朝鮮王朝末期の輝き・語り継ぐ朝鮮の美

ARTLOGUE 編集部2019/03/12(火) - 02:34 に投稿
朝鮮王朝(1392年~1910年)は519年の長きにわたり朝鮮半島を統治した王朝でありました。初期の王朝支配体制確立期から日本・清の侵略による王朝の動揺期、政治の安定期から世界の潮流が押し寄せた王朝後期へと続きます。そして朝鮮王朝末期は上流階級の文化が一般社会に広がりを見せた時代でした。そこにはより朝鮮らしい鮮やかな色彩を追及し、個性を生かそうとする流れも生まれました。たとえば、男性が持つ文房四宝などに見る道具の多様化、女性用の家具に見る色彩装飾などにその輝きが現れてきます。また、王朝時代末期の美術工芸品には混乱した社会情勢から王朝文化を逞しく継承する姿も見て取れます。 本展覧会では、朝鮮王朝末期の文化と輝き、そして近代以降の王朝文化継承の過程で生まれた書、工芸、絵画など、約70点を出品します。 併せて、2017年にユネスコ「世界の記憶」に登録された高麗美術館所蔵の「朝鮮通信使」資料も特別展示します。

ギャラリー開設10周年 土蔵が見守る 京のとらや 展

ARTLOGUE 編集部2019/03/12(火) - 02:34 に投稿
虎屋は京都で生まれ、明治の東京進出後も京都の店を大切に守ってきました。京一条の地には、江戸の昔から残る土蔵が今も変わらぬ姿をとどめています。今回はギャラリー10周年を記念し、創業の地、京都でのあゆみを振り返ります。 ※毎週日曜日午後2時より展示解説を行います。(予約不要)

堀辰雄と旅

ARTLOGUE 編集部2019/03/12(火) - 02:34 に投稿
堀辰雄は、昭和12(1937)年に京都を滞在中に初めて奈良を旅行します。 その後、昭和14年に神西清と共に再び奈良を訪れ、昭和16年には一人で奈良、京都、神戸や倉敷にまで訪れています。昭和18年にも多恵夫人と共に奈良を訪れるなど、何回も大和を訪れて古代日本の美術に触れることになります。 今回は、後に『大和路・信濃路』に結びついた大和路への旅について、書簡や作品などの関連資料を交えながら、堀辰雄の世界を紹介いたします。

岡本太郎と日本の伝統

ARTLOGUE 編集部2019/03/12(火) - 02:33 に投稿
1951年11月、岡本太郎は東京国立博物館において縄文土器と出会い、その4次元的な造形力に衝撃を覚え翌年、美術雑誌『みづゑ』に「四次元との対話-縄文土器論」を発表します。これに端を発し、岡本はいわゆる「わび」「さび」とは異なる、他の東アジア地域からの文化的影響を受容する以前の、本来の日本の文化、日本人の美意識とは何かについて考察を深め、1956年、著書『日本の伝統』として結実させています。同書のために岡本は本来の日本と考えた文化事象を、自らシャッターを切ってカメラに収めています。縄文土器・土偶、京都の古刹の中世の庭など。その写真は、岡本が撮影した写真のなかでも、記録性を超えた写真芸術の高みにまで到達しています。 本展は、『日本の伝統』をもとに、岡本による写真作品を中心として、「日本の伝統」とは何かを再考する機会となることを願って開催します。

実業と美術 ~ たば塩コレクションの軌跡 ~

ARTLOGUE 編集部2019/03/12(火) - 02:32 に投稿
たばこと塩の博物館の資料収集の歴史は、昭和初期、日本の喫煙風俗がきせる喫煙から紙巻たばこへと大きく変化した時に始まります。一方、当時の社会に目を向けて見ると、急速な産業構造の変化、震災・戦争、そして好・不況の波など様々な要因を受けて、多数の美術品が移動・散失した時期でもありました。 この展覧会では、たばこと塩の博物館のコレクション形成について、激動する近代日本の世相や実業界の変化、さらには美術・工芸史、たばこ史研究の進展といった背景を絡めて紹介します。

グラフィックトライアル2019

ARTLOGUE 編集部2019/03/12(火) - 02:32 に投稿
新しい何かが始まろうとする時、未知の世界に向き合う時、人は大きな期待と小さな不安を抱きつつも、抑えがたい高揚感に心を躍らせるものです。今年のテーマは「Exciting」。世代も作風もバラエティに富んだ4人のクリエイターが、自身の内なる「Excite」の源に向き合いながら、刺激的かつ魅力的な表現を目指します。紙と印刷が持つ豊かな表現の可能性をご覧ください。

野蛮と洗練 加守田章二の陶芸

ARTLOGUE 編集部2019/03/12(火) - 02:32 に投稿
加守田章二(かもだ・しょうじ / 1933~1983)は、20世紀後半に活躍し、50歳を目前に亡くなった夭逝の陶芸家です。陶器の形態に造形、文様、質感の関係性を追求し、独自の陶芸表現を切り拓きました。 大阪府岸和田市に生まれた加守田は、京都市立美術大学(現・京都市立芸術大学)で陶芸を学び、1959年、栃木県益子町に独立します。灰釉作品で注目されるようになると、新たな制作環境を求めて1969年に岩手県遠野市へ陶房を移しました。遠野で約10年間を過ごした後、晩年の一時期は東京都東久留米市で制作します。 独立後わずか20年程であったその作陶期間において、加守田は旺盛な制作意欲で絶えず作風を変容させていきました。しかし、いずれの作品にも、大地の根源的な力を表すような土肌の荒々しさや、造形に見る鋭さと緊張感、そして器体を覆うように描き込まれる文様の密度といった力感が示され、同時に、造形と文様を緊密に連動させる計画性や、陶器の形態に個人の表現を求める意思といった現代作家としての思考を窺うことができます。 本展では、作品が注目されるようになっていく1960年代半ばから精力的に制作・発表された1980年までの作品65点余によって、加守田の短く濃密な作陶人生における制作の変遷と深まりを追うとともに、その魅力をご紹介いたします。 ※会期中に一部展示替えをいたします