「東松照明写真展 太陽へのラブレター」のギャラリートーク
スピーカー
新里義和
会場
会期
2011年9月23日~11月20日
展示について
戦後日本の写真史に数々の重要な足跡を残し、「写真の巨人」と評される東松照明(とうまつ しょうめい1930-)は、日本の戦後史の特徴をアメリカニゼーション(米国化)と捉え、1959年より全 国の米軍基地周辺を取材する。そして占領シリーズの最後の地として1969年に初めて沖縄を 訪れ<OKINAWA 沖縄 OKINA WA> (1969年)を制作した。しかし、沖縄の島々を取材する中 で、アメリカニゼーションを拒む強靭で良質な文化と遭遇し、その強烈なカルチャーショックが、 のちに名作<太陽の鉛筆>(1975年)へと結実する。 以来、東松は現在まで42年間にわたり沖縄を見続け、戦後日本の写真界、とりわけ沖縄の写 真家に大きな影響を与えてきた。本展覧会では、沖縄に関する重要な写真シリーズから、2011 年に撮影された最新作まで240点を一堂に展示し、その写真思想に迫るものである。
アーティストについて
東松照明 1930 年 愛知県名古屋市東区新出来町生まれ。 1954 年 愛知大学卒業。上京し、岩波写真文庫のカメラマン・スタッフとなる。(~1956) 1959 年 セルフ・エージェンシー「VIVO」を川田喜久治、佐藤明、丹野章、奈良原一高、細江英公らと結成。 1961 年 長崎を取材。写真集『hiroshima-nagasaki document 1961』を土門拳らと共著で刊行( 日本原 水協)。第5 回日本写真批評家協会作家賞。以降70 年代まで毎年のように長崎を訪れる。 1969 年 「アサヒカメラ」の特派として、初めて沖縄を2 カ月取材。 1972 年 那覇で沖縄の「日本復帰」を迎え、住民票を取り寄せてそのまま1 年間滞在。 1973 年 宮古島へ移住し、7 カ月間滞在。約1 カ月間の東南アジア行後東京へ戻る。 1974 年 荒木経惟、深瀬昌久、細江英公、森山大道、横須賀功光らと 「WORKSHOP 写真学校」を開校 (76 年閉校)。 1975 年 写真集『太陽の鉛筆』( 毎日新聞社) を刊行。同書で日本写真家協会年度賞。 翌年 第17 回 毎日芸術賞、第26 回芸術選奨文部大臣賞 1992 年 グループ展「写真で考える沖縄戦後史展」( 那覇市民ギャラリー/那覇市・沖縄市市営体育館/ 沖縄市・名護市民会館/名護市・石垣市民会館/石垣市・平良市中央公民館/平良市) 出品。 1995 年 紫綬褒章を受章 2000 年 「東松照明展 長崎マンダラ」(長崎県立美術博物館) 2002 年 「東松照明写真展 沖縄マンダラ」(浦添市美術館) 2004 年 「SHOMEI TOMATSU Skin of the Nation」(ジャパン・ソサエテイー/ニューヨーク、コーコランギャ ラリー オヴ アート/ワシントンDC、サンフランシスコ、スイスなど巡回)。 2006 年 「愛知曼荼羅-東松照明の原風景-」展(愛知県美術館) を開催。 2007 年 「東松照明[Tokyo 曼荼羅]」展( 東京都現代美術館) を開催。 2009 年 「琉球・沖縄2 人展 比嘉康雄-琉球の祭祀、東松照明-チューインガムとチョコレートin 沖縄」 (キヤノンギャラリーS) を開催(翌年、浦添市美術館を巡回) 2010 年 「琉球チャンプルー三人展」(那覇市民ギャラリー) を開催。
スピーカーについて
新里義和 沖縄県立博物館・美術館(主任学芸員) 1961年那覇市生まれ、糸満市喜屋武在住。 85年琉大卒。95年同大学院修了。85年浦添 工業高校を皮切りに教諭として高校、中学で主 に美術を担当。真和志高校を写真甲子園で 三度の全国優勝に導き、2008年沖縄タイム ス教育賞を受賞。 2009年より沖縄県立博物館・美術館主任学芸員 (専門分野:写真、現代美術) 2009年「あなたを愛するときと憎むとき」展、 2010年RYAN GANDER展、 2011年 「東松照明と沖縄 太陽へのラブレター」展 2012年 「森山大道 何かへの旅」展 をキュレーション。 85年以降、作家としてもインスタレーション作品 にて個展、グループ展多数。