広島上空でピカッ、岡本太郎作品に原発事故付け足したチンポム 卯城竜太。人間の存在自体が自由なもの | 表現の不自由時代 04

ARTLOGUE 編集部2018/09/04(火) - 16:19 に投稿
広島上空でピカッ、岡本太郎作品に原発事故付け足したチンポム 卯城竜太。人間の存在自体が自由なもの | 表現の不自由時代 04
《Red Card》2011

 

連載「表現の不自由時代」では、アーティストの活動や軌跡、「表現の自由」が侵された事例などをインタビュー形式でお伝えします。

本連載を通じて、「表現の自由」について考え、議論するきっかけが生まれ、より健全かつ自由な表現活動が出来る社会になることを期待しています。

掲載予定アーティスト
会田誠、岡本光博、鷹野隆大、Chim↑Pom 卯城竜太、藤井光、ろくでなし子、他

 

表現の不自由時代 バックナンバー

第一回 ルイ・ヴィトンや日清食品からの圧力のみならず、殺害予告、通報にも屈せず表現をつづけるアーティスト 岡本光博

第二回 なぜ女性器だけタブーなのか? 権力による規制に、アートの力で笑いながら疑問を投げかける ろくでなし子

第三回 エロや政治的表現で度々抗議を受けている会田誠。美術業界は自由?

 

 

広島上空でピカッ、岡本太郎作品に原発事故の絵を付け足したチンポム 卯城竜太。人間の存在は自然と同じで自由なもの

 

鈴木:Chim↑Pom(チンポム)の活動には、これまで作品展示を拒否されたり様々な妨害があったと思うのですがどのようなことがあったか教えていただけますか。

卯城竜太(以下 卯城):うーん、「妨害」って言葉は適切じゃないですね。そこまでのことはされてませんよ。けど要望されたりはもちろん何回もありました。

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Chim↑Pomのリーダー 卯城竜太さん

美術館やパブリックな組織にオーガナイズされる展示はたしかに面倒くさいことが多いので、最近はインディペンデントに、自分たちでパーティーや展覧会などを企画しちゃうことも多い。そっちの方が自由にやれちゃうっていうのはあります。

面倒臭かったケースとして良く話すのが、2014年にバングラディシュで行われた「バングラデシュ・ビエンナーレ」に参加する際、《気合い100連発》が問題視されたことですね。オーガナイズする国際交流基金から《気合い100連発》の中で福島の子たちや僕らが叫んでいる「放射能」とか「福島」という言葉が、現在は NG ワードだと言われました。他には「慰安婦」や「北朝鮮 」も。

「安倍さんが首相になってからこうなった」と、スタッフの方がはっきり言っていましたが、こういったことも書面で残さず直接口頭で言ってくるんですね。証拠を残さないように組織的にやっている時点で、国際交流基金もそれがマズイことだとは承知の上なんでしょうね(笑)。

これは Chim↑Pom に限った話ではなく、色々な人と話をしても同じような経験を国際交流基金から受けているようです。

 

アーティスト側も忖度(そんたく)して来た

 

ただ、僕たちも面倒くさがって、そういう要望や規制をこれまで数多く受け入れてきてしまった自覚はありますので、アートの名の下には同罪だと思う。

2015年、Chim↑Pom 結成10周年のときに、そういう自分たちの黒歴史を回顧する個展「耐え難きを耐え ↑ 忍び難きを忍ぶ 展」をしました。

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耐え難きを耐え ↑ 忍び難きを忍ぶ 展《BLACK OF DEATH 》2015

鈴木:「耐え難きを耐え ↑ 忍び難きを忍ぶ 展」の音声メッセージを聞きました。検閲される側でもあるけれど、忖度して自粛してしまっていた自分たちに対する戒めみたいなものも感じました。

 

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Chim↑Pomより10周年のメッセージ 声:エリイ


卯城:あの展覧会では自分たちのケースをアイコンにして、日本のアート業界全体に想いを馳せました。僕らの黒歴史は氷山の一角です。あの音声メッセージは個展のステイトメントのもとになった文章です。

