浅井忠(1856-1907)は、黒田清輝と並んで明治期の日本洋画を代表する巨匠です。佐倉藩士の長男として江戸木挽町に生まれ、1876(明治9)年、国澤新九郎の画塾彰技堂に学んだ後、日本初の西洋美術学校である工部省工部美術学校に入学しました。そこで、バルビゾン派の影響を受けたイタリア人画家アントニオ・フォンタネージの指導を受け、主に風景画を描くようになります。1889(明治22)年には明治美術会を創立して中心的な作家となっており、1898(明治31)年には東京美術学校教授となりました。
1900-02(明治33-35)年、アール・ヌーヴォー全盛期のフランスに「西洋画研究」のため留学した浅井は「パリ万国博覧会臨時博覧会監査官」の職も務めました。そして、バルビゾン派ゆかりのフォンテーヌブローの森近くのグレーをしばしば訪れ、バルビゾン派の影響が垣間見られる風景画を制作すると共に、当時最盛期を迎えていたアール・ヌーヴォーのデザインにも興味を持ち、現地の陶工アルベール・ブエと組んで、陶芸デザインに初めて取り組んでいます。帰国後は京都高等工芸学校(現・京都工芸繊維大学)で教鞭をとるかたわら、陶芸・漆芸など工芸作品のデザインにも積極的に携わりました。
この展覧会では、第一部〔浅井忠が滞欧期および帰国後に制作した油彩画・水彩画〕、第二部〔浅井忠、建築家武田五一が、京都高等工芸学校の教材としてフランスで蒐集した作品をはじめとする19世紀末~20世紀初頭のポスター・工芸作品〕、第三部〔浅井忠絵付陶芸作品、浅井忠の工芸図案、それをもとに制作された工芸作品〕という三部構成によって浅井忠の制作とアール・ヌーヴォーのデザインとの関わりを探ります。
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