奈良・平安時代の宮中で行われた天覧相撲「相撲節会(すまひのせちえ)」では、東方力士が勝利すると朝日を受けて咲く葵の花を、西方力士が勝つと夕日を受けて咲く夕顔(ひょうたん)の花を、それぞれの髪に差して退場。力士たちはそれらを褒美として受け取り、花を衣類や食料品に交換したと伝わり、花相撲の名の由来はこの時代にさかのぼります。 江戸時代になると「花相撲」は花の品評会をあらわす言葉となり、相撲の番付のように園芸品の番付が出され、大関から前頭までを東西に花を分け、葉や花弁の美しさ、珍奇さなどを競い合いました。そしてそれらの植物は、栽培方法などとともに「植物図譜」として描かれ、数多く出版されるなど、江戸時代の日本は、世界でも類を見ない独自で多様な園芸文化が花開きました。
同展では、ヤマザキマザック美術館の斜め向かいに位置する名古屋園芸の創業者である笠原左衛門尉亮軒氏が50年以上にわたり蒐集している「雑花園文庫」からとっておきの植物図譜などを、知って楽しい“花の対決”視点でご紹介します。また日本の植物や園芸文化に心惹かれ「ナンシーの日本人」とまで言われたアール・ヌーヴォーのガラス作家エミール・ガレの作品、そのモチーフとなった植物を描いた現代のボタニカルアートの作家たちとの饗宴をあわせてご覧いただけます。
ヤマザキマザック美術館が位置する「名古屋市東区葵」の“葵”の名は、徳川家の家紋である葵の花に由来します。朝日を受けて咲く花「葵」の地での多様な「花相撲」をお楽しみください。
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