鈴木:公共の施設や税金などを使う場合はどうしても従わざるを得ないこともありますよね。

卯城:そうですね。ただ以前はそういったリスクが仕方がないことだと思いつつも、お互いに「自由」や「表現」をリスペクトしながら話し合っていましたが、近年は露骨に政治的なことが理由になる。

そういう議論にのっかって交渉すること自体が僕らにとっては時間の無駄なので、振り回されないで、やりたいことを実現するよう環境を変えてきました。

鈴木:そのように振る舞えるのもChim↑Pomが力をつけてきたということですよね。

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《ERIGERO》2005 ビデオ(5分59秒)

卯城:そうですね。何年もやっているんで。大きな施設や組織に依存しなくても、ある程度は自分たちで発信することが出来るようになったと思います。

自分たちのスペース「Garter」もあって、他の作家をキュレーションしたりChim↑Pomのエッジな展覧会もやれてるので。

というかChim↑Pomに限った話ではなくて、今のアートシーンの中でもこういう規制などにフラストレーションを持っている人たちもたくさんいます。

そういう人たちの個々人のオルタナティブな活動の方が、公的機関でやっているものよりも一目置かれるような見方も定着してきています。

ネガティブなことが転じてポジティブになり、面白い状況にもなってきているなと感じています。

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《PAVILION》2012/2017
photo:Kenji Morita
©Chim↑Pom Courtesy of the artist and MUJIN-TO Production, Tokyo

 

アクティビストとアーティストとの違い

 

鈴木:アクティビストのような活動をするアーティストが増えてきていますよね。

卯城:自分たちが活動を開始した時代にはグループやアーティストコレクティブもいなかったし、社会的なことをテーマに作品を作る人もほとんどいなかったです。

今は、作品や展覧会には政治や社会的なことが盛り込まれていないとアートとして成立しないほど常識的になりました。まあアートにも流行りがあり、逆に一辺倒というか、どうなんだろうというくらいに増えすぎていると思いますが。

ただ、アーティストはアクティビストと違い、具体的な目的を持って活動しているわけではなく、歴史的な視点などで俯瞰しながら現代社会をリフレクション、反映する感じで今の世の中をただただ切り取っているだけ。

だから言っちゃえば「たかがアート」なんで、公的機関や一般の人々がビビるほどのものでもないんですけどね(笑)。

とはいえ「されどアート」、もし本当に表現が自由になったら、あらゆる思想や常識から解放された作品、つまりは「新しい視点」が人々の前にドーンと現れてしまう。

それこそアートの本懐みたいなものなんだろうけど、その未知の自由や可能性は一般社会にとっては知らない領域だから、怖いことかもしれない。

今騒がれている「表現の自由と検閲」なんて、そのアートの本質的な自由論からしてみれば小さいことかもしれませんね。

しかし、表現の自由に関しては、美術館や公的機関や企業ベースのアートと、そうでない前衛的なアートとのギャップが広がっています。

音楽でいうメジャーシーンとインディーズシーンがあったように、今のアート業界にはインディーズのような刺激的なアンダーグラウンドなシーンが目立つようになってきました。

逆にメジャーシーンと言いますか、クールジャパンとかテーマパーク的なものとか、そういうシーンが以前よりJ-POP ぽいイメージになってきているように感じます。この両極が生まれたのが近年の特徴でしょうか。

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《SUPER RAT》 2011-2012

 

アートへの誠実さ

 

鈴木:公的機関のキュレーターたちも葛藤はあると思います。

卯城:たしかに同情の余地はあります。ですが、そもそもの話、あえて現実的なことから離れて言うと、アーティストも含めてアートに関わっている者はアートの下僕と言うか、まず自分たちが一番裏切っちゃいけないのは組織の論理ではなくアートという概念なはずなんです。

