少しも退屈と云(いう)ことを知らず―鷗外、小倉に暮らす

ARTLOGUE 編集部2019/01/15(火) - 10:45 に投稿
森鷗外は、明治32(1899)年6月から35(1902)年3月まで、第十二師団軍医部長として小倉(現・福岡県北九州市)へ赴任しました。 小倉での生活や職務、関心事は『小倉日記』と『小倉日記附録』に記され、松本清張の芥川賞受賞作品『或る「小倉日記」伝』として、その存在が有名になりました。 鷗外は小倉で、自ら家政をとる一方、勉強会を行い、外国語の学習や史跡探訪などを通して、地元の人々と精力的に交流しました。「公私種々ノ事業ノ為メニ(中略)少シモ退屈ト云コトヲ知ラズ」と親友に宛てた書簡も残っており、新たな学びの機会を得ました。そして、小倉での経験を経て、後に小説『鶏(にわとり)』『独身』『二人の友』という小倉三部作を世に送り出しました。 本展覧会では、小倉で暮らした鷗外を『小倉日記』『小倉日記附録』、友人や家族へ宛てた書簡、写真などの館蔵資料から紹介します。 【同時開催】 文の京ゆかりの文化人顕彰事業 コーナー展示「鷗外と明治20年代の人物交流」 生誕150年を迎える作家、山田美妙と内田魯庵についての展示です。
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