日本画

特集展示「隅田川七福神と向島の名所」

ARTLOGUE 編集部2018/12/11(火) - 13:38 に投稿
江戸時代の向島は広大な田畑が広がる田園地帯でした。隅田川の清流沿いには由緒のある古刹が建ち並び、人々はこぞって参拝しました。文人たちも多くこの地を訪れ、俳句や詩歌などの作品を残しています。 百花園園主佐原菊塢は、大田南畝、加藤千蔭、酒井抱一など親交のある文人達と、向島地域で七福神の神々にゆかりのある神社仏閣を選び、それらに百花園を加えて隅田川七福神を創始したと伝えられています。七福神を巡りながら風情ある向島を散策できる隅田川七福神巡りは次第に江戸庶民に広まり、今日では新春を祝う初詣の風習として多くの参詣客で賑わっています。 本展示では、正月の風物詩となった隅田川七福神巡りの歴史を紐解きつつ、江戸の人々に愛された向島の風景を浮世絵などから紹介します。

竹久夢二 美人画展 ―わたし美人?―

ARTLOGUE 編集部2018/12/11(火) - 13:33 に投稿
竹久夢二(1884-1934)といえば、美人画を描いた画家としてその名を知られています。独特の女性像は「夢二式美人」と呼ばれ、明治末~大正時代に一世を風靡しました。当時「夢二式」という言葉は美人の代名詞でもありました。うりざね顔に細長くしなやかな肢体、憂いを帯びた表情……。夢二式美人は果たして現代においても「美人」でしょうか?夢二は美人画になにを描いていたのでしょうか?本展では、鏑木清方・北野恒富といった弥生美術館所蔵の美人画作品や、当時の写真・雑誌記事などの「美人」にまつわる資料もあわせて展示いたします。美人画とは、美人とはなにか。その魅力と謎に迫ります。

企画展 漆軒と印象 明治生まれの堂本兄弟・うるしと日本画の競演

ARTLOGUE 編集部2018/12/11(火) - 13:26 に投稿
堂本漆軒(どうもとしっけん 1889-1964)は、日本画家の堂本印象(1891-1975)の兄で大正末期~昭和時代にかけて活躍した漆芸家です。 本展では、漆芸の分野で洗練された美を追求した漆軒と、新しい日本画を創造し画壇を牽引してきた印象のそれぞれの芸術活動を展観するとともに、印象が図案を手がけた共作の漆器も紹介し、兄弟による美の世界を見つめ直そうとするものです。 また、漆軒の代表作に、豪華客船あるぜんちな丸(1939年竣工)の一等食堂のために制作した蒔絵の飾扉があります。 第二次世界大戦の戦禍を免れ奇跡的にのこったこの扉は、戦前の客船を伝える貴重な遺品です。この機会にどうぞお楽しみください。

創立100周年記念 国画創作協会の全貌展

ARTLOGUE 編集部2018/12/11(火) - 13:26 に投稿
「生ルルモノハ藝術ナリ」で始まる宣言文を高らかにうたい上げ、京都の若き日本画家たちが国画創作協会を創立したのは大正7(1918)年のことでした。 当時30歳前後だった彼らは既存の日本画の価値観にとらわれることなく、個性と創作の自由を尊重し、生命感あふれる芸術の創造を目指しました。 このたびの記念展では、土田麦僊、小野竹喬、村上華岳、野長瀬晩花、榊原紫峰、そして第1回国展後に会員となった入江波光を含めた主要6作家の作品をはじめ、国展に入選したことで注目され、画家としての歩みをはじめた岡本神草、酒井三良らの初期代表作など、約70点が一堂に会します。 昭和3(1928)年の解散まで、わずか10年の活動期間にもかかわらず、日本の絵画史上大きな役割を果たした国画創作協会の全貌をご紹介する展覧会です。 新しい日本の絵画を生み出そうとした100年前の若者たちの挑戦をご覧ください。

