揺らめく光、移ろう自然の色彩をカンヴァスに留めるには? ー 光と色彩の科学で自然の美を描いたポール・シニャック

はこしろ2018/08/14(火) - 17:45 に投稿
揺らめく光、移ろう自然の色彩をカンヴァスに留めるには? ー 光と色彩の科学で自然の美を描いたポール・シニャック
ポール・シニャック《Golfe Juan》1896年頃、カンヴァスに油彩、65.4 ×81.3cm、ウースター、ウースター美術館蔵

8月15日が、何の日か知っていますか?


今から約80年前、ポール・シニャック(Paul Victor Jules Signac, 1863~1935)という画家がフランスにおりました。8月15日は彼の命日。シニャックが残した作品、その足跡を追ってみましょう!

とはいえ、シニャックで誰…?どんな絵を描いた人なの…?

美術史の世界では一見シニャックは脇役、あまり目立たない位置にいます。

 

シニャックって誰?

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ポール・シニャック《Capo di Noli》1898年、カンヴァスに油彩、93.5×75 ㎝、ケルン、ヴァルラフ・リヒャルツ美術館蔵

シニャックは、「新印象主義」の画家です。

印象主義は聞いたことあるけど、「新」印象主義?なんだそれ??

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こちらは印象派の名の由来となった歴史的な作品。この作品が展示された展覧会に、悪意を込めて評論家が放った「印象主義」という言葉が美術史上重要な名称とひて後世に残り続けることに。なんとも皮肉な結末です。
クロード・モネ《印象・日の出》 1872年、カンヴァスに油彩、48×63cm、パリ、マルモッタン美術館蔵

印象派の画家たちが「なんとなーく綺麗な雰囲気を、なんとなーく描いた」のに対して、新印象派の画家たちは「綺麗な風景を科学的に!体系的に!しっかりかっちり表現する!」をコンセプトに活動しました。シニャックは、そんなしっかりかっちり系画家だったのです。

でも、彼が活躍した同じ時代に、すでに有名なしっかりかっちり系画家がいました。

ジョルジュ・スーラ(Georges Seurat, 1859~1891)です。

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ジョルジュ・スーラ《グランド・ジャット島の日曜日の午後》1884~1886年、カンヴァスに油彩、207.6×308cm、シカゴ、シカゴ美術館蔵

スーラの描く絵は計算され尽くしていました。色が人の目に飛び込むとき、どのように見えるのか…この色とこの色を隣り合わせにして使うと、人の脳は何色として認識するのか…そんな科学的なことを考えて絵を描いていました。いえ、描くと言うより、細かい点を並べて構築していく、と言った方が良いかもしれません。

今まで直観的で「なんとなくこんな感じが綺麗!」といった風に描くのが主流だった印象派の世界で、スーラは色彩を科学的に表現したのです。
シニャックはそんなスーラの描き方にひどく感激し、彼の弟子になります。

 

シニャックが目指した絵ってどんなの?


「それなら、結局シニャックはスーラの真似をしただけだよね。脇役には変わりないよ」

そんな風に思ってしまいますよね。しかし、いえいえとんでもない!シニャックはただスーラの真似をしただけではありませんでした。

シニャックの心の中には、もう一人の巨匠が住んでいたのです。

それは、印象派を代表する画家、クロード・モネ(Claude Monet, 1840~1926)。

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クロード・モネ《ジヴェルニーの日本の橋と睡蓮の池》1899年、カンヴァスに油彩、89.2 × 93.3 cm、フィラデルフィア、フィラデルフィア美術館蔵

睡蓮の連作がとても有名ですよね。

シニャックは、スーラのかっちりした描き方を真似しながら、心の中ではモネの世界も同時に愛しました。差し込む陽光、心地よい大気の匂い、揺らめく水面のきらめき…

え、なんでスーラと描き方が真逆のようなモネもお手本にしたかって?

そのきっかけは、シニャックが画家を志そうとした頃までさかのぼります。

シニャックは、もともとは独学で絵を学んだアマチュア画家。そんな中で本格的に画家を目指そうとしたとき、彼は思ったのです。

「印象派っぽいかんじなら俺でも多分描けるけど?なんかテキトーっぽいし」

美術館で印象派の絵を見た人が、「こんなん俺でも描けるよ(笑)」と指さして笑う姿を、あなたも見たことありませんか?

当時18歳だったシニャックも、同じように思ったのです。

シニャックはそんな軽い気持ちで印象派の画家になる道を選びました。もちろん、後年「自分は若かったからそう思ってしまったのだ」と述べています。どんなことがきっかけになるか、分かりませんね。

 

シニャックの世界


シニャックは、スーラの描き方を真似しながらも、絵画に「光」を求めていました。光、大気、水面…そんな移ろいゆく自然の色彩を求めた点は、モネと共通しています。

モネは感覚的に、スーラは科学的に。そしてその両方の良いところを吸収して独自の世界を作り上げたのが、シニャックだったのです。

酒井健氏の論文「ポール・シニャックと喜びの風景画――モネとスーラの狭間から――」によると、シニャックは自著『ウジェーヌ・ドラクロワから新印象派まで』の中で、自分たち、新印象派の画家たちを「色彩光輝派」(chromo-luminaristes)と呼んだそうです。

それは、印象派のモネのように絵に光を追い求め、たとえ描く方法が違っても目的は同じ…という思いをこめた呼び方でした。

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ポール・シニャック《Antibes - Morning》1914年、カンヴァスに油彩、80 × 120 ㎝、ワルシャワ、ワルシャワ国立美術館蔵

輝きを放つシニャックの作品たちは、整然としながらもどこか優しく、鑑賞者に光を届けてくれます。

そんなシニャックの作品に会えるところが、実は東京にもあるって知っていましたか?

国立西洋美術館の常設展に、彼の作品が展示されています。彼、こんな身近なところにいたんですね!

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ポール・シニャック《サン=トロペの港》1901年、カンヴァスに油彩、131 x 161.5 cm、東京、 国立西洋美術館蔵

揺らめく光と色彩の科学が織り成すシニャックの世界…ぜひ本物を肌で体感してみましょう!

 

参考文献
池上忠治編 1993年『世界美術大全集 23 後期印象派時代』小学館
酒井健 2005年「ポール・シニャックと喜びの風景画――モネとスーラの狭間から(前編)――」『言語と文化(2)』法政大学言語・文化センター
酒井健 2006年「ポール・シニャックと喜びの風景画――モネとスーラの狭間から(後編)――」『言語と文化(3)』法政大学言語・文化センター

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