安田靱彦

小倉遊亀と院展の画家たち展

ARTLOGUE 編集部2018/12/11(火) - 13:10 に投稿
明治31年(1898)、岡倉天心によって東京・谷中に創立された日本美術院には、横山大観や菱田春草らが集い、新たな日本画の創造に挑みました。 経営難の時代を経て、天心の没後、大正3年(1914)に大観、安田靱彦、今村紫紅らによって日本美術院が再興されると、美術院の展覧会(院展)には彼らのほか小林古径、前田青祁、速水御舟をはじめ、京都の冨田淡仙や大阪の北野恒富など個性豊かな画家たちが意欲作を次々と発表しました。 滋賀県大津市出身の小倉遊亀(1895-2000)は、奈良女子高等師範学校を卒業後しばらくは教壇に立ちながら画家を志していましたが、大正9年(1920)、25歳で安田靱彦に師事しました。 以後、院展の先輩たちの感化を受けながら、また後進の育成にも力を注ぎつつ研鑽を積み、105歳で没するまでひたむきに描き続けました。 彼女の作品は、伝統を受け継ぎながらも、時代に合った新しい感覚を備え、その明るさと力強さ、気品の高さをもって、没後20年を迎えようとする今日もなお人々を魅了してやみません。 本展は、小倉遊亀と日本美術院の画家たちを収集方針に掲げ活動してきた滋賀県立近代美術館の全面協力を得て、同館が所蔵する名品により、小倉遊亀の芸術の精華とそれを育んだ日本美術院の俊英たちの活躍をたどります。