豊臣の肖像

ARTLOGUE 編集部2018/10/23(火) - 02:30 に投稿

秀吉とねね(北政所)夫婦の親族や家臣団を含めて成立した豊臣集団。16世紀後半、戦いが続いた日本国内を統一した豊臣秀吉は、その集団の創始者です。政治的権力や財力を手に入れた秀吉は、死後にも軍神として崇められることを願いました。死後に朝廷より秀吉に対して「豊国大明神」という神号が与えられ、各地に祀られることになりました。
秀吉の統一の永続への願い空しく、彼が亡くなった後の家臣団は分裂し、また戦いが始まりました。秀吉の息子・秀頼が戦いに負け、秀吉が建てた大坂城も失われました。それらを救うことができなかった「豊国大明神」の威信が失われ、豊臣集団は解体してゆきます。
しかし、徳川家康が江戸幕府を開いた後にも、豊臣から離れなかった人々はありました。秀吉亡き後、出家して高台院となったねねの存在は親族らの精神的中心となり、公家や武家の人々との交流も続きました。
ねねの菩提寺である高台寺には秀吉像、高台院像以外に豊臣の人々の肖像が残されています。そして関連寺院にも秀吉夫妻と関わりの深かった人々の肖像が伝わります。それぞれの肖像は、写真が無かった時代に、亡き人の容貌を思い出し、その人を供養する際に用いられました。そしてそれらの肖像は描かれた人々の人生や地位を語り継ぐために役立ちました。
この展覧会では、豊臣の人々の肖像と共に当時の道具や工芸品(高台寺蒔絵など)や資料も紹介します。それらの品々は、人間の限りある人生の栄華や儚さを皆様に語りかけることでしょう。

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