今日の【PICK OUT ARTS!!】でも取り上げていますが、中国で「ドラえもん」に酷似した「ロボット猫」というキャラクターの商標権が中国の裁判所によって無効と判断されました。しかし、この「ロボット猫」、似ているというよりも、そのまんま「ドラえもん」であり、むしろ違いを見つける方が困難です。これを堂々と商標登録しようとする方の考えをじっくり聞いてみたいものです。
TBS NEWS 「中国のニセ「ドラえもん」、商標登録認めず 」
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3359626.html
アーティストの創造性
パクリ問題はクリエイティブの世界では常に問題になります。特にアーティストは自分の生み出した表現をコマーシャルやエンターテイメントなどのマス向けのビジネス側に剽窃されることが多々あります。
アーティストは常にこれまでにない表現を探しており、その創作行為は誰に頼まれるわけでもなく、何かの役に立つわけでもない…といった真理を追求する基礎研究に似たところもあります。一方、コマーシャルやエンターテイメントは応用研究に似ていて、これまで生み出された既存の表現を駆使して目的目標を達成するための作品を作ります。コマーシャルやエンターテイメントの側からすると、アートの世界は新しい表現がゴロゴロしているものの、ニッチであるがゆえにあまり知られておらず、ネタ探しには格好の狩場なのかもしれません。
もちろん、同時代性を考えると同じような表現を思いつくのは自然なことなので、パクリなのか、引用なのか、それともオリジナルなのかの判断は非常に難しいです。
リオデジャネイロオリンピックの引き継ぎ式
MIKIKO氏(演出・振付家)や真鍋大度氏(メディアアーティスト)等が関わっている2016年リオデジャネイロオリンピックの引き継ぎ式でも、「光を放つフレーム」の演出が、シディ・ラルビ・シェルカウイ氏(Sidi Larbi Cherkaoui, 1976年~ )とダミアン・ジャレ氏(Damien Jalet, 1976年~ )
が共同で振付を行い、アントニー・ゴームリー氏(Antony Mark David Gormley, 1950年~ )が舞台美術を担当した『バベル BABEL (words)』に似ていると小崎哲哉氏(『REALKYOTO』発行人兼編集長)が指摘しています。
REALKYOTO「リオ五輪閉会式の「引き継ぎ式」への疑問」
http://realkyoto.jp/blog/rio_babel/
この事例は判断が難しいものの、真鍋大度氏はパフォーミングアーツも精通しているようですし、『バベル BABEL (words)』を知らないことは無いと思うのです。また、演出振付がMIKIKO氏、舞台演出がRhizomatiks Researchの『Perfume「Everyday」-AWA DANCE edit-』。こちらも舞台美術を名和晃平氏が、そして『バベル BABEL (words)』同じく、振付をダミアン・ジャレ氏が担った『VESSEL』に似ているという指摘もありますがこれらは偶然でしょうか。
『VESSEL』
https://www.vessel-project.com/
著作権に於ける「似ている」と「侵害」
真偽の程は定かではありませんが、この例に限らず、古今東西、アート界隈にはこのような話は枚挙に暇がありません。
木村剛大氏(弁護士)がこちらで著作権に於ける「似ている」と「侵害」について事例を上げて説明しています。ここで例として上げられているリプトン「ココロふわりキャンペーン」(2013)はどうでしょうか。CMの製作者が林ナツミ氏のセルフ・ポートレート作品「本日の浮遊」を知らなかったとは思えないですが…どうでしょう。
「写真著作権-「似ている」と「侵害」の距離」
https://www.artlawworldjapan.net/blog/photograph
よく著作権法は表現を保護し、アイデアは保護しない、といいます。大きな視点をいうと、著作権法は、クリエイターの保護と著作物の公正な利用によって文化の発展に寄与することを目的としています。アイデアは保護しないというのは、あるアイデアからは多様な表現が生まれる、そして、多様な表現が生まれることが文化の発展になる、というのが著作権法の設計思想であるからです。
「文化の発展」は重要です。抱え込んで死蔵化させてしまっている文化財などを鑑みても、アイデアもより利用しやすいようにした方が文化は発展するはず。しかし、影響力の強いビジネス側がマス向けにその表現を使ってしまうと、たちまちその表現はコモディティ化し、さらにはオリジナルで作ったはずのアーティスト側がまるで二番煎じのように見えてしまうこともあるでしょう。
アート・インパクトファクターは可能か。
すぐには難しいとは思いますが「文化の発展」のためにもアーティストの表現を流用しやすく、アーティストもインセンティブが得られるように、表現にも論文のインパクトファクター(文献引用影響率)のような仕組みは出来ないのでしょうか。表現自体にインパクトファクターのような仕組みが出来れば引用、流用された回数などがそれを生み出したアーティストの評価となり、強いてはアーティストのインセンティブにもなるのではと思うのです。これは、追及権(アーティストの作品がオークションなどで転売されるごとに作品の売価の一部を得ることができる権利)にも近い考え方です。
まぁどちらにせよ、表現を流用する際には先人の功績に対するリスペクトが重要ですね。