油彩画

ショパン ― 200年の肖像

ARTLOGUE 編集部2019/04/13(土) - 02:31 に投稿
今も世界中で愛され続ける、ポーランド出身の作曲家フリデリク・ショパン(1810-1849)は、日本人にとっても、その心を引きつけてやまない特別な音楽家です。繊細な曲調やピアノ曲を多く作曲したことから、“ピアノの詩人”と呼ばれています。同展では、多彩な美術作品や資料を通じ、ショパンの音楽と生涯を主軸に、生誕後約200年にわたるショパン像をご紹介します。ポーランドの国立フリデリク・ショパン研究所の全面的な協力を得て、企画、実施するものです。展示品は、国立フリデリク・ショパン研究所が運営するフリデリク・ショパン博物館から出展の美術作品や資料を中心に、ワルシャワ国立博物館やオランダ・ドルトレヒト美術館の作品など国内外から、自筆の楽譜や手紙、油彩画、版画、ポスター、彫刻、書籍など約250点を展観します。

アペルト10 横山奈美 LOVEと私のメモリーズ

ARTLOGUE 編集部2019/04/02(火) - 02:31 に投稿
横山奈美(1986-)は、日々の生活の中で消耗されていくもの、廃棄されていくものをモチーフに絵画を制作しています。通常見向きもされない捨てられる運命をもった、いわば主役にならないものを主役にすることで、そのものに本来備わる意味や用途から離れ、これまでとは異なる見え方、横山によれば「そのものが持つ根源的な存在感や美しさ」を提示します。 本展は、近年、横山が精力的に取り組んでいる「愛とは何か」「美とは何か」というテーマと向き合った作品群で構成されています。愛をテーマに造形されたネオン管を絵画に描いたネオンシリーズは、ネオン管の主役ともいえる美しい光の部分と、裏側で見えないよう隠される器具や配線の部分とを同等に描き出すことで、理想や憧れとともに誤魔化せない、見られたくない部分をも顕在化させます。また、本展タイトルにも使われた木炭ドローイングのシリーズ作品《LOVEと私のメモリーズ》は、少女とラブという名の犬との思い出をつづった場面が描かれています。人間好みにどんどん品種改良が進む犬が短命であるというニュースをきっかけに、愛犬へと向けられた「愛(LOVE)」について考察します。 横山は、ちまたに流布し、あまりに軽々しく多用される「LOVE」という言葉への疑問や違和感、あるいは複雑で深刻な感情を作品に落とし込むことで、私たちの日常にありふれた「LOVE」という言葉の意味を問い掛け続けています。本展では約30点の油彩画とドローイングにより、横山の問い掛ける「LOVE」を通して、物事の本質について探求する機会となるでしょう。 【会場】 金沢21世紀美術館 長期インスタレーションルーム

洋画から新日本画へ 山口蓬春の飽くなき挑戦

ARTLOGUE 編集部2018/12/11(火) - 13:26 に投稿
日本画家・山口蓬春(1893-1971)の画業を顧(かえり)みるとき、ひときわ特徴的なのは、本格的に油彩画を学んだ後に日本画家になったということでしょう。 少年の頃より水彩画に熱中し、白馬会絵画研究所で油彩画を学んでいた蓬春は、東京美術学校(現・東京藝術大学)西洋画科に入学、在学中にその才能を開花させます。 しかし、自身の日本画への可能性を見出した蓬春は、改めて日本画科へ転科、首席で卒業したときには30歳になっていました。 その後、日本画家としての頂点を極めた蓬春でしたが、「はじめ日本画をやっているときは、油絵の技法というものがどうもじゃまになりましたね。それに当時は印象派がはいってきたときですがね、観察方法から画題の選び方までずいぶんなやみました。」(『サンケイ新聞夕刊』昭和40年〔1965〕12月14日)と語るように、その道のりは平坦ではありませんでした。 しかし、自らの芸術に真摯に向き合い、あらゆる美の知識を貪欲に吸収しながら、たゆみない努力を続け、ついに蓬春は、自らの目指すものとしてこれまでにない「新日本画」の創造に到達します。 そして晩年に至り、「油絵と日本画はそもそも絵の具がちがう。その絵の具を使って日本画は装飾性を発達させてきたし洋画は写実を追究してきた。(中略)日本画の顔料が持つ特殊性これを生かさないと。」(『富山新聞夕刊』昭和40年(1965)6月14日)と語る言葉には、油彩画と日本画という二つの世界を知り、その狭間で苦悩したからこそ得られた本質への深い理解があり、そのことが「新日本画」創造への原動力となったともいえるでしょう。 蓬春は、若かりし頃に描いた油彩画を戦時中も手放すことなく生涯大切に所持していました。 そこには蓬春のどんな想いが託され、それらの油彩画は私たちに何を伝えてくれるのか―。 蓬春芸術の出発点ともいえる油彩画と戦前戦後を通じた日本画を一堂に会し、通観することで「新日本画」に込められた蓬春の世界観とその魅力を探ります。

