからやるって言うのはちょっとちゃうわな。それは美術館でも一緒。前例がないからやらせてくれないとか、それでは美術館が美術館でなくなっているわけ。前例があればOKみたいなのはちょっとおかしいな。 

だからぼくは自分の場所は自分で作って活動しとったんや。ぼくのサブタイトルにLSDF(Life Self Defense Force)ってあるんやけど 「自分の生活は自分で守る」という意味で、自分の武器は美術であると思うし、それで自分の生活を守っているんや。ただ現実的に売れなかったら作品はできないし、お金にならないから働きながら作ってたんや。

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榎忠《L・S・D・F(Life Self Defense Force)》1979年 撮影:米田定蔵  ©Chu Enoki


榎忠祝砲パフォーマンス@ラブラブショー2展(青森県立美術館)
注意:大きな音が出ます。

 

鈴木: ずっと会社で勤めて作品作りをされてこられましたよね。 

榎忠:そうよ。定年になるまで働いた。自分で働いて稼いだ金やから自分の好きなことができるやん。だから、そんなんギャラリーとか美術館でやるのはもったいないわけ。ギャラリーとか美術館を否定しているのではなしに、自分で場所を探して、もっと自由に好きなことをやろうと思ったらそういう姿勢になっていったいうかな。 

鈴木:30~40代で辞めていくアーティストも多いと言われますが。 

榎忠: 30代でやめようが40代でやめようが、それはその人にとって美術が魅力的じゃなくなったんやから。自分が思っとったのと違うから辞めていくんやと思う。ぼくはお金や生活の問題じゃないからやれてるんちゃうかな。 

鈴木:生き様ですね。 

榎忠:生き様やな、言うたら。 

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アトリエで制作中の榎忠 
撮影:高嶋清俊

 

出来ない時は無理してやる必要もない。

 

鈴木:榎忠さんは作品を作ってない時期もありますよね。 

榎忠:そんなん2年や3年はざらよ。 やる必要がないからやっていないだけであって、別に理由も何もないんだけどね。病気したらやっぱりできない時もあるし、出来ない時は無理してやる必要もない。

自分の気持ちの中で美術をやるということは大事にしていきたいなとは思うけど。だんだん年いったら、やっぱり若い時とは違って、やり方とか考え方も変わってくるしそれは仕方がないことやから。別に無理してやる必要もないしね。

できなかったらそれでいいんちゃうかなと思うし。こうやって体が動く内はやっていこうかなというぐらいかな。 

 

不思議やから自分でいっぺんやってみよう

 

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榎忠《BAR ROSE CHU》1979年 撮影:米田定蔵  ©Chu Enoki

鈴木:《BAR ROSE CHU》をやり始めたきっかけは? 

榎忠: ぼくは男だし、女性って生理的にも違うし分からない。同じ動物と思いながら、想像はできるけどやっぱり不思議な動物と言うか。 そういう中で、化粧とか表面的に見えるところが気になるの。

男性の気を引こうとしているんか知らんけど、女性が化粧したり髪型変えたり、そこにはやはり何か生きるために大切なものがあるんちゃうかなと思う。ファッションなんかでも女性は男性よりも深く考えとるんちゃうかな。 不思議やから自分でいっぺんやってみようというのが一つのきっかけやな。

それと、昔、神戸に米軍の第7艦隊基地があったんよ。だから外国の兵隊がものすごく多くて、元町や神戸に外国人バーがたくさんあったわけ。だけど高いしぼくらは若いから入れなかった。入れへんのやったら自分で作ろうというのも一つのきっかけやな。時代によってこういうやりたい気持ちが作られていったっていうのかな。 

 

金属やサビが好きなのは、地球からできてるというのか

 

鈴木: 株式会社森精機製作所(現、DMG森精機株式会社)のCMでも使われた作品《RPM-1200》も毎回違う形になるのですか。 

榎忠:図面がないからね。図面がなくて同じことができないからあの作品は面白いの。手で置いているから全部ズレとるわけ。 あれは全部スクラップやったんよ。サビだらけのやつを、ぼくが磨いていくの。機械の旋盤とかボール盤とかで一皮めくるいうんかな。 

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榎忠《RPM-1200》2006年 撮影:金子治夫  ©Chu Enoki

 

鈴木:一皮むいたらサビやすくなっちゃいますけども、それはそのままなんですか? 