洋画から新日本画へ 山口蓬春の飽くなき挑戦

ARTLOGUE 編集部2018/12/11(火) - 13:26 に投稿
日本画家・山口蓬春(1893-1971)の画業を顧(かえり)みるとき、ひときわ特徴的なのは、本格的に油彩画を学んだ後に日本画家になったということでしょう。 少年の頃より水彩画に熱中し、白馬会絵画研究所で油彩画を学んでいた蓬春は、東京美術学校(現・東京藝術大学)西洋画科に入学、在学中にその才能を開花させます。 しかし、自身の日本画への可能性を見出した蓬春は、改めて日本画科へ転科、首席で卒業したときには30歳になっていました。 その後、日本画家としての頂点を極めた蓬春でしたが、「はじめ日本画をやっているときは、油絵の技法というものがどうもじゃまになりましたね。それに当時は印象派がはいってきたときですがね、観察方法から画題の選び方までずいぶんなやみました。」(『サンケイ新聞夕刊』昭和40年〔1965〕12月14日)と語るように、その道のりは平坦ではありませんでした。 しかし、自らの芸術に真摯に向き合い、あらゆる美の知識を貪欲に吸収しながら、たゆみない努力を続け、ついに蓬春は、自らの目指すものとしてこれまでにない「新日本画」の創造に到達します。 そして晩年に至り、「油絵と日本画はそもそも絵の具がちがう。その絵の具を使って日本画は装飾性を発達させてきたし洋画は写実を追究してきた。(中略)日本画の顔料が持つ特殊性これを生かさないと。」(『富山新聞夕刊』昭和40年(1965)6月14日)と語る言葉には、油彩画と日本画という二つの世界を知り、その狭間で苦悩したからこそ得られた本質への深い理解があり、そのことが「新日本画」創造への原動力となったともいえるでしょう。 蓬春は、若かりし頃に描いた油彩画を戦時中も手放すことなく生涯大切に所持していました。 そこには蓬春のどんな想いが託され、それらの油彩画は私たちに何を伝えてくれるのか―。 蓬春芸術の出発点ともいえる油彩画と戦前戦後を通じた日本画を一堂に会し、通観することで「新日本画」に込められた蓬春の世界観とその魅力を探ります。

小倉遊亀と院展の画家たち展

ARTLOGUE 編集部2018/12/11(火) - 13:10 に投稿
明治31年(1898)、岡倉天心によって東京・谷中に創立された日本美術院には、横山大観や菱田春草らが集い、新たな日本画の創造に挑みました。 経営難の時代を経て、天心の没後、大正3年(1914)に大観、安田靱彦、今村紫紅らによって日本美術院が再興されると、美術院の展覧会(院展)には彼らのほか小林古径、前田青祁、速水御舟をはじめ、京都の冨田淡仙や大阪の北野恒富など個性豊かな画家たちが意欲作を次々と発表しました。 滋賀県大津市出身の小倉遊亀(1895-2000)は、奈良女子高等師範学校を卒業後しばらくは教壇に立ちながら画家を志していましたが、大正9年(1920)、25歳で安田靱彦に師事しました。 以後、院展の先輩たちの感化を受けながら、また後進の育成にも力を注ぎつつ研鑽を積み、105歳で没するまでひたむきに描き続けました。 彼女の作品は、伝統を受け継ぎながらも、時代に合った新しい感覚を備え、その明るさと力強さ、気品の高さをもって、没後20年を迎えようとする今日もなお人々を魅了してやみません。 本展は、小倉遊亀と日本美術院の画家たちを収集方針に掲げ活動してきた滋賀県立近代美術館の全面協力を得て、同館が所蔵する名品により、小倉遊亀の芸術の精華とそれを育んだ日本美術院の俊英たちの活躍をたどります。

