熊谷美術館
萩藩7代藩主毛利重就は藩の財政立て直しに着手するや、宝暦4年(1754)3月城下の商人の中から小壮有為の者として熊谷五右衛門芳充(1719-1791)を抜擢して所需方御用遠とした。芳充はよくその期待にこたえて活躍し、大阪御用達であった鴻池や加島屋と同格(上方町人格)に置かれるようになり更に市中大年寄にも任ぜられた。そして明和5年(1768)50才の時今魚店町に新居を構えた。 その後2代五右衛門芳慶(1749~1803)・3代源左衛門芳雄(○○-1817)・4代五右衛門義比(1795-1860)・5代五右衛門義敏(1828-1860)6代五一義右(1818-1882)までは御用商人として藩にっかえ、明治以降も7代万吉(1856-192