自分自身のプロデュース能力にも長けていたタマラ・ド・レンピッカ。女優のような美しい姿がいくつもの写真に残されています。
今日の「Google Doodle」、あれっと思うとやはりタマラ・ド・レンピッカ(Tamara de Lempicka, 1898~1980)でした。アール・デコの画家として知られる彼女の絵は一目みてそれとわかるスタイルがあります。
今日 https://t.co/jxzHyDJI9H では #タマラ・ド・レンピッカ 生誕120周年をお祝い♪ポーランド生まれの画家で #アール・デコ を象徴する存在です☆ pic.twitter.com/1zzCjyPMBV
— Google Japan (@googlejapan) 2018年5月16日
ポーランド出身のレンピッカは裕福な上流階級に育った女性。両親の離婚を機にサンクト・ペテルブルクに居を移し、若くして自分が恋した男性との結婚を果たします。その後ロシア革命が起こると夫ともにロシアを脱出、各地を転々としながらパリでの暮らしをスタートさせます。
彼女が只者でないのは、結婚相手を自らの意思で選んで勝ち取り、その夫がロシア革命で逮捕されると、自ら行動して彼を助け出したエピソードからも伺えるのですが、やはりなんといってもすごいのは、パリでの生活を経済的に支えようと一念発起して画家を目指し、それを見事成功させた点。
ウィキペディアの英語版によると、彼女が最初の肖像画を描いたのは10歳の時。レンピッカの母の依頼で、地元の著名な画家がレンピッカの肖像画をパステルで描いたところ、その出来が気に入らず、自らパステルを手にとって妹をモデルに絵を描いたのだそうです。また少女時代に祖母と出かけたイタリア旅行も、彼女のアートへの関心を掻き立てました。パリ以前の彼女の人生は、経済的、文化的に恵まれ、自然とアートに囲まれるようなものであったことは想像に難くないのですが、趣味の範疇を越え、画業で生計を立てることは念頭になかったと思われます。
パリでの生活を立て直すため、レンピッカは、パリのモンパルナスにあるアカデミー・ドゥ・ラ・グランド・ショミエール(L'académie de la Grande Chaumière)に入り、画家のモーリス・ドニ(Maurice Denis, 1870~1943)等に師事します。またたく間に個展を開くまでになり、画家としての名声、経済力、社会的地位まで手に入れます。なおかつ、美貌でも有名な彼女はファッショナブルな装いに身を包み、上流社会に出入りしながら、ボヘミアン的な生活も謳歌します。
パリでの生活はナチスの台頭とともに終わりを告げ、その後彼女はアメリカへ。パリ時代のパトロンだったラウル・クフナー(Raul Kuffner)男爵を新たな夫とし、ビバリーヒルズに居を構えます。ハリウッドの映画人と交流する華やかな暮らしぶりだったものの、画家としては次第に時代遅れとみなされるように。題材、作風を模索しつつも、最終的にはプロの画家を廃業します。
かといって生活が困窮するわけでもなく、長生きの甲斐もあって画壇のトレンドは一周、1970年代には再び脚光を浴びるようになるんですよね。強い!
女性の社会進出が著しく進んだ20世紀を経た21世紀。それでも「#MeToo」の声が上がり、物議を呼んでいます。そんな中彼女のように壁にぶつかっても自分のルールで人生の舵取りをした女性がいたことをお伝えしたく今日はご紹介させていただきました。
ちなみに彼女のコレクターとしてはマドンナやジャック・ニコルソン等が名を連ねています。2016年には日本でも、彼女と彼女自身にインスパイアされた資生堂クレ・ド・ポー ボーテのメーキャップ・コレクションが発売されており、彼女に魅了される人は後を立ちません。
特にマドンナに関しては、『オープン・ユア・ハート』や『Vogue』といったMVにまでレンピッカ作品が登場する程。彼女がパフォーマンスで表現してきた女性像やセクシュアリティーという点がレンピッカの生き方と重なっていて、作品だけではなく、彼女自身に強く惹かれているのではないかと思います。
というわけで、最後に、『セブン』を始めとする数々のヒット作品で知られる映画監督デヴィッド・フィンチャーが撮影した『Vogue』のMVを。マドンナの世界観が切り取るレンピッカ作品をご覧ください。