住所
山口県 萩市 今魚店町47
エリア
萩藩7代藩主毛利重就は藩の財政立て直しに着手するや、宝暦4年(1754)3月城下の商人の中から小壮有為の者として熊谷五右衛門芳充(1719-1791)を抜擢して所需方御用遠とした。芳充はよくその期待にこたえて活躍し、大阪御用達であった鴻池や加島屋と同格(上方町人格)に置かれるようになり更に市中大年寄にも任ぜられた。そして明和5年(1768)50才の時今魚店町に新居を構えた。
その後2代五右衛門芳慶(1749~1803)・3代源左衛門芳雄(○○-1817)・4代五右衛門義比(1795-1860)・5代五右衛門義敏(1828-1860)6代五一義右(1818-1882)までは御用商人として藩にっかえ、明治以降も7代万吉(1856-1923)・8代二作(1882-1940)・9代敦義(1890-1971)が引続いて230年間この家に住み当10代五右衛門幸三に至っている。
歴代主人のうち特に4代は文化愛好者として学者や文人墨客に経済的援助をしたり、ドイツの医家シーボルトとも親交をむすび、6代は幕末維新に際して尊接運動を大いに支援して贈位の恩命に浴している。
こうして熊谷家には歴代主人の好によって集められた美術品の外に、多くの興味ある文書類も残って居るので、9代は昭和40年4月これら文化資料を保存及び公開することを目的として、財団法人熊谷美術館を設立開館し、今日にいたる。
その後2代五右衛門芳慶(1749~1803)・3代源左衛門芳雄(○○-1817)・4代五右衛門義比(1795-1860)・5代五右衛門義敏(1828-1860)6代五一義右(1818-1882)までは御用商人として藩にっかえ、明治以降も7代万吉(1856-1923)・8代二作(1882-1940)・9代敦義(1890-1971)が引続いて230年間この家に住み当10代五右衛門幸三に至っている。
歴代主人のうち特に4代は文化愛好者として学者や文人墨客に経済的援助をしたり、ドイツの医家シーボルトとも親交をむすび、6代は幕末維新に際して尊接運動を大いに支援して贈位の恩命に浴している。
こうして熊谷家には歴代主人の好によって集められた美術品の外に、多くの興味ある文書類も残って居るので、9代は昭和40年4月これら文化資料を保存及び公開することを目的として、財団法人熊谷美術館を設立開館し、今日にいたる。
郵便番号
758-0052
アクセス数
0
1
1
緯度
34.41688388
経度
131.39606806