東日本大震災復興祈念 伊藤若冲展

ARTLOGUE 編集部2018/12/11(火) - 13:09 に投稿
伊藤若冲(1716-1800)は、江戸中期、京都に生まれた画家です。緻密な線描と極彩色の作品を手がける一方、伸びやかで自由な筆遣いとユーモラスな表現が特徴的な水墨画を数多く残しました。 若冲作品の魅力は、なんといっても、動物でも植物でも生きものたちに等しく向けられた画家の眼差しが捉えた、生命の耀きに他なりません。 作品を目の前にした人は、そこに命あるものの力強い生きる力を感じ取ることができるでしょう。 本展では、そうした若冲芸術の魅力を堪能していただくとともに、晩年、天明の大火(1788年)で焼け野原になった故郷・京都を目のあたりにした若冲の、復興に寄せた気持ち、芸術に託した想いもご紹介したいと考えています。 また、アメリカのデンバー美術館、ミネアポリス美術館などのご協力をいただき、海外の人たちが愛した故に日本を離れることになった作品もご覧いただきます。 2013年、福島県立美術館では、プライスご夫妻の多大なご協力のもとに「若冲がきてくれました」展を開催し、深い感動を与えました。 本展は、前回とは異なった視点から再び若冲芸術を見直すことで、あらためてその魅力を伝え、感動と喜びを通して心の安らぎとともに生命のエネルギーを感じていただき、東日本大震災からの復興祈念とするものです。

特別展「京都・醍醐寺 ー 真言密教の宇宙 ー」

ARTLOGUE 編集部2018/12/11(火) - 13:06 に投稿
京都市の南東に位置する醍醐寺は、千百年以上の歴史を持つ真言密教の名刹です。 その歴史は、平安時代・貞観16年(874年)、理源大師聖宝(832~909)が醍醐味の水が湧き出るという笠取山に草庵を結んだことに始まります。 開創以来、人々の願いをかなえる祈祷や修法といった実践を重視する寺として発展し、ときの権力者たちの篤い信仰を集めてきました。 こうした歴史を物語るように、醍醜寺には数多くの仏像や仏画、経典類が伝わっています。 本展では、密教美術の宝庫ともいえる醍醐寺から、薬師堂本尊である薬師如来および両脇侍像(国宝)をはじめ国宝・重要文化財を多数含む珠玉の仏教美術をご紹介いたします。 加えて、豊臣秀吉による「醍醐の花見」ゆかりの品々や俵屋宗達らの華やかな近世美術も見どころです。密教美術の頂点ともいえる名品の数々をご堪能ください。

役行者絵巻と親鸞聖人絵伝

ARTLOGUE 編集部2018/12/11(火) - 13:04 に投稿
修験道の祖である役行者、鎌倉時代の浄土真宗の祖である親鸞の絵伝を紹介します。 絵画を伴った伝記は、釈迦(ブッダ)を発端としており、ガンダーラ地域でその生涯や説話が仏伝図として彫刻され、やがて各地で壁画や絵画として表されていきました。日本においても、釈迦の説話を絵画と経文で表現した中国由来の「絵因果経(えいんがきょう)」が、奈良時代に描かれています。 時代とともに絵伝の対象は広がり、日本においては、奈良時代に「聖徳太子絵伝(しょうとくたいしえでん)」が太子信仰を背景として成立したと考えられています。また、平安時代以降になると、弘法大師や一遍上人など、多くの祖師や高僧の生涯が、絵巻などに描かれていきました。 役行者絵巻(部分)江戸時代(17~18 世紀)や親鸞聖人絵伝(全4幅)江戸時代(17~18 世紀)などを展示します。 仏教の歴史や多様性のある文化にふれていただければ幸いです。

かわいい浮世絵 おかしな浮世絵

ARTLOGUE 編集部2018/12/11(火) - 12:56 に投稿
江戸時代の浮世絵には、美しい遊女や格好の良い役者たち、人気の名所など、当時の人々が夢中になった、さまざまな流行や風俗が数多く描かれています。 しかし、江戸時代から150年以上たった現在、当時の人と全く同じ感覚で浮世絵を楽しむのは、たとえ予備知識があったとしても、なかなか難しいことかもしれません。 では、「かわいい」や「おかしい」といったキーワードで、浮世絵を見てみたらいかがでしょうか。 浮世絵には、今の目からみても素直に「かわいい!」と口に出してしまうような動物や子どもたち、あるいは思わず吹き出してしまうような奇妙な生物、ドタバタ喜劇を繰り広げるユーモラスな人たちがたくさん登場します。 理屈抜きで楽しいこれらの絵を見るとき、私たちは江戸時代の人たちとほぼ同じ感覚を共有できるのかも知れません。 ぜひ気楽な心持ちで、たくさんの「かわいい」「おかしな」浮世絵をお楽しみください。