連載「ARTS ECONOMICS(アーツエコノミクス)」はARTLOGUEが提唱する文化芸術を中心とした新しい経済圏である ARTS ECONOMICS の担い手や、支援者などの活動を紹介する企画です。
アーティストや文化芸術従事者のみならず、ビジネスパーソン、政治家など幅広く紹介し、様々に展開されている ARTS ECONOMICS 活動を点ではなく面として見せることでムーブメントを創出します。
ARTS ECONOMICS バックナンバー
第一回 アートは ”人間のあたりまえの営み” マネックス 松本大が語るアートの価値とは…
第二回 リーディング美術館の提言をしたのは私だ。参議院議員 二之湯武史の描くビジョンとは
第三回 生粋のアートラバー議員 上田光夫の進める街づくり、国づくりとは
第四回 チームラボ 猪子寿之。アートは生存戦略。人間は遺伝子レベルで最も遠い花を愛でたことで滅ばなかった。
第五回 スマイルズ遠山正道。アートはビジネスではないが、ビジネスはアートに似ている。「誰もが生産の連続の中に生きている」の意味するもの。
生粋のアートラバー議員 上田光夫の進める街づくり、国づくりとは
南茨木駅にはヤノベケンジの《サン・チャイルド》、元茨木川緑地には名和晃平の《Trans-Ren》があり、アートを活用したまちづくり推進事業「HUB-IBARAKI ART PROJECT」が行われるなど、アートの街としても認知されはじめている大阪府茨木市。
その茨木市に安藤忠雄の「光の教会」の近くに住み、「NO ART, NO LIFE.」と公言している生粋のアートラバーである茨木市議会議員の上田光夫さんがいます。近代から現代まで幅広くアートに接し、政治家の立場から、アートを通じたまちづくりの活動もされる上田さんにアートへの思いをお聞きしました。
ゴッホに出会うまでアートには全く興味がなかった
鈴木:上田さんがアートを好きになったきっかけを教えてください。
上田: いやこれがね、もともと僕は体育会系でスポーツ少年だったので、アートに全く興味なかったんです。高校の時に美術を取っていたんですけど、理由はサッカーするためでした。美術の先生は自由やから、授業中何してもええって言われてて。美術の時間、サッカーするために美術を取ったっていうぐらい、美術に興味がない人間やったんですね。
結婚してから、嫁さんが美術好きで美術館に連れて行かれるようになったんだけど、美術館に行っても、全然美術を見ずに、入り口から出口にまっすぐ向かって、出口でタバコを吸って嫁さんを待つということをいつも繰り返していたわけですよ。
それが、2002年に兵庫県立美術館で「ゴッホ展」に行ったとき、いつものように入り口から出口まで向かってタバコを吸おうと思ったんだけど、展示の最後のほうにあった、星がぐるぐる回っていて嵐のような糸杉が立っている作品が目に入った時に足を止めてしまったんです。
フィンセント・ファン・ゴッホ《糸杉と星の見える道》1890
それまでは写真があるし、絵なんかいらんやんと思ってたんですが、《糸杉と星の見える道》を見たときに「美術ってなんやねん、これすげえなぁ。こんな気持ちになるものは絶対になんかある、これは人々にとって絶対に必要なものに違いない」と思いました。
何かはわからないけど、アートっていうのは人々の「何か」になり得ると直感的に思い、 以来31歳から16年間アートが好きです。
直島ベネッセハウスに宿泊、現代美術が面白くなってきた
鈴木: 上田さんが現代美術を好きになったのはいつからでしょうか。
上田:ゴッホから現代美術に行くまでには時間がかかりました。現代美術にゴッホの時に感じたエネルギーみたいなものをなかなか感じることができなかったんだけど、36歳の時に直島に行って現代美術が面白いと思ったんです。
直島では、ベネッセハウスに宿泊したんだけど、宿泊者は館内のベネッセハウスミュージアムを通常の時間外でも見ることができたと思うんです。宿泊していることもあって、時間も気にせず様々な作品の前を行きつ戻りつしていると、はじめて自分の中に現代美術が入ってきた様な気がしたんです。そうなったら一気に現代美術が面白くなっていった。そんな感じです。
あと、滋賀県立近代美術館の学芸員で、一般の人に面白く現代美術を解説するおじさんがいて、そこでも僕の現代美術に対する扉が開き始めました。ゴッホとの出会いから現代美術まで5年くらいかかっていますね。
市議会議員としてのアート活動
鈴木:今は様々な形でアートに関わられていると思いますが、市議会議員の活動としてはどうでしょうか。
