美術館は川
館長 山梨 俊夫
前館長建畠晢氏の後を襲って、今春四月に着任いたしました。
国立国際美術館が中之島に移り8年目を迎え、これまでを振り返ると、千里の万博記念公園に開館して以来30数年の歴史の蓄積のなかに貫かれている美術館活動の方向性が見えてくる。もっとも顕著なのは、現代に積極的な関心をもち、美術の現代から発せられる様々な問題を探り出し、人々とともに考えていこうということである。もちろん、当美術館の活動はそれだけに限られない。しかし、国立国際美術館は、この一貫した方向性をもっとも重要な軸線と考え、それを持続させることで自らの個性を形成してきた。新たに舵取りを務めるにあたって、この軸線を大きく変更せずに維持していくことがまず肝要だと考えている。
現代を生きることから投げかけられる問いに真摯に答えていく美術家たちの仕事は、同じ時代を共有する私たちに大きな刺激と触発を与える。美術を媒介にして果たされる、美術家たちと見る者とのこの応答は、美術の魅力の中核をなしている。その魅力を、美術館を訪れる人々にできるだけ多く受け取ってもらい、それを種子にして一人一人が新たに多様な実りを育てるきっかけを提供することが美術館の最大の役割であるだろう。美術作品、美術家たちの仕事を目の当たりにして、それが語りかけてくることに驚き胸打たれ、私たちはそれに刺激され新たな感受性を開かれて、思いもかけなかった思考が呼び起こされる。美術とのそうした応答が実際に起きる場としてこそ、美術館は存在している。
言うまでもなく、それは現代の美術との交信によって引き起こされるばかりでなく、美術という広大で肥沃な領野の過去の時代、様々な地域との交信からももたらされる。それゆえに国立国際美術館は、現代の美術と関わることを中心軸としつつ、美術の限りない豊かさを忘れず、別の時代を紹介する機会も捉えながら美術の語り口を多彩なものにしていくことも必要としているだろう。こうしたことを基本としたうえで、では、あるべき美術館の姿とはどういうものかと思い浮かべてみたい。
たとえば美術館は川。源流に美術家たちの仕事、彼らの手から生まれた作品がある。美術家たちを源として無数の支流が流れ出し、早瀬をなし淵を作りながら川は、中流に入ると水嵩を豊富に湛えていく。それは美術館に作品が集まる様子そのものである。ダムや堰堤に水が溜められ、人々がやって来て水の輝きや彩りを眺め楽しむのは、展覧会になぞらえることができる。河原にも人々は集い、流れの傍らで様々な遊びや学びがつくりだされる。かと思えば、何もせず堤防の木陰でただ川を眺めながら吹き抜ける風を楽しむ人もいるだろう。人それぞれに川がそこに在ることを享受する。川はそういう人々の楽しみを呑み込みながら、ますます豊かな流れとなって、やがて、歴史の大海に流れ出していく。
美術館で働く人々は、美術館という川の流れを滑らかにし、深さを測り水質を調べ、川筋を整え、流れを楽しむ人々の集う河原を用意し、流れの行方を思いやっている。中世の日本には「楽市」があったという。集落や町をはずれた河原のような人々が行き交う場に、為政者の規制の及ばない自由に交易できる市が立った。楽市はそういう交易場を指している。河原に立つ楽市のような賑わいの場となる美術館は、治外法権の地でこそないが、美術を仲立ちにして精神の自由な交易が交わされる想像力の楽市となる。
美術館の望ましい姿は、そんな川から連想される。川筋をつくり流域を整えるのは美術館で働く人間であっても、水流そのものは美術家たちのつくるもの、川を楽しみ川筋の賑わいをつくりだすのは美術館を訪れる人々である。美術館という川は、数々の人の手で初めて生き生きとした姿を得ていく。
そういう川はどうすれば生まれるだろうか。美術館からの働きかけを活発にして、美術家を含め多くの人々が近づきやすいものにすることが第一の要件ではあるだろう。しかしそう言っただけでは漠然として判りにくい。美術館活動の成り立ちを思ってみれば、それは次の四つの柱を骨組みにして構成される。