神戸ゆかりの芸術家たち 素描コレクション展2 特集:小松益喜の中国・ロシア風景

ARTLOGUE 編集部2018/12/11(火) - 13:22 に投稿
阪神・淡路大震災(1995)で被災した小松益喜(1904~2002)のアトリエから救出された作品群は、神戸市へ寄贈され、のちに当館コレクションとなりました。 2016年、その中から神戸市の姉妹都市であるラトヴィア共和国リガ市のスケッチ(1975)を特集展示しました。 今回は現在の中国、台湾、ロシアの風景を紹介します(初公開多数)。 1936年、小松は大連(旧・満州国)を訪れました。 1938年3月には小磯良平・中村鉄と台湾へ写生旅行に赴いています。 台湾は日清戦争後に割譲され、日本が統治していました。当時の画家たちにとって、陽光に満ちたエキゾティックな風景を描くことができる内地旅行だったのです。 第二次世界大戦後は、まだ旅行に制限があった旧ソ連(現・ロシアなど)に行っています。 1969年11~12月にモスクワ、レニングラード(現・サンクトペテルブルク)を訪れ、寒さを感じさせるスケッチを残しました。 各地の風光を捉えた素描は歴史的にも価値があり、おいそれとは再訪して描けないため、作家の宝物でした。 また、描かれて80年の間に世界は大きく変わり、国名は変化、そのことがリアルに伝わります。貴重な素描の作品群と1年ぶりの公開となるアカデミー・バー壁画、油彩画、あわせて約120点を展示します(会期中大幅に展示替をします)。 前期:12月18日~2月11日、後期:2月14日~4月7日

生誕100年 歿後20年 相原求一朗の軌跡-大地への挑戦-

ARTLOGUE 編集部2018/10/30(火) - 02:30 に投稿

川越市名誉市民であり、北海道の自然を描き続けた画家・相原求一朗(1918-99)。2018年は相原の生誕100年に当たり、また2019年は相原の没後20年に当たります。この記念すべき年に、3会場(川越・札幌・軽井沢)を巡回する大規模な相原求一朗展を開催いたします。

相原求一朗は、1918(大正7)年、川越の卸問屋業を営む家に生まれました。絵の好きな少年でしたが、長男であったことから一旦は美術の道を諦め、家業に従事しながらも独学で絵を描き続けました。戦時中は、招集により足かけ5年に渡る兵役生活を経験し、多感な青春期に重なる4年半過ごした満州の広大な大地が、のちの画業にも影響を与えることとなる相原の原風景となりました。

そして戦後、1948(昭和23)年にモダニズムの画家・猪熊弦一郎に師事したことで画家としての道が開かれ、以来、新制作協会を拠点に、満州を思い起こさせる北海道の大自然をモノクロームの色調で抒情的に描きました。

同展では、初期から絶筆までの代表作約100点に、愛すべき小品やデッサンを加えながら、相原の画業を回顧します。多くの方に相原芸術の魅力を知っていただけましたら幸いです。

第1部は初期から1970年代までの作品と「北の十名山」、第2部は1980年代から晩年までの作品をご紹介します。