田沼武能写真展 東京わが残像 1948-1964

ARTLOGUE 編集部2019/01/15(火) - 10:46 に投稿
田沼武能(1929-)は東京写真工業専門学校(現・東京工芸大学)を卒業後サン・ニュース・フォトス社に入り、木村伊兵衛の助手として写真家人生をスタートしました。米寿を迎え今なお写真家として第一線で活躍する田沼ですが、彼が子どもや文化人の写真と並びライフワークとしてきたのが、自身の生まれ育った下町を中心とした東京の写真です。戦後の焼け野原から出発し、様々な矛盾を内包しながらも再生を目指し激しく変貌した都市・東京。その諸相を捉えた写真作品を「子ども」「下町」「街の変貌」の3つの視点からご紹介します。

ロンドン・ナショナル・ギャラリー展

ARTLOGUE 編集部2019/01/15(火) - 10:46 に投稿
ロンドン・ナショナル・ギャラリーは、英国ロンドン中心部のトラファルガー広場に面した世界有数の美術館です。王室の収集を母体とした多くのヨーロッパの美術館とは違い、1824年に国家制定法により設立された美術館であることに最大の特徴があります。13世紀から20世紀初頭までのヨーロッパ絵画の様々な画派を網羅した約2,300点の作品を所蔵し、年間の来場者数は世界の美術館・博物館でもトップ5に入る500万人超を誇りながら、これまで館外で所蔵作品展が開催されることは一度もありませんでした。この度、日本初公開となるゴッホの傑作《ひまわり》をはじめ傑作約60点を一挙日本で公開することは、同館史上初の試みであり、歴史的な開催となります。

The 備前 ― 土と炎から生まれる造形美 ―

ARTLOGUE 編集部2019/01/15(火) - 10:46 に投稿
備前焼は、釉薬を施さず土と炎の造形から生まれるシンプルで原始的なやきものとして、古くから日本人に愛されてきました。「窯変(ようへん)」「緋襷(ひだすき)」「牡丹餅(ぼたもち)」「胡麻(ごま)」「桟切(さんぎり)」など、薪窯による焼成で生まれた景色は他のやきものにはないみどころです。 本展では桃山時代に茶人・数寄者によって見立てられた古備前の名品から、その古備前に魅せられ作陶に取り組んできた近代の作家、さらに先達から受け継いだ技術を生かして現代の備前を確立しようとする若手の作品まで、重要無形文化財保持者の作品も交えて、幅広くご紹介。シンプルでありながら、多彩な表現を生む備前の魅力を探ります。

鈴木敏夫とジブリ展

ARTLOGUE 編集部2019/01/15(火) - 10:46 に投稿
「鈴木敏夫とジブリ展」は、国内外問わず多くのファンを持ち愛され続けるジブリ作品を手掛けてきた、スタジオジブリの敏腕プロデューサー鈴木敏夫氏の“言葉”に注目した展覧会です。 一昨年の広島(筆の里工房)を皮切りに、昨年、名古屋(松坂屋美術館)と、金沢(金沢21世紀美術館)で開催され、好評を博した「スタジオジブリ鈴木敏夫言葉の魔法展」を元に、さらにジブリの魅力を詰め込みバージョンアップ。会場には、鈴木敏夫氏が書き下ろした書やイラストをはじめ、新たな時代へのメッセージを来場者に投げかける特別企画や、本企画展の会場となる神田明神とジブリのコラボレーショングッズの販売も予定しています。 作品の世界観をより多くの人に伝えるため、監督の意図を汲み作品と真摯に向き合うことで、その本質を「言葉」にして伝えてきた鈴木敏夫氏。その力強い“言葉”を見ただけで、きっと誰しも心に残る名場面を鮮明に思い出すとともに、ジブリの世界観に強く引き込まれるでしょう。 高畑勲、宮崎駿両氏と出会って40年、「風の谷のナウシカ」や「千と千尋の神隠し」、そして「風立ちぬ」、「かぐや姫の物語」まで、ジブリはどこから始まりどこへ向かうのか。展示では、鈴木氏による書やジブリ作品の資料を用いて、鈴木敏夫氏の「原点」から「今」を紹介することで、スタジオジブリの秘密に迫ります。