上田: ずっと苦労しながらやっています。アートはアートのコアな人たちは好きなんですけども、未だに一般の人からは遠い。マニアックな方々しかわからないっていう世界があります。アートの尖っている部分や本質的な部分を譲らずに一般人とつないでいくということを目標にしています。
2010年、東京都現代美術館のキュレーター長谷川祐子さんを茨木に呼んで講演会をしようとして集まったメンバーが「茨木芸術中心」を立ち上げました。長谷川祐子さんを呼んだ後もミヅマアートギャラリーのオーナー三潴末雄(みづますえお)さんを呼んだりもしました。
茨木市はヤノベケンジさんの出身地なので、僕は2009年「水都大阪」のボランティアに行ったりしてヤノベケンジさんとのご縁を作ってきました。市民活動的なものとアート的なものを重ねるように、政治家の立ち位置でうまくコーディネートしていくというのが僕のこれまでの取り組みです。
東日本大震災のちょうど一年後、2012年3月11日に茨木市の彫刻設置事業で行った「ようこそ!サン・チャイルド・プロジェクト 」があるのですが、これは市民を巻き込みながらヤノベケンジさんの作品《サン・チャイルド》を南茨木駅に建てる事業だったんです。 翌年は名和晃平さんの《Trans-Ren》を建てました。
ヤノベケンジ「ようこそ!サン・チャイルド・プロジェクト 」南茨木駅前
僕は政治家なので、行政のお金が入るところに主体的に関わると公平性がなくなるから補助金の受け皿の代表になったら駄目なんです。だから僕はあくまでもオブザーバーのような形で関わっています。
鈴木:彫刻設置事業予算規模はどのくらいなのでしょうか
上田:当初は300万円ぐらいでやっていましたが、その後250万円ぐらいに減っています。
鈴木:《サン・チャイルド》を建てる事業をよく市の予算でできましたね。
上田:低予算にも関わらずヤノベケンジさんの男気で《サン・チャイルド》は実現しました。その際、市の職員の中に情熱を傾けてくれた方々がいたことも大きかったですね。
ヤノベケンジ、名和晃平等の「彫刻設置事業」から「HUB-IBARAKI ART PROJECT」へ
名和晃平《Trans-Ren(Bump,White) 》
photo : Nobutada OMOTE | SANDWICH
鈴木:彫刻設置事業は今も続いているのでしょうか
上田:続いてないです。「彫刻設置事業」が「若手芸術家支援事業」になり、「若手芸術家支援事業」が「HUB-IBARAKI ART PROJECT」になっていきました。
同じ事業をしている限り3年目で見直される傾向があります。文化事業で継続的に同じ事業が10年間続くというのはなかなか難しいですね。
鈴木:ARTLOGUEでは文化芸術による経済圏、ARTS ECONOMICS(アーツ・エコノミクス)を提唱しているのですが、文化芸術が経済に対して何かしら機能すると思うでしょうか。
上田:アートの経済的な可能性も考えなあかんと思います。 現代美術は欧米の文脈でできているじゃないですか。村上隆さんのように欧米のルールに日本の文化を取り入れて、欧米の価値基準の中で勝ち上がり、逆輸入するという方法もあります。 一方で三潴さんのように日本のオリジナリティの中から新しい価値を見いだし、欧米にはない現代美術の軸を作り出して行かなきゃいけないと思われている方々もいらっしゃいます。 その辺は世界的な現代美術のマーケットを見据えながら産業としてどうつなげていくかを考える必要があると思います。
あと、何年か前に、アートを普及させるひとつのきっかけになるのはアート作品のリースだと思い実現できないかと考えていた時期がありました。アート作品のリースとは別の話になりますが、数年前に高橋コレクション(注1)の展覧会がありました。その高橋コレクションを置く場所がないという話があったんです。そこで僕は高橋コレクションを「茨木市でお預かりします。そのかわり自由に見せてください」と話をしていたんです。色々あって結局実現できなかったのですが、こういったことができれば win-win だと思います。
文化庁が京都に移転してきます。しかし文化行政的なものは京都で止まってしまっています。大阪にも引っ張らなあかんねんけどまだ誰も動いていないと思います。 文化庁が移転してくる前にしっかりと動いて大阪にも文化政策の流れを引っ張り込まないと駄目ですね。
※注1
精神科医の高橋龍太郎氏によるプライベートコレクション、草間彌生、村上隆や奈良美智、会田誠をはじめ1990年台以降の日本の現代美術を主軸としている。日本各地の美術館で展覧会で催される程のコレクション数を誇る。
リーディング美術館構想、文化芸術立国、カジノ、アートバーゼル
アートによる街づくり、国づくりを熱く語る上田光夫さん
上田:ところで鈴木さんは、リーディング美術館構想あれはどう思いましたか?
