建畠 晢 「草間彌生の世界―オブセッションと救済 」 新春アート大講演会「美意識の変容」 講演 CURATORS TV

ARTLOGUE 編集部2013/02/01(金) - 00:00 に投稿
建畠 晢 「草間彌生の世界―オブセッションと救済 」 新春アート大講演会「美意識の変容」 講演 CURATORS TV

建畠 晢 「草間彌生の世界―オブセッションと救済 」 新春アート大講演会「美意識の変容」 講演のギャラリートーク

スピーカー

会場

大阪市中央公会堂

会期

2013年1月5日

展示について

第1部 講演 新宮一成 「フロイトは何を見ていたのか」 http://www.curatorstv.com/video/480012 鷲田清一 「芸術における〈生(なま)〉なもの?」 http://www.curatorstv.com/video/487005 建畠 晢 「草間彌生の世界―オブセッションと救済 」 http://www.curatorstv.com/video/478018 第2部 シンポジウム 「美意識の変容」 新宮一成 + 鷲田清一 + 建畠 晢 http://www.curatorstv.com/video/404003 美はプロテウスであり常に姿を変える。その変容を言うための言葉はどこにあるのか。 精神分析は、人が別の人に成るという不可解を、いつも見て、聴いてきた。 それは、自己と他者のあいだの境界を越えるということか?しかし、越えたら、そこには元の自分を意識できる自分はいない。 では、そこにはいわゆる「自他未分」の領域がひろがっているのか?ではそこはどこなのか? 精神分析は、同一化という言葉で、そして投射や内面化という言葉で、そうしたことを語ってきた。その語りはひとつの論理的演算なのだ。 自己と他人、人間と自然、そして、生命と死者のあいだを行き来できるもの、それは純粋な構造だけである。人がはっと気づく皮膚感覚のゆらぎは、構造に横切られたことの感覚である。そうした感覚を人は美と呼ぶようになっているのではないか?ならばそれはどこまでも可変的ではないか?  精神分析が扱ってきた構造の領域は、現代の芸術が扱っているものと、トポスが同じだ。構造に横切られた痕跡が、なぜか目に見えたり、耳に聴こえたりする瞬間がある。それをその場の形にしたものが芸術である。 精神分析から考えてみたときに分かるこのような美の感覚、それは、作品との出会いによって、わたしたちの内面にもたらされる感覚である。それはわたしたちの痕跡が震えだす刻である。 痕跡の震えひとつで、空間が別のものに変わっていく経験を、三人の話者による三分野のずれの中から、それぞれ聴きとっていただけるだろうか。多数の作家諸氏の協力を得て、ここに美と知の横断の場を皆様とともに形成したい。

アーティストについて

建畠 晢(たてはた あきら)  京都市立芸術大学長/埼玉県立近代美術館長 1947年京都生まれ。早稲田大学文学部卒。芸術新潮編集部、国立国際美術館主任研究官、多摩美術大学教授、国立国際美術館長を経て、現職。美術評論集に『問いなき回答』(五柳書院)など、共著に『表象のディスクール』(東京大学出版会)など。アジアの近現代美術関係の企画展に「アジアのモダニズム」展(1995年、国際交流基金)、1998年「草間彌生―ラブ・フォーエヴァー」展(ニューヨーク近代美術館など巡回)。1990、1993年のベネチア・ビエンナーレ日本コミッショナー。2001年横浜トリエンナーレ、2010年あいちトリエンナーレのアーティステイック・ディレクター。詩人としては詩集『余白のランナー』で歴程新鋭賞、『零度の犬』で高見順賞を受賞。

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