福沢一郎展 このどうしようもない世界を笑いとばせ

ARTLOGUE 編集部2019/01/15(火) - 10:46 に投稿

2018年に生誕120年を迎えた福沢一郎(1898-1992)。 1930年代の日本にシュルレアリスムを紹介し、前衛美術運動のリーダーとして活躍しました。戦時中は弾圧を受けますが、戦後は再び社会批評的な視点から人間群像の大作に取り組み、晩年は文化勲章を受章するなど波乱の人生を歩みました。 福沢は「謎めいたイメージ」の中に込めた知的なユーモアによって、社会の矛盾や人びとの愚かな行いを諷刺的に笑いとばしました。本展では油彩・素描・写真など約100点の作品から、福沢が時代の中でどのように社会と向き合い表現したのかを今日的視点から見直し、彼の作品を再評価していきます。 いかなる社会状況にあっても、エスプリの効いた社会批評をしたたかに続けた福沢の表現は、普遍的な人間批評の実践として、私たちが現在直面している表現や言論をめぐる様々な状況を考えるヒントを与えてくれるでしょう。 会場では担当学芸員による鑑賞ワークシートをご用意。福沢のシュールでユーモアにあふれたイメージを、いつもとちょっと違った角度から、謎解き気分でご覧いただけます。

少しも退屈と云(いう)ことを知らず―鷗外、小倉に暮らす

ARTLOGUE 編集部2019/01/15(火) - 10:45 に投稿
森鷗外は、明治32(1899)年6月から35(1902)年3月まで、第十二師団軍医部長として小倉(現・福岡県北九州市)へ赴任しました。 小倉での生活や職務、関心事は『小倉日記』と『小倉日記附録』に記され、松本清張の芥川賞受賞作品『或る「小倉日記」伝』として、その存在が有名になりました。 鷗外は小倉で、自ら家政をとる一方、勉強会を行い、外国語の学習や史跡探訪などを通して、地元の人々と精力的に交流しました。「公私種々ノ事業ノ為メニ(中略)少シモ退屈ト云コトヲ知ラズ」と親友に宛てた書簡も残っており、新たな学びの機会を得ました。そして、小倉での経験を経て、後に小説『鶏(にわとり)』『独身』『二人の友』という小倉三部作を世に送り出しました。 本展覧会では、小倉で暮らした鷗外を『小倉日記』『小倉日記附録』、友人や家族へ宛てた書簡、写真などの館蔵資料から紹介します。 【同時開催】 文の京ゆかりの文化人顕彰事業 コーナー展示「鷗外と明治20年代の人物交流」 生誕150年を迎える作家、山田美妙と内田魯庵についての展示です。

平瀬ミキ《Translucent Objects(半透明な物体)》

ARTLOGUE 編集部2019/01/15(火) - 10:45 に投稿
ディスプレイには、重なり合った複数の積み木のような物体が映し出されています。 それは画面の中に時折現われる手によって映像に映されている空間を移動させられながら、配置を変えていきます。 その映像は半透明で、ふたつのよく似た映像が重ね合わされており、映像内の物体が重なった部分が不透明な状態になって、空間の中で実体化しているように見えます。 この作品、《Translucent Objects(半透明な物体)》は、対面する2台のカメラの間の空間で起こる出来事を同時に撮影し、その一対の映像素材をそれぞれ不透明度50パーセントにした状態で重ね合わせることで、ひとつの映像を作り出しています。 それは、被写体の正面と背面をそれぞれとらえたカメラによって、その両方を同時にひとつのフレームの中に収めたものになります。 また、両面の映像が重なることによって、半透明などこか朦朧とした映像空間の中に、不透明度100パーセントになった、この撮影システムによるメディア空間の中だけに存在する虚像が現われます。 作家はこの作品を「映像表現による彫刻作品」と呼んでいます。 それは、虚像としての映像を可塑性のある素材として扱い、シンプルな手法でありながら、観客に複雑な視覚体験をもたらし、メディアを通して対象をとらえることの意味を問いかけています。