私は臨床心理士の資格を取得するために多くの心理療法について学び、体験してきました。
その中でも特に自分の気持ちを表現できると感じたのが芸術療法と呼ばれる分野です。これはシンプルに言えば「こころをアートで表現する」というものです。
今回は「描く」という側面からこころとアートの密な関係をお話したいと思います。
そもそも芸術療法とは?
日本芸術療法学会によると芸術療法とは「絵画、詩歌、音楽、ダンス、心理劇等々の芸術活動を介して心身の治療を行う」方法として定義されています。
人は必ずしも自分のこころの状態を言葉で表現することはできません。言葉に出来ないけれど、もやもやと悩んでいることって誰しもありますよね。
また、幼い子どもも自分のこころを適切に言葉にする力がないことがあります。
そのこころを芸術という非言語的なアプローチで表現することで、治療者をはじめとした他者に伝えることができて「受け止めてもらえた」と実感すること、また自分でも「こんな気持ちを抱えていたのか」と振り返ることができることで、こころの治療につながると考えられているのです。
その中でも絵を描くことは場所を問わず、準備も簡単なので取り組みやすく、多くの治療の場面において用いられています。
今回はその絵を描くことを用いた手法の中で「風景構成法」と「バウムテスト」をご紹介したいと思います。
風景構成法はどんな方法?
風景構成法は精神科医である中井久夫(1934~)が考案した描画を用いた心理検査かつ心理療法です。ちなみにこの方は、阪神・淡路大震災の際に被災者の心のケアに尽力されたことでも知られています。
風景構成法はまず、検査者(セラピスト)が紙に枠をつけるところから始まります。
最初に紙に描くのは患者(クライアント)ではないのです。
そして次に検査者が風景に関する10個のアイテム(川・山・田・道・家・木・人・動物・花・石や岩)を順番に言うのに合わせて、クライアントはそれらのアイテムを風景になるように構成していきます。そしてその後、クレヨンや色鉛筆で彩色して仕上げます。
風景構成法描画①
まずは下の絵を見てください。
この風景構成法の描画は私が約10年前に描いたものです。
最初の4つのアイテム、川・山・田・道は風景の構成を決めると言われています。
特に最初の川はとても重要です。
私は川を右上から左下に画面を二つに割るように描いています。これによって次の山の配置がかなり難しくなりました。
それでもまとめようと右上に配置しましたが、結果として山の遠近感と山の左にある家の大きさとがちぐはぐになっています。
それをごまかすために山の色合いをグラデーションにしていますね。
風景構成法はこのように矛盾や葛藤した状態においてどう自分の中で解決するのか、というこころの動きを見るのに適しています。ごまかす力、無視できる力を見ることが出来るのです。
風景構成法描画②
さて次の絵は私が検査者として実施した風景構成法です。
先ほどの私の絵と比べてどのような印象を受けるでしょうか。
全体に雑、と思われる方が多いかもしれませんね。確かに線も途切れており、彩色も部分的にしかなされていません。
しかし、先ほど言った、「ごまかす力・無視できる力」という点ではかなり高い能力を発揮しています。
まず最初の川を右下に配置することで全体に大きな矛盾が生じるのを避けることができており、危機管理能力や先見性に優れた性格がうかがわれます。
また全体を曖昧な線で描くことで、柔軟性が生まれています。
よく見るとカエルの大きさが人の大きさとほぼ一緒であるなどの矛盾が生じているのですが、この絵の描き手はそれを一切気にしていませんし、見る側にも違和感を与えないほど絶妙な描き方がなされています。
さらに矛盾が生じてしまおうが、描きたいもの(家の周りの蛇、鳴いているウシガエルなど)は描ききり、色も塗っています。
矛盾や葛藤状況をそもそも避ける力、臨機応変に動けるこころの準備ができている一方で、やりたいことがあれば矛盾や葛藤も恐れない強さを持っていることが推察されます。
風景構成法の治療的側面
風景構成法では実施の最初に検査者が枠をつけるといいました。
これは定規などは使わずフリーハンドで行います。
そのため枠はまっすぐではありませんし、検査者によって個性が出ます。
枠をできるだけまっすぐ描こうとする人、ゆっくり丁寧に描く人、手早く描く人。枠だけ取っても千差万別ですが、そこに込められているのは目の前にいるセラピストが、クライアントを守るという気持ちです。その守りの中でクライアントは自分を表現します。
それはカウンセリングルームという守られた空間で、自分のこころの内を話すカウンセリングと同じ意味を持っています。
そして、10個のアイテムを言う時もセラピストは常にクライアントの様子を見ながら伝えます。クライアントの手が止まっても描き終えたとは限りませんし、逆にしんどい思いをしながらも必死に描き続けているのを止める判断もしなければいけません。
そういった意味で風景構成法は検査でもありながら治療でもあるのです。
バウムテストとはどんな方法?
今度はバウムテストと呼ばれる描画法です。これは「(実のなる)木を一本描いてください」とだけ指示され、思ったとおりの木を描く手法で、スイスの心理学者カール・コッホ(Karl Koch, 1906~1958)が、考案したものです。
なぜ木を描かせるのか、には諸説ありますが、木は根という足、枝という腕を持ち、人間のこころを映し出しやすいからと言われています。
このテストをする時に用意するものはA4程度の白い紙と鉛筆と消しゴムだけです。
あなたならどんな絵を描くでしょうか。
少し想像しながら、記事を読み進めてみて下さい。
バウムテスト描画①
さて過去の私が描いたものはこちらです。
解説については後述するのでここでは割愛しますね。
バウムテスト描画②
さて次の絵はこちらです。
先ほどの風景構成法描画②の描き手が同じ日に描いたバウムテストです。
ただこの描き手はA4サイズの表面だけでは思い通りの木ではないと裏面に、さらに木の上部にあたる箇所を描き足しました。
それも合わせて完成したのがこちらです。
これは「実家の近くに生えてる木」だそうです。
なかなか迫力がありますね。
バウムテストの治療的側面
バウムテストはその簡便さから安易な心理検査として用いられ、幹や枝の特徴から見るとあなたはこういう人です、などと当てはめるような解釈が出回っています。
しかし、本当に大切なのはバウムテストを実施する時にもセラピストが見守っているということです。誰に向けたわけでもない木を描くことはバウムテストの本質ではありません。
他者という存在に対し、自分をどう表現するのかをバウムテストは見ています。
では、他者に向けた絵としてバウムテスト描画①を見てみましょう。
まとまりは良く、枝も精一杯伸ばしています。しかし葉やみかんの実は窮屈そうです。決められた空間の中で正しく評価されようと虚勢を張っているように見えます。
対比的にバウムテスト描画③は、そもそもA4の紙に収めることを放棄し、裏面にすら木を描いています。
そのようなあっけらかんとした表現の反面、葉は鬱蒼と生い茂り、隠すべきところは隠しているといった印象を受けます。
もちろん、基礎的な象徴の意味するところについて専門家は理解している必要があります。
しかしこころの表現を同じ地平に立つ人間同士の視点で見つめることは専門家に限らず、どんな人にも必要なのではないでしょうか。
芸術療法としての描画
いかがだったでしょうか。
風景構成法とバウムテスト、ともに言えることは、描かれた絵はセラピストとクライアントの関係が生んだ共同制作であるということです。
そして描画の読み取りも、セラピストが独断で解釈していくのではなく、クライアントに適宜質問を投げ掛けながら、一緒に考えていきます。
これらはこころとこころの関係性のアートなのです。