熊谷守一 《雨滴》 1961年 愛知県美術館 木村定三コレクション
97年、自分の思うままに 生き、描いた画家の軌跡
没後40年を記念して、画家、熊谷守一(1880‐1977)の回顧展を開催します。
熊谷守一は、明るい色彩と単純化されたかたちを持つ作風で知られます。晩年は花や虫や鳥など身近なものを描きたくさんの作品を生み出しました。飄々(ひょうひょう)とした味わいを持つエッセイでも知られ、『へたも絵のうち』(原著は1971年、現・平凡社ライブラリー刊)は、現在もロングセラーの文庫となって若い層にも読み継がれています。
その作品は一見ユーモラスで、何の苦もなく描かれたように思えます。しかし、若い時期から晩年までの制作を詳しくたどると、暗闇や逆光など特殊な条件下でのものの見え方を探ったり、スケッチをもとに同じ図柄を複数の作品に用いる方法をつくり上げたりと、さまざまな探究の跡が見えてきます。穏やかな作品の背後には、科学者にも似た観察眼と考え抜かれた制作手法とが隠されているのです。
この展覧会は、最新の研究成果を踏まえて行われる、東京で久々の大回顧展です。《雨滴》(1961年、愛知県美術館 木村定三コレクション)、《猫》(1965年、同)といった代表作をはじめ、200点以上の作品が一堂に会します。
97年の長い人生には、作風の変化はもちろん、家族の死などさまざまなことがありました。しかし熊谷は自分の思うままに生き、そして描きました。その作品世界を存分に感じ取っていただけたらさいわいです。
クマガイ モリカズってどんな人?
1880(明治13)年 ~ 1977(昭和52)年
岐阜県恵那(えな)郡付知(つけち)村に生まれる。1897(明治30)年上京。1900(明治33)年、東京美術学校西洋画科撰科に入学し、黒田清輝、藤島武二らの指導を受ける。同期に青木繁、和田三造らがいる。1904(明治37)年に同校を卒業。1909(明治42)年には《蝋燭(ローソク)》により第3回文展で褒状を受ける。翌年一時帰郷、1915(大正4)年に再上京するまで、材木運搬などの仕事につく。
上京後は二科会で発表を続け、二科技塾の講師も務める。1922(大正11)年、大江秀子と結婚。1928(昭和3)年に次男・陽を、32(昭和7)年に三女・茜を、47(昭和22)年に長女・萬(まん)を失くすなど、戦争をはさんで次々と家族の死に見舞われる。戦後は明るい色彩と単純化されたかたちを特徴とする画風を確立。97歳で没するまで制作を行った。
住まいの跡地は現在二女、熊谷榧(かや)氏を館長とする「豊島区立熊谷守一美術館」となっている。