榎忠:展示するたびに油を塗ったりするけどあんまりしないね。自然にサビることは普通だしサビない方が気持ち悪い。だから別にサビてもいいの。 銃の作品《AK-47 / AR-15 》でも50年か100年したらサビてくると思うよ。腐るには200年ぐらいかかるかもわからんけど。

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榎忠《AK-47/AR-15》2000年 撮影:榎忠  ©Chu Enoki

 

ぼくが金属やサビが好きなのは、地球からできてるというのか、地球とかマグマとか噴火してできたものの途中に人間が携わって農機具にしたり、デザインを変えたりなんかしながら、戦争に使ったりして、人間がつくり出している世界というのかな。 

殺気とか気とか、目で見えるもんやなしに、自分の体を通して見るいうんか。大人になったら見えなくなってくるんやけど、子どもなんかやったら分かってくれる。人間って元々そういうもん持ってるんやけど、教育されてしまってそういうのが薄れていく。良いことか悪いことか知らんけど。 

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ギャラリー島田 榎忠展 [MADE IN KOBE] にて

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ギャラリー島田 榎忠展 [MADE IN KOBE] 展示風景

 

鈴木:榎忠さんが今後、やりたいことなどありますか。 

榎忠:あまりないなあ。 ぼくはあまり方向を持たないようにしているの。なるべく自由、やれるときにやれることをしていく。 「一緒にやろうか」という人もおるし、優柔不断だから、 そういう中でまた方向が決まって行くのが面白いなと思うし。 

残り人生少ないからな。5年も10年もやったらいいほうかなと思いながらやっとるから。展覧会やって一番嬉しいのは、いろんな人が来てくれて、いまの時代のこととか社会のこととか、家族のこととか、いろんな話して、それがぼくの展覧会の面白さであるし大切なことやと思う。 

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ギャラリー島田 榎忠展 [MADE IN KOBE] 展示では《BAR ROSE CHU》で実際に使っていたグッヅも展示されていた

 

鈴木:村上隆さんやヤノベケンジさんなども、榎忠さんに影響を受けたといっていますがどう思われますか?

榎忠:彼らが勝手にそう思っているだけであってぼくはなにもないよ。彼らが若いとき、関西にハンガリスタイルのぼくみたいなけったいなやつがおるな、という感じで興味持ったんやと思うよ。彼らはそういうふうに自分の道をみつけていくと思うしね。みんな立派になったけどね。

村上は会社みたいなのやってるし、日本の美術に対してお金にもならんというのはおかしいということを、若いときから思っとったからな。反骨というのか、賢いし行動力はあるしそれを実践してやったんや。 

金儲けに走っとるんちゃうかって言われることもあるんだけど 、実際それも必要やねんな。はたで見とる人はそう思うかもわからんけど、やってる人はほんまみんな大変やと思うし。

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村上も、ヤノベ君もそうやし、いまごっつ頑張ってやってるのは、そういうことやと思うよ。間違ったことはやってないと思うよ。自分がいまやりたいことをやってるかどうかが、その人にとって大事なことやと思うから。ぼくもそうありたいなと思うし。 

ぼくも半刈りしたりROSEしたけど、どれだけ批判とか変な目で見られたか。自分がやりたいことをやってるかどうかだけであって。そんなんもう、どっちゅうことないよ。

まあ、なんとかいままでやってこれたのは、やっぱり美術という小さな世界でやっとったから、生き残れてるかどうかわからんけど、そんなもんかなと思うぐらいよ。そんな感じかな。

 

榎忠の生き様

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やれる時 すぐ やる事
行動の美学である。

榎忠

 

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