横尾忠則 大公開制作劇場<br>〜本日、美術館で事件を起こす

ARTLOGUE 編集部2018/12/23(日) - 15:33 に投稿

観客の前で作品をつくる公開制作は、横尾忠則がしばしば行う制作方法の一つです。人に見られることでかえって余計な自我やこだわりが消え、無心状態で制作することができるという横尾にとって、公開制作は「描く」という肉体的行為を再認識するための格好の手段でした。

本展では、横尾がこれまでに公開制作で描いてきた作品を、映像・写真などの資料とともに紹介します。1980年代、画家へと転向したもののアトリエのなかった横尾が、制作できる場所を求めてやむなくとった手段が公開制作でした。しかし、人前で描くことで逆に迷いを捨てて集中できるという実感を得た横尾は、アトリエが完成した後も様々な場所で公開制作の機会を持つようになります。そして2000年、横尾の代表的シリーズとなる「Y字路」が描き始められると、以降、公開制作において「Y字路」は一つのフォーマットとして展開し、各地の美術館で開催される個展にあわせて、その土地にちなんだ"ご当地Y字路"が次々と生み出されていきました。そこではまた、横尾自身が仮装して制作するPCPPP(Public Costume Play Performance Painting)も行われるようになります。

Oh !マツリ☆ゴト 昭和・平成のヒーロー & ピーポー

ARTLOGUE 編集部2018/12/22(土) - 14:58 に投稿

20世紀のはじめから現代へと至る日本の美術作家の表現には、社会的な関心が色濃く表れたものも少なくありません。本展はそうした傾向を示す作品の中でも、特別な存在(ヒーロー、カリスマ、正義の味方)と無名の人々(公衆、民衆、群集)という対照的な人間のありかたに注目するものです。とりわけ大衆とも呼ばれる後者の存在は、どのようにその存在を可視化するのか、そしてどのようにして彼らとの間に連帯を築くことができるのかという切実な問いを表現者に投げかけてきました。ひとびとの集団=本展でピーポーと仮に呼ぶ存在が、立場や考え方によっていくらでも変化し、わかれていくものであるという事実は、その姿をとらえがたいものにもするでしょう。同展で注目する特別な存在=「ヒーロー」は、「ピーポー」が直面する困難やその願いを映し出す鏡としての、あるいはその存在に姿を与える触媒としての役割を担っています。

このような問題意識のもとに、同展では「ヒーロー」や「ピーポー」とは何かという問いに応えようとしてきた昭和と平成の時代に生まれた作品を5つのテーマに沿って見ていきます。さらにこれらのテーマとは別に、同時代の表現者による最新の実践もご紹介します。

特別企画展 富岡鉄斎―文人として生きる―

ARTLOGUE 編集部2018/12/22(土) - 02:32 に投稿
近代文人画の巨匠・富岡鉄斎(1836~1924)は、古人を顕彰し、「万巻の書を読み、万里の路みちを行く」という中国文人の理想を、生涯を通して実践しました。 豊かな知識と雅趣をもって多彩な作品を生み出しましたが、その背景には言うまでもなく、北宋の蘇軾そしょくをはじめとする古の文人達へのあこがれがありました。 本展では鉄斎の交友関係に着目しながら、その文人としての生き様を見ていきます。

クリスチャン・ボルタンスキー − Lifetime

ARTLOGUE 編集部2018/12/22(土) - 02:32 に投稿
クリスチャン・ボルタンスキー(1944年-)は、現代のフランスを代表するアーティストのひとりです。 1960年代後半より短編フィルムを発表し始めたボルタンスキーは、1970年代に入り、写真を積極的に用いるようになりました。 人が歩んできた歴史や文化人類学への関心を土台とし、写真やドキュメントとビスケット缶などの日用品を組み合わせることで、自己あるいは他者の記憶に関連する作品を多数制作し、注目を集めます。 1980年代に入り、明かりを用いたインスタレーションを手掛けるようになったボルタンスキーは、子どもの肖像写真と電球を祭壇のように組み合わせて展示した「モニュメント」シリーズ(1985年-)で宗教的なテーマに取り組みます。 それを発展させた《シャス高校の祭壇》(1987年)は、1931年にウィーンの高校に在籍したユダヤ人の学生たちの顔写真を祭壇状に並べ、その写真を電球で照らすというものでした。 肖像写真を集めて展示する手法は、大量の死者の存在、具体的にはナチス・ドイツによるユダヤ人の大虐殺とその犠牲者のイメージを想起させるものとして解釈され、大きな議論を呼びました。 第二次世界大戦期のユダヤ人の大虐殺は、ユダヤ系の父を持つボルタンスキー自身の問題とも結びつきます。 パリのグラン・パレの広大なスペースを生かし、大量の衣服を集積させた《ペルソンヌ》(2010年)など、その後もさまざまな手法によって、歴史や記憶、そして死や不在をテーマとした作品を発表します。 1970年代からドクメンタ(ドイツ・カッセル)やヴェネチア・ビエンナーレなどの現代美術国際展に招待され、活躍の場を世界各地に広げたボルタンスキーは、日本でも、越後妻有アートトリエンナーレや瀬戸内国際芸術祭などで積極的に展示活動を行い、2016年には東京都庭園美術館で個展が開催されました。 国立国際美術館、国立新美術館、そして長崎県美術館の3館が共同で企画する本展は、ボルタンスキーの初期作品から最新作までを紹介する、国内初めての大規模な回顧展です。1970年代から近年までのボルタンスキーの様々な試みを振り返ると同時に、ボルタンスキー自身が「展覧会をひとつの作品として見せる」と語るように、作家自身が会場に合わせたインスタレーションを手掛けるという構想のもとに企画されました。 半世紀を超える作家活動を経て、いまなお、積極的に創造を続けるボルタンスキーの広大なる芸術世界を紹介いたします。

辰野登恵子展

ARTLOGUE 編集部2018/12/22(土) - 02:31 に投稿
辰野登恵子(1950-2014)は、1970年代にグリッド(格子)やストライプをモチーフとした版画作品で注目を集め、80年代以降は豊潤な色彩で有機的形象を描く独自の表現を追求した画家です。 なかでも大型の油彩作品は高い評価を得ていますが、多数のドローイングや様々な版種の版画の存在は、作家が広い視野に立ち抽象絵画の新たな可能性を模索し続けたこと、ときにこれら紙の仕事がその試行錯誤を牽引したことを窺わせます。 本展覧会では、これまでまとまった展観の機会が限られてきた紙の上の表現に光を当て、辰野の画業を再検証します。