アートへの誠実さは、結局いつか検証され暴かれちゃうと思いますよ。どんなに僕らが同情したって、フォローしたって、理解はできるけども、検閲の正当化にはならないし、「アート」の前では組織の論理なんて言い訳にしかならない。

アーティスト個人に対してじゃなく、「アート」に対して申し訳がない気持ちが生まれてないか、罪悪感はないか、自分たちも含めてみんな常に自分に問い続けないと、歴史の検証には耐えられない。

時の政権や世の中次第で規制の在り方は変わるし、コントロールしたがることは権力の性でもあるから。だからこそアートに関わる限りはアートに誠実であろうと可能な限り努力しないと、いくらでもみんなが言い訳できるようになっちゃうでしょ。

「今はそういう時代じゃない」とか「東京都は大変だから」とかそんなこと言っていてもアートが面白いものになっていくとは思えないですし、むしろ自ら自由の首を絞めるだけ。

 

中止になった「Chim↑Pom ひろしま展」

 

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《広島の空をピカッとさせる》 2009 ビデオ(5分35秒)

鈴木:2008年、広島市現代美術館で予定されていた「Chim↑Pom ひろしま展」の際、美術館とあった騒動の経緯を教えてください。

卯城:美術館との経緯ですね? 僕たちは広島市現代美術館での「Chim↑Pom ひろしま展」展示プランは美術館と合意していたと思っていました。 

実際にスカイライティングという手法で原爆ドームの上空に「ピカッ」という文字を描く《ヒロシマの空をピカッとさせる》を行った時も担当学芸員と一緒にいたし、美術館のいろんな人がやる前からこのプランを共有していたし。

その上で《ヒロシマの空をピカッとさせる》を正式な許可を取って行うのは難しいという判断だったので、ゲリラでやろうということになり、Chim↑Pomとしても作品のコンセプトから言ってもありだと思いました。

実行した日、地元の新聞に怒りの苦情がたくさん来たという話だったのですが、後で聞いたら「あれは何なのか知っていますか?」という3件の問い合わせがあっただけで、苦情ではなかったようです。

しかし、中国新聞が「不快」だったという市民の声や、被爆者団体代表の苦言とともに掲載した翌日から、美術館側の空気がガラッと変わりました。この件に美術館は協力していなかったとする態度も固まったようです。

 

知らないところで謝罪会見がセッティングされていた

 

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《無題》 2009 制作協力:板垣賢司

もちろん怒る方や不快に思う方の声は受け入れます。けど、まずは被爆者団体の方々には意図を説明したかったし、そこにメディアを入れるとポーズにしかならないので「話をしたいので普通に面談をセッティングして下さい」と美術館側に申し出たんです。

美術館側は「分かった、分かった」みたいな感じ了承してくれたんですが、その日の夜に新聞社の人から電話がかかってきて「市役所で謝罪会見がセッティングされており、卯城さんの名前もありますけど本当なんですか?」と聞かされました。

「何ですかそれ?」みたいな感じでしたが、すでに自分の名前がエントリーされているのに参加しないというのは間違ったメッセージを送ることになってしまう。

それに被爆者団体の人たちも来ると言うことだったので、これを機会に対話を始めてみようと思い、「ゲリラ的に制作したことを被爆者とその家族達に謝罪すること」を文章にし、会見への参加を決めました。

でも、会見時にはこの騒動が影響し、展示するはずの《リアル千羽鶴》と《ヒロシマの空をピカッとさせる》のどちらも展示できない状況になっていたので、展覧会の中止を僕らも了承すると決めていました。

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《リアル千羽鶴》2008

 

美術館ぬきで広島での「広島!!!!!」展開催へ

 

そこからの展開はむしろ美術館なしで進みましたね。

会見時に被爆者団体の方々と出会いましたが、彼らも僕らや作品については何も知らされずに出席していたので、その後個人的に連絡を取りあって改めて会うことになりました。

結果的に、彼らとの交流が僕らを前に一歩進めることになり、彼らとの対談や、作家や批評家たちによる論考からなるこの騒動の検証本『なぜ広島の空をピカッとさせてはいけないのか』の出版に至りました。