鈴木:現状のリーディング美術館構想は難しいと思います。ただ日本は人口減少も始まっており美術館もこのままでは成り立たなくなります。課題先進国として 全ての議論を封じることはしない方がいいんじゃないかと思います。
上田:そうですね。リーディング美術館構想は難しいとは思いますが、 投げかけとしては大胆で、今までの公立美術館の役割から一歩踏み込んで、行政から提案がなされ賛否両論を巻き起こしている。すごいことだと思いますね。
鈴木:文化庁を文化省にしようとする動きもありますが。
上田:日本のためになると思うので、今を生きる僕らの世代がやらなあかんと思っています。日本は経済大国を目指して戦後ずっとやってきましたが、儲かるだけではなく本当の豊かさが求められているのではないでしょうか。日本には素晴らしく美しい文化があります。世界に対しても文化で貢献するという態度をとっていかなければあかんと思っています。
文化庁が文化芸術立国と言っていますが、まだまだ本気じゃないです。内閣総理大臣が文化芸術立国と言わなければいけないのです。
大阪にカジノを呼ぶ話があるじゃないですか。経済活性化のためにカジノを呼ぶ手もあるかもしれませんが、カジノはダーティーとまでは言わないまでも、賭博のお金を動かして経済を活性化させるのはもう少し考えた方がいいんじゃないのかと思います。それなら大阪にアートバーゼルを呼んで来た方が世界中からセレブが集まるしいいと思います。賭博で経済活性化するより芸術でそうした方が、日本のブランドも上がるし多くの国民の理解が得やすいと思います。
現代人は朝起きてから寝るまでの間、基本的には人間が作ったものの中でしか生きていません。「意味のわからないもの」とか「人間が制御できないもの」と向き合う事は都市の中ではなかなかないじゃないですか。ある種の枠組みの中で合理的に生きるという感覚が優先されているので、それが当たり前になってしまうと人間が小さくなる気がします。行政は前例主義で過去やってきたことの枠組みから出ることが苦手です。こういった体質を変えていくためにも、ささやかな取り組みですがアートの事業をやっています。
上田光夫茨木市議会議員
鈴木:ARTLOGUEではミュージアム3.0構想を掲げており、美術館をサードプレイスやユニークベニューとしても利活用できないかと考えています。
上田:これまでと違う使い方をして少しずつ関心がある人達を増やしていくのは重要ですね。僕は嫁さんに美術館に連れて行かれなければゴッホと出会うこともなく、アートを好きになることもなかった。半強制的にゴッホとの出会いがあったからアートへの扉が開いたわけで、それがビアガーデンでもいいし、今まで機会がなかった人でも美術館に行きたくなるような風通しの良い場所にしてあげるのは大事ですね。芸術祭だって、多くの人にとっては、アートが好きで行くということもあるだろうけど旅行がてらなんですよね。
行政は行政、民間は民間、経済は経済と分断されているから面白くないのです。 それぞれのフィールドで活躍している人たちが繋がることで世の中面白くなると思うから、政治家としてそれに貢献できたらこれ以上嬉しいことはないと思って生きています。
ARTS ECONOMICS バックナンバー
第一回 アートは ”人間のあたりまえの営み” マネックス 松本大が語るアートの価値とは…
第二回 リーディング美術館の提言をしたのは私だ。参議院議員 二之湯武史の描くビジョンとは
第三回 生粋のアートラバー議員 上田光夫の進める街づくり、国づくりとは
第四回 チームラボ 猪子寿之。アートは生存戦略。人間は遺伝子レベルで最も遠い花を愛でたことで滅ばなかった。