鷲田清一 「芸術における〈生(なま)〉なもの?」 新春アート大講演会「美意識の変容」 講演のギャラリートーク
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2013年1月5日
展示について
第1部 講演 新宮一成 「フロイトは何を見ていたのか」 http://www.curatorstv.com/video/480012 鷲田清一 「芸術における〈生(なま)〉なもの?」 http://www.curatorstv.com/video/487005 建畠 晢 「草間彌生の世界―オブセッションと救済 」 http://www.curatorstv.com/video/478018 第2部 シンポジウム 「美意識の変容」 新宮一成 + 鷲田清一 + 建畠 晢 http://www.curatorstv.com/video/404003 美はプロテウスであり常に姿を変える。その変容を言うための言葉はどこにあるのか。 精神分析は、人が別の人に成るという不可解を、いつも見て、聴いてきた。 それは、自己と他者のあいだの境界を越えるということか?しかし、越えたら、そこには元の自分を意識できる自分はいない。 では、そこにはいわゆる「自他未分」の領域がひろがっているのか?ではそこはどこなのか? 精神分析は、同一化という言葉で、そして投射や内面化という言葉で、そうしたことを語ってきた。その語りはひとつの論理的演算なのだ。 自己と他人、人間と自然、そして、生命と死者のあいだを行き来できるもの、それは純粋な構造だけである。人がはっと気づく皮膚感覚のゆらぎは、構造に横切られたことの感覚である。そうした感覚を人は美と呼ぶようになっているのではないか?ならばそれはどこまでも可変的ではないか? 精神分析が扱ってきた構造の領域は、現代の芸術が扱っているものと、トポスが同じだ。構造に横切られた痕跡が、なぜか目に見えたり、耳に聴こえたりする瞬間がある。それをその場の形にしたものが芸術である。 精神分析から考えてみたときに分かるこのような美の感覚、それは、作品との出会いによって、わたしたちの内面にもたらされる感覚である。それはわたしたちの痕跡が震えだす刻である。 痕跡の震えひとつで、空間が別のものに変わっていく経験を、三人の話者による三分野のずれの中から、それぞれ聴きとっていただけるだろうか。多数の作家諸氏の協力を得て、ここに美と知の横断の場を皆様とともに形成したい。
アーティストについて
鷲田清一(わしだ きよかず) 哲学者/大谷大学教授・前大阪大学総長 1949年生まれ。京都大学文学部卒業、同大学院修了。関西大学文学部教授、大阪大学大学院文学研究科教授、大阪大学理事・副学長、大阪大学総長を経て、現職。専門は哲学・倫理学。これまで哲学の視点から、身体、他者、言葉、教育、アート、ケアなどを論じるとともに、さまざまな社会・文化批評をおこなってきた。主な著書に、『「聴く」ことの力』(桑原武夫学芸賞)、『「ぐずぐず」の理由』(読売文学賞)、『モードの迷宮』(サントリー学芸賞)、『メルロ=ポンティ』、『顔の現象学』、『思考のエシックス』、『老いの空白』、『「待つ」ということ』など。