その出版記念展として、原宿にあるVACAVTで個展「広島!」を開催し、その後、「広島!」展を「!」の数を増やしながら巡回させてきました。

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Chim↑Pom『なぜ広島の空をピカッとさせてはいけないのか』

2011年に、東京電力福島第一原発事故をテーマにした作品群も追加され、原爆を題材にした芸術の代表的な丸木位里・丸木俊夫妻の《原爆の図》を常設展示している原爆の図丸木美術館に巡回し、2013年には念願だった広島での開催に至りました。

2013年の「広島!!!!!」展も、美術館とは関係なく実現されました。広島市にあるギャラリーGが中心になって、広島の市民が実行委員会みたいなものを作ってくれて、市内11箇所のギャラリーやカフェ、ライブハウスや花屋でファンドレイジング展を開催し、その売り上げで行われた展覧会です。

有名な被爆建物でもある巨大な旧日本銀行広島支店が会場で、Chim↑Pomのキャリアで最大規模の個展になりました。
余談ですが、Chim↑Pomのメンバーの一人はそこで展示を手伝ってくれた子と結婚し、今は広島に住んでいます。

この一連の経緯はとても有意義でしたね。公的機関とうまくいかなければ、共感できる志を持っている個人と繋がり、オルタナティブなアプローチをすればもっと面白いことが実現できる。

 

岡本太郎の《明日の神話》へ付け足した《LEVEL7 feat.明日の神話》

 

鈴木:東日本大震災の時に岡本太郎の《明日の神話》に福島第一原発の爆発の絵《LEVEL7 feat.明日の神話》を付け足した時はどうでしたか。

卯城:《LEVEL7 feat.明日の神話》の時もテレビや新聞、ネットなどで叩かれましたが、まあ無人島プロダクションとともにそういう経験値は広島の一件で高くなっていたので、対処の仕方は難しくはなかったかも。

その後、岡本太郎記念館の平野暁臣館長が理解を示し、記念館でChim↑Pomの個展「PAVILION」が実現しました。

そのタイミングで、僕らの《LEVEL7 feat.明日の神話》は収蔵されることになりましたが、岡本太郎記念館で唯一、太郎さん以外の作家の作品だそうです。

岡本太郎記念館は規制や検閲どころか、むしろ「もっとやれ!」みたいなスタンスだったので、個展も今思うと相当狂ったものになりました。

何しろ岡本太郎の実際の遺骨を大阪万博の月の石に見立てて展示しましたからね…。

 

Chim↑Pom から見た日本と海外との違い

 

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U.S.A. Visitor Center 2016 Photo by Osamu Matsuda ©Chim↑Pom Courtesy of the artist and MUJIN-TO Production, Tokyo

鈴木:Chim↑Pomは海外での活動も多いですが、日本と海外での活動において「表現の自由」や公的機関の違いなど何か感じられますか?

卯城:うーん、僕らは日本の公的機関から新作の依頼はほぼ来ないし、日本の各地にある芸術祭からも呼ばれることがほぼないので、その点の日本と海外の違いを語る資格は無いと思う。そういったものに参加している人たちから聞く限りでは「大変そうだな」と思いはしますが。

海外の状況もそんなに深く当事者として知っているわけではありませんが、例えば上海ビエンナーレに参加したときには、日中関係の悪化によって国際交流基金のときと似たような検閲を中国側から受けましたし、シンガポールでの展示も政権の監視が強くて大変です。

欧米だってポリティカル・コレクトネス *1 が大ブームで様々な問題が起きています。だからこういった問題は「国や状況による」としか言えません。とはいえ、欧米では問題が起き議論すること自体を有意義な事だと捉えているように思えます。

一方、それが日本にはほとんど無いように感じます。

 

「人間が自由」である。「表現の自由」というか「自由の表現」

 

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Chim↑Pom (著)『芸術実行犯 (ideaink 〈アイデアインク〉)』

鈴木:「表現の自由」について何か思うところがあればお聞かせください。

卯城:Chim↑Pomの『芸術実行犯 (ideaink 〈アイデアインク〉) 』という本の中でも書いているんですが、表現の自由を擁護する側が「憲法に書いてあるから」などと無自覚に「表現の自由」を守ろうとすると、時の政権とか社会の空気によって「表現の自由」はどんどん攻められるんですよね。

「表現の自由」を「守る」みたいな保守的なものだったり、「与えられている」みたいな宗教的なものだと当事者が捉えている限り、「表現の自由」は永遠に達成されないように思いますね。

だいたい「表現の自由」って謎で、具体的に何が自由なんでしょうか。「表現」でしょ…、って言っても、絵とか彫刻とか文章とかわかりやすく具体的なカテゴリーじゃあ「表現」自体をくくれないじゃないですか、今は。

だから個人的には、もっと政治やアートなどというカテゴリーをこえて、本質的に自由と表現の関係について考えたい。

なんか昨今の議論って「表現の自由」って言葉ありきで話されてませんか? その結果、妙に「表現」が他のものよりも特別自由であるべきもの、みたいに認識されちゃうことが多い気がする。そんなわけないのに、「表現の自由」この一言で全部許される水戸黄門の印籠みたいにもなれちゃうから厄介ですよ。

それじゃむしろ「表現の外」だと自覚する人を生むだけで、結果的にそういう人たちからイラつかれて、「アート無罪」とか下らないことまで言われる。

そもそも自由って、本来は表現とか云々じゃなく、「人間自体が自由」な存在なはずだと思います。 アートはその「人間が自由」であることを「表現」し、アーティストは作品や活動を通してそれを体現しているだけなのではと思うんですよ。 様々な考えがあるでしょうが僕はそう考えています。

「表現の自由」以前に、「自由の表現」。だからもし「自由の表現」を侵害して奪おうという人がいるなら、それは人間は自由ではない、というお先真っ暗な考えに基づいているから、そもそも何を言っても仕方がないというか、そういう人にはこの手の話は永遠に分からないことかもしれないですね。

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《REAL TIMES》 2011

 

*1 ポリティカル・コレクトネス(英: political correctness、略称:PC、ポリコレ)とは、日本語で政治的に正しい言葉遣いとも呼ばれる、政治的・社会的に公正・公平・中立的で、なおかつ差別・偏見が含まれていない言葉や用語のことで、容姿・身分・職業・性別・文化・人種・民族・信仰・思想・性癖・健康(障害)・年齢・婚姻状況などに基づく差別・偏見を防ぐ目的の表現を指す。(Wikipedia 2018/08/19)

 

卯城竜太

アーティスト集団Chim↑Pomのメンバー。 Chim↑Pomは、卯城竜太・林靖高・エリイ・岡田将孝・稲岡求・水野俊紀が、2005年に東京で結成したアーティスト集団。時代のリアルを追究し、現代社会に全力で介入したメッセージの強い作品を次々と発表。世界中の展覧会に参加するだけでなく、自らもさまざまなプロジェクトを展開する。2015年アーティストランスペース「Garter」を東京にオープンし、同時代のさまざまな表現者たちの展覧会もキュレーションしている。また、東京電力福島第一原発事故による帰還困難区域内で、封鎖が解除されるまで「観に行くことができない」国際展「Don’t Follow the Wind」の発案とたちあげを行い、作家としても参加、同展は2015年3月11日にスタートした。以来、最近はさまざまな「ボーダー」をテーマにしたプロジェクトも展開しており、2017 年には、メキシコと アメリカの国境沿いで制作したプロジェクト「The other side」を発表。2015年、Prudential Eye AwardsでEmerging Artist of the Yearおよびデジタル・ビデオ部門の最優秀賞を受賞。

 

表現の不自由時代 バックナンバー

第一回 ルイ・ヴィトンや日清食品からの圧力のみならず、殺害予告、通報にも屈せず表現をつづけるアーティスト 